まさゆき研究所

ライター・加藤まさゆきのブログです。デイリーポータルZなどに記事を書いています

うっかりすると死ぬ、奥穂高岳3190m

44歳になって思うことは、「あと何回、北アルプスに行けるのだろうか」ということだ。

山岳遭難で一番多いパターンは「50代・単独・経験者」なのだそうである。あと6年したら僕もこのグループの仲間入りになってしまう。

僕は2017年に厳しめの遭難を発生させてしまった「前科」のある身なのであまり偉そうには言えないが、それでも「最悪の事態を避けながらプランをやり抜くこと」が登山の本質的な魅力だと強く信じている。
たとえ筑波山でも箱根山でも登山は「うっかりすると死ぬ」のだ。
体力・判断力がそのレベルに落ちる前に、あと何回行けるのだろう。

 

不安の中の「奥穂高岳

今年はワクチンを接種して迎える最初の夏だったので、3年ぶりに登山へ行ってきた。

丸3年も離れると感覚が体から完全に抜け落ちる。
ザックのどこに何を仕舞っていたか、自分の運動ペースと気温に合った重ね着はどんなだったか、給水と行動食に何を用意していたか、朧げな記憶を辿りながらの準備になった。

不安なので、まあ今年は足慣らし程度のコースにしておこう、と選んだのが「上高地〜涸沢〜奥穂高」という超メジャーコース。

昭文社山と高原地図38』より

昭文社の山地図では「上級」となってはいるが、雑誌『山と渓谷』では特に難しいとは書いていないレベルだ。
結局は自己判断になるのだが、ある程度挑戦的な要素もないとつまらない。
そこで、ちょっと頑張ってみることにした。
そして、少しだけ死ぬかと思いながら帰ってきた。

 

悪天の山頂付近

日本でも有数の歴史ある登山道らしく、迷うところは何一つない。整然と整備されている。

上高地〜涸沢までは、ちょっとしたハイキングぐらいの運動量で、むしろやや冗長に感じるぐらいだった。

問題は穂高岳山荘(2983m)より上である。

登る前は「頂上(3190m)まで、標高差200mの尾根歩きかー」と軽く考えていたのだが、小屋までたどり着いてみると、ものすごい烈風
日本列島の頂端を西から東に吹き抜ける豪風が、僕の全身を吹き飛ばしにかかってくるのである。
そして天候は雨で視界も最悪。
まあ、雨雲の中にみずから突っ込んでいっているので当たり前なのだが、8年ぶりぐらいに3000m級の悪天候とは何であったかをその全身に浴びて、久しぶりに脳の中にスイッチが入る。「あ、うっかりすると死ぬな」と。

 

北アルプスは夏でもけっこう人が死ぬ。

前に劔岳に登ったときも、僕と同じコースで次の日に死者が出たし、今回の槍穂山域でも「すでに死者が出ているので注意してください」と喚起がされていた。

以前、友人と7月上旬に八ヶ岳に行ったときもすさまじい悪天候に見舞われ、息も絶え絶えに小屋で一泊して引き返すということがあった。
あの時は頭が芯まで冷え切ってひどい頭痛に襲われ、震えながらシュラフと毛布にくるまって何とか乗り切ったのだ。

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穂高山頂までの岩稜は、マーキングが明瞭で迷うことこそないものの、視界は悪く、吹き付ける雨風は容赦ない。体温が少しずつ奪われ、八ヶ岳で感じたあの頭痛が頭蓋骨の中へ徐々に染み出してくる。

しかし。そんなこともあろうかと、僕もいくつか準備をしている。
一つずつカードを切るように繰り出していき、残っている体力をコントロールしながら、なんとか頂上まで到達することができた。

日本3位の標高地点にいるのだが、表情に完全に余裕がない

後日、実家の母に送ったら大爆笑された。

実の息子が0.1%ぐらい死にかかっているというのに爆笑できる心の余裕がすごい。(義理の母は真剣に心配してくれた)

 

ともあれ、このあとは無事にテントまで戻り、普段の倍ぐらいご飯を食べてから12時間眠り、無事に3日目の下山行程を終えることができた。

終わってみると何のことはない、天候に恵まれなかったものの、楽しい夏山ひとり旅だったようにも思える。
冬山のように始終吹きさらされることは全くない。

しかし、実際には「なぜこんなことをしているのか?」と何度も思いながら歩を進め、なんなら命の危険性を感じながら、行程の達成に向けて最大限の努力を試みる、という過程がそこにある。

そんな思いをしながらも、帰ってきて結局は「40代のうちに……」と次に行くコースを際限なく検討し始めてしまう。

「そこに山があるから」などという言い回しだけでは説明できない何かが、この趣味にはあるように思える。