まさゆき研究所

ライター・加藤まさゆきのブログです。デイリーポータルZなどに記事を書いています

鴻巣にあった叔父の家と、その相続のあれこれと、かじられた梨と灰皿と

「鴻巣警察署ですけど……」の、電話の一言でほぼ全てを察した。
残業中、スマホが職場でふるえた。
詐欺ではないことは容易にわかった。
おそらく、埼玉県鴻巣市に住んでいる独身の叔父に、身の上の何かーー最悪の場合突然死ーーがあったのだろう、と。

 

鴻巣に住んでいる叔父は、父の兄弟の末弟、兄弟の中で唯一の存命者であったが、極度の変わり者でもあった。
身長は150cm半ばもないむっくりとした風貌で、技術者として働いていた。
そして今で言う、リベラルな価値観をいち早く体現して生きていたような人だった。

 

結婚式も来ない。親戚同士で集まっても頭の下げ合いなんかしない。父親の葬儀に礼服も着ない。旧来的なニホンの価値観の全てを否定して生きてやろうとしているように、僕には見えた。

 

子供の頃は、叔父があれこれと構ってくれたことはない。
2ヶ月に1回ぐらいは帰省してくるが、大人同士で喋るか、文庫本を読むかして過ごし、一泊して帰っていく。子供が話しかけても返事をしてくれない。
子供から見たら一番絡みにくいタイプの大人だった。

 

家族に対する好き嫌いも激しかったようで、唯一仲が良かった僕の父とも人生の後半には仲違いしてしまっていた。
仲違いする前に、父に説得されて(?)買った埼玉のその一軒家に、自分の人生を埋葬するかのように、2021年、孤独に亡くなった。

 

僕は亡くなるたびに家族のことをネットで記事にしている。

祖父
昭和二十六年、祖父の贈賄容疑を探る(2009.10.15公開記事を再掲) - まさゆき研究所


台湾の「あの宮殿みたいなホテル」に泊まってきた :: デイリーポータルZ

真ん中の叔父(叔父1)
叔父の遺品を紹介します(デジタルリマスター版) :: デイリーポータルZ

祖母
JALのカバンが語る、45年前の海外旅行 :: デイリーポータルZ

 

でも叔父のことは何となく書き損なっていた。
とにかく後始末が大変だったのと、他の家族のようにカラッとネタにできる部分が少なかったからだ。

 

①なぜ僕に連絡が来たのか

警察が探し当てた叔父の連絡用手帳の、一番最初のページに僕の名前と電話番号が書いてあったかららしい。
おかげで僕は警察対応から喪主、相続処理の担当まですべてを請け負うことになってしまった。

なお、亡くなったのは1月末で、死因は不明。エアコンではなく灯油ストーブで暖を取っていたため、灯油が切れて寒いままだったので、死後1週間経っても損壊はほとんどなく発見に至った。
発見は近所の人からの通報らしい。姿も見ないし、電気も24時間点いたまま。新聞も溜まっている。誰が通報してくれたかはわからずじまいだった。生前の叔父の生き方を物語る感じが少しする。

②どこで葬式やるんだ問題

畢竟、結婚していないということは加藤家代々の墓に納めることになるのだが、葬式をどうするかがまず問題だった。
鴻巣市で葬式やっても誰も来れないので、加藤家の手継寺でやらざるを得ないのだが、鴻巣市の警察署の遺体安置所からどうやって都内の寺まで遺体を運ぶんだ問題が浮上する。レンタカー借りて運んだらレンタカー屋に怒られるだろうし、自分の車で運ぶのも避けたい。
結局、手継寺で葬儀の予約をし、寺に出入りの葬儀屋経由で遺体運搬業者を頼んだ。

葬儀当日は、火葬の順番待ちの都合で、朝早くから真冬の都内に入ることになった。
中野の跨線橋から行き交う中央線を眺めているさまはeastern youthの曲「東京快晴摂氏零度」そのもの、浮遊感のある現実だった。
コロナ感染流行の渦中で色々気を使ったが、葬式も納骨も無事終わった。

③家屋敷の管理と近所あいさつ

まずは家屋敷の整理をしないと何もかもがわからないので、ヒマを見つけては鴻巣市まで足を運んで整理をした。が、叔父は信じられないほど物を捨てない人だったので、せっかくの一軒家も荒廃の極みにあった。
じつは警察の方から「叔父さんはまだ六十代だったそうですが、認知症とかはなかったですか?」と聞かれたのだが、それを疑われても仕方がないレベルでゴミと埃クズの平原ができていた。2階には数年レベルで上がっていないようで、緩衝材として使えるんじゃないかみたいな厚さの埃が階段に積み重なっていた。

これを徹底的に掃除しながら、向こう三軒両隣に菓子折り持って挨拶に回った。死体変死の館とか噂を立てられたら、家屋敷の売却に支障をきたしてしまうので、丁寧に説明をした。
なんだかんだで、これに3ヶ月ぐらいはかかった。

 

④遺産の処理ならまかせなさい、のはずだったが……

僕は遺産の処理なら意外と慣れている。叔父1、祖母、父と何度も場数を踏んでいる。特に叔父1の時は郵便局で局員とケンカをし、保険屋と電話で30分大揉め、と本当に大変だった。
それに比べれば……と思って臨んだが、結局は自動車の名義変更で陸運局の職員とケンカになってしまった。
陸運局は遠方から来る甥が名義変更をする場合などを想定せずに稼働しているので、ちょっとした必要書類の伝達ミスでどれだけのロスが発生するかをわかっていない。このときは話のわかる上司が出てきてどうにかしてくれた。
ちなみに処分を進めるのは、車→現金→家屋敷の順が鉄則らしいです。

 

⑤貸金庫つかうのやめてくれ

叔父1の時も苦労したのだけど、上の世代の人は貸金庫に何かを預けるのを好むのだが、突然死された時にあれほど面倒臭いものも無い。鍵がどこにあるかもわからないし、貸金庫ルームに入るためのカードというのも、どこにあるかわからない。
相続人だと認めてもらって貸金庫を開けてもらうまで、信じられないぐらい手数がかかるめちゃくちゃに面倒臭いシステムだ。
あと株とかも、同じ証券会社に口座を作らないと相続できないという意味不明なシステムが取られているので、僕はそのためだけに野村證券に口座を作った。バブル崩壊期に東京で育ったので、「野村證券」とかそういうの散々バカにしてきたため、そこに口座を作っている自分がちょっと面白くもあった。

 

⑥家系図

子を為さずに亡くなった人の親兄弟が全員死んでいると、相続人は甥姪、つまり僕から見ると「いとこ世代全員」となる。普段から従兄弟たちとは一緒に住んで育った兄弟のような仲なので、そこに問題はなかったのだが、取得しなければいけない戸籍謄本の量がすごいことになった。
親兄弟含めて、どこかに相続する権利を持つ人間がいないかを証明する戸籍を全部揃えると、一番古い戸籍には江戸生まれの人が載ってるぐらいまでになった。


せっかくなのでこれを元に家系図を作ってみたら、A3いっぱい、「ファミリーヒストリー」撮影できるんじゃないかぐらいの物ができた。これを機に、親から聞いていた噂と合致するかを確かめたりできたので、いい機会になった。「定年後に家系図を作るおじさん」が頻発すると聞いていたが、確かに埋め始めると面白くなってくるので、その気持ちがよくわかった。
しかし僕は20年ぐらい先取りでこの趣味を極めてしまったので、ちょっと勿体無い。

 

⑦家屋敷の売却

車を名義変更して売り、預金や証券も処理を終え、遺産相続もあとは家屋敷を残すのみとなった。まずは全部僕の名義に変更したのち、何件か見積もりを取って、鴻巣市内のいい感じの不動産屋に委託して買い手を探すことにした。
不動産屋さんに「不動産売却は初めてではないようですね」と言われる。相続初心者ではない雰囲気が出てたのかもしれない。
あせってもいいことはないいので、ちょっとづつ値を下げながら買い手がつくのを待つ。そのあいだ、3ヶ月に1回ぐらいは草刈りと屋敷管理のために鴻巣まで赴いた。

一人で、秋の日差しを浴びながら縁側に座り、亡き叔父の遺した古いタバコを吸いながら刈り取った草の山を眺めているのには何とも言えない人生の情感があった。

僕はかつて2度ほど、叔父が引っ越したばかりの頃にこの鴻巣の家に遊びにきたことがある。小学校5年生の頃だっただろうか。
兄である僕の父に勧められて戸建を買ってはみたものの、明らかに叔父は持て余していた。日曜の朝に尋ねると、梨が、皮を剥かれたあと一口かじった梨が軽く干からびてコタツの上の灰皿の横に放置されていた。
僕は幼いながらも、その干からびた梨に、独身であることの哀しみのようなものを強く感じ、将来は結婚とかしたほうがいいかもなということが、心のどこかに刻まれた気がする。

それっきり僕は鴻巣の家に足を向けることはなく、そこから35年が経って、いま、叔父の亡き後のそのコタツに座り、あの時の灰皿にタバコの吸いさしを置いている。人生というものは、このように過ぎるものなのだろうか。

 

⑧さようなら鴻巣の街

叔父の死去から約2年が経過したあたりで土地の買い手がついた。
荒廃した家屋敷の部分はとりこわして更地にする契約で話がまとまった。最後の取引は、とある都市銀行の大宮支店で行われた。その日は雨で、それでもどうしても観光したく、小雨が降る氷川神社の参道を3kmぐらい延々と歩いた。なるほど、こんな大きな神社があるから「大宮」なのか!と、雨の中でも結構楽しく散歩できた。

鴻巣の街も少しだけ詳しくなった。ひなびた町の寿司屋とか、なんか人気っぽい団子屋とか、行くたびにうまい店がないかさがして食べるのが楽しみだった。一番美味しかった「次念序(じねんじょ)」というつけ麺屋さんは、それを食べることを目的にしてもいいくらいの三つ星ラーメン店だった。

 

相続の手続き的には、このあと。僕の居住地である地元の税務署におもむき、不動産の売買を通して発生した利益を確認して相続税やら所得税の精算に入るわけだが、バブル崩壊直前に新築で買った鴻巣市の家屋敷がそこから値上がりしているわけもなく、清算は無いようなもので終わった。
それよりもこの日、信じられない強風で、臨時駐車場から申請会場まで吹き飛ばされそうになった記憶が強く残っている。

思えば鴻巣も風の強いところだった。

いちど、ためしに電車で行ってみたら、駅から叔父の家までものすごい強風でびっくりしたことがあった。もうあの家に行くこともないかと思うと一抹の寂しさがある。
この記事を書くにあたってGoogleマップを見たら、その土地にはぴかぴかのソーラーパネルが載った家ができていた。買主は、高校生の娘さんがいる僕より少し年嵩のご夫婦だった。高崎線沿線で、手頃な土地を探していたらしい。
新しいご家族が、あの土地で幸せな暮らしを送ってくれることを心から願っている。

すべてが埼玉大学になる

仕事の研修で予備校の方の話を聞いたのだけど、大学入試共通テストが難しくなった年は埼玉大学の競争率が上がるのだそう。

共通テスト(旧センター試験)で思ったような得点が取れなかった受験生が、どこからどこにランクダウン出願するかのデータ蓄積が予備校にあって、理系は東京大→東京科学大→千葉大……などと流れ流れた末に、埼玉大学に志願者が溜まるのだそう。そこからさらに茨城大や群馬大には流れ出ず、埼玉大学で留まる、と。

では文系は、というとやはり同じで、なぜか不思議と埼玉大学に溜まるらしい。会場の参加者がみんな声をあげて笑っていた。(そして実際、共通テストが難化した今年は、埼玉大学の競争率が上昇していると)

共通テストが難しくなればなるほど争いが激しくなる埼玉大学。

軽い元素も重い元素も数兆年後には、核融合崩壊の果てにすべて鉄Feになるように、いつかは全受験生が埼玉大学を受験する宇宙の終末になるかもしれない。

落語の名人みたいな授業をおまいさんは演りたいのかい

日頃から落語を聞きに行っていると「授業の参考になるでしょ?」と言われることがままある。

これの答えは半分YESで半分NOだ。

というのも現代学校教育では、授業は「授業者のトーク」ではなく、「学習者の活動」が中心であるべきだとされるからだ。そのために国も保護者もタブレット端末にお金を注ぎ込んだのだ。


実際、授業者のトークの技術が上がれば上がるほど、生徒は「聞いているだけで楽しい」という雰囲気にはなる。しかし、それだと家に帰ってから何も残らない。
僕も若手の頃、授業のトークに様々なネタを盛り込んで工夫を詰め込み、盛り上げに盛り上げまくったつもりでいたら、授業アンケートで「授業はすごく面白いが、物理自体はよくわからない」という感想が書かれて返ってきた。

 

それでも落語の寄席と学校が似ているところはまあまあるな、と思っている

 

①持ち時間が決まっていて、出番の順に人が出てくる

寄席は分単位で持ち時間が決まっていて、秒レベルで終わらせるのに美学をもつ落語家も多いらしい。そして「中トリ」「食いつき」「ヒザ前」など、位置と出番に応じた盛り上げ方を演出する能力が求められるらしい。
当然これは先生も同じで、1時限目と4時限目のときでは雰囲気やメニューも少し変えるし、体育の前、音楽のあとなど、前後の関係によってもすこし内容を気にする。
これはちょっと寄席っぽい。

 

②教科書の内容(古典落語)でも自分なりに解釈し、芸として磨きあげる

授業の基本内容は教科書で規定されているが、教科書の内容をオーソドックスに喋るだけで授業になるかと言えばそうではなく、話す内容の何倍も知識もち、現場で教えた経験を積み、自分なりのストーリーと惹きつけ方を完成させていかないと、本当にいい授業にはならない。
古典落語もそうで、教わった古典を工夫もなくやっていても誰も見向きもしない。自分なりの解釈と演じ方で、その落語家の「型」ができて初めて客の耳が向くようになる。
これも落語に似ている。

 

③観客との相互作用が重要

授業でこう喋ったらこういう雰囲気になるはず、こう返ってくるはずと予測しながら僕らは喋っているけれど、そうならないときは即座に自己修正しながら、その日その日の教室に合わせていく必要がある。
喋り中心の授業の日でも、当然ながら、それは互いの呼吸を交換し合うようなリアルタイムの相互コミュニケーションだ。
これは寄席でもおそらく同じだと思う。客層に合わせたネタ選びなどもふくめて、その日の観客に寄り添うことが出来を左右する。

 

④観客を不安の中で置き去りにしないことも大事

神田伯山が「この話は25分ぐらい」と終わりの目安を先に言うことがあって、これを「旗を立てる」と呼んでいる。
これはとても有効で、50分は生徒にとって長いから「前半20分はコレ、後半30分はアレとソレ」とやる内容を先に言ってあげることが僕もよくある。すると生徒たちなりに自分の集中力の配分がしやすくなるように思える。
この先どうなるんだろう?という不安の中で想像力を使わされ続けるのは生徒も観客も意外と疲れるものだと思う。

 

⑤やっぱりライブに限る

コロナの頃、「オンライン授業」に頼らざるを得ない時期があったが、やっぱりあれはどうにもダメだった。僕自身が理科の担当なので、「実験が全くできない」というのもあるのだけれど、それ以外の科目でも「オンラインはあまり意味がない」という声は大きい。
落語も含めて演劇・ライブは何がいいのかと言えば、「演者と時間・空間を共有していること」、これに尽きると思う。もしかしたら演者が失敗するかもしれない、観客も電源オフでその空間から抜け出せたりしない、そういう共有感の中で見るから演劇は精神への迫力を放出することができる。
授業も同じで、教員や友人と時間・空間を共有しながら受けるから、力が宿るのであって、オンラインとか録画コンテンツでは実際の力の2割ぐらいしか受け取ることはできない。

やっぱりライブだな……、そう思いながら結局落語ファンはみんな寄席なりホールなりに通うのだと思う。

 

 

寄席メモリーズ 2025秋味

国宝 @池袋グランドシネマサンシャイン

母親と『国宝』を観に行く。
本当は公開直後に行こうと思ってたのだけど、母親が見に行きたいというので付き添いをするために2ヶ月も引き延ばし。
母は耳もかなり悪いのだが、字幕を重ねて見られるメガネを貸してくれるので、気分良く鑑賞。それ以外にも、20年ぶりに映画館に来たという母は色々な変化に目を白黒させていた。
映画自体は、1秒たりとも無駄なシーンが無い素晴らしい出来だった。

10月

浅草10月上席 伯山

浅草でやる伯山の芝居に行くのは、生活の一部。

この日、車椅子の姉と湾岸で落ち合わせて出かける用事があったのだが、「伯山の芝居は欠かせないので」と伝えて予定を調整した結果、結局、湾岸も浅草も一緒に行くことになる。

湾岸に行く途中月島・佃付近をついでに散歩。「3月のライオン」の熱心なファンなので、主人公を気取って隅田川沿いを歩く。
住吉大社は落語「佃祭」でも物語の鍵になるので気になっていた。古すぎるものと新しすぎるものが平然と同居してる様はすごい。

湾岸からタクシーで浅草に向かって、雷門前でレンタル車椅子を借り、浅草プチ観光にも出かけた。効率がいい。最近どこもレンタル車椅子があるようになったので、すっかりお世話になっている。

伯山のネタは「万両婿」。聞くのは3回目。何度もやるだけあって本当に無駄なく完成されており、寄席が爆笑でひっくり返る。

松鯉の「玉子の強請」もよかった。トリで出てきた伯山が「師匠、あんな声出るんだ!」とその調子の良さに驚いた、とマクラで語っていた。

 

浅草10月下席 松鯉

松鯉先生がトリ。時間があったので、近くを散歩したら「幡随院長兵衛」の墓に出くわす

落語「芝居の喧嘩」に出てくる親分だ。(たぶん元は講談)
演芸ファンになってから、少しずつ詳しくなってきた。江戸散歩と演芸鑑賞の熟年趣味としての相性の良さはこのへんにあるのだろう。

松鯉は「赤垣源蔵・徳利の別れ」。
赤穂義士伝のうち、未だ聞いたことのない演目だったので嬉しかった。

鯉昇師匠の「うまのす」もよかった。
根本的に何もない空箱のような落とし噺を、聞かせられてしまう手腕がすごい。

 

狂言鑑賞 @矢来能楽堂

勤務校の行事で矢来能楽堂へ。
高校生の頃、毎日チャリ漕いでた通学路沿いにある。30年の時を経て、引率して鑑賞させるために来訪できたのは感慨深い。
能楽堂かっこいいなー、と眺めていたが、よく思い出してみれば、実家の隣の神社にもあった。何を見て生きてきたのか。

演目は「附子」「柿山伏」。
初めて見る生の狂言に圧倒された。狂言の台本は「時代に合わせて変わらない」ものなので、大人でも2割ぐらいは何を言っているかわからない部分もあるのだが、そんなことは関係ない。演者の力がすごい。
そのあと図書館で狂言の台本を借りてきて、「あー、ここはこう言ってたのか!」と味わい、また楽しむことができた。伝統芸能の開いてない扉がどんどん開いてしまう。

11月

浅草11月上席 つる子

つる子が夜トリ。
朝から時間が空いている日だったので、午前中に家族の分の夕飯を作り、隅田川沿いにジョギングに出て5キロほど走ったあと、ゆったりと銭湯で汗を流し、満を持して寄席へ向かう。

ひとり休日として完璧すぎる1日だった。

つる子は「妾馬」。
得意の、物語のコマになりがちな女性人物を、ちょっと掘り下げて描き出す「つる子噺」のやつだ。
つる子は音域も広いし、そもそもの語りも上手いところに、そういう工夫を入れてくるから、何度でも聞きたくなる。

あと小次郎さんも良かった。前座の頃から声が良くて好きだったのだが、無事二つ目になって、これから活躍が期待される。ちょっと注目して見ていきたい。

寄席メモリーズ 2025夏 ご祝儀

6月

伯山プラス @イイノホール

伯山独演会「伯山プラス」当選。幼なじみの友と向かう。

そろそろ怪談の季節、やってくれないかなと思っていたら、嬉しいことに期待通り。
前から聞いてみたかった『乳房榎』をやってくれる。

iPodで聴く伯山ラジオも2周目に入り、ますます伯山が良い。

 

7月

末廣亭7月下席

寄席で行き残していた恒例興行である、人間国宝神田松鯉の夏の怪談へ。
昨年、自身のコロナで行けず、82歳の松鯉先生がこの1年の間で引退されてしまったらどうしようと、どきどきしながらこの夏を待っていたが、何とか間に合ってよかった。

この日は宮治、伯山、その他にも腕っこきの名演者揃い。昼から入ってたっぷり楽しむぞと思っていたら……



昼過ぎから急激な雷雨になり、時には落語が聞こえなくなるほどの豪雨と雷鳴。伯山がやってるあたりでMAXに達して、客席も苦笑い。

そして雷も止み、トリの松鯉先生は怪談「小幡小平次」。終盤、凄みの緊迫から、暗転。そして終わってから大拍手、開放。

退場後に散歩した雨上がり新宿の空気が別世界のようだった。

 

三遊亭兼好 独演会「けんこう一番!」@文京シビックホール

「落語を聞きに行ってみたい」という若者がいたということで、演芸ファンの友人が選んだのが兼好師匠の独演会。そこに合わせて僕も呼んでもらえて、3人で見にいく。

兼好師匠は落語の入口としては、喬太郎師匠よりも入りやすいかもしれない。どのキャラを見ても、出てくるだけで嬉しい、ずっと見ていたくなる愛嬌がある。

若者にも大満足してもらえて、最高の会だった。

 

8月

三遊亭仁之吉@つくばカピオ

突然「だれ??」という落語家になるが、初のつくば市出身落語家である三遊亭仁之吉さんだ。二ツ目に昇進されたので凱旋落語会である。

近所のセブンイレブンで何かの落語会のチケットを発券したら、顔なじみの店員のおばあちゃんに落語好きとばれてしまい、そしたらなんと、おばあちゃんが仁之吉さんの習い事の師匠だったという奇縁で、落語会に行く前に手ぬぐいすらもらってしまった。

仁之吉さんは、前座時代にも高座を見たけれど、なかなかに面白い方だった。今回の会でも初めての「蚊いくさ」というネタを聞かせてくれた。ぜひぜひNHK新人賞まで駆け上がってほしい。

 

9月

末廣亭 9月上席 夜の部「七代目三遊亭円楽披露興行」

七代目円楽が落語芸術協会に入ったので、円楽一門の披露興行を定席寄席で見られるということに。現象としては結構レアな番組である。
この日に口上で上がっていた兼好師匠も「みなさん……すごく珍しいものを見てるんですよ!」と言って笑いを取っていた。
僕も「これは珍しい!」と勢い込んで前売券を買ったら、めちゃくちゃ前方の席が取れたので「アッ意外と売れてない!」と拍子抜けする。同じ円楽でも笑点に出ていない円楽は正直まだまだなのだと実感。


でも前の席になったお陰で「できたくん」の発泡スチロール作品がもらえたのでよし。トトロと七代目円楽師匠。

円楽師匠のYouTubeはよく見ていて、とても面白い。バラエティもどんどんこなせそうなのだから、はやく好楽師匠の席を簒奪して欲しい。

 

池袋 9月中席

喬太郎師匠がトリ。2年ぶりに勢い込んで池袋演芸場に向かう。

時間があったので池袋の街を散歩。

最近は子供を連れてポケモンセンターばかり行っていたが、通っていた高校があったので、原体験的な思い出が色濃く残る。サンシャイン前から東口、西口、北口と、2時間ほど、30年の人生に思いを馳せながら丁寧に歩いた。

高校生の頃に通った50円ゲーセンは、今でもレトロゲーム専門のゲームセンターとして営業していて、「天地を喰らう2」とか「パズルボブル」とか、心臓が早鳴りするほど懐かしいゲームたちが稼働していた。

 

落語はトリの喬太郎、「品川心中」。
僕が落語の世界に取り込まれた最初の演目で、いつか高座で聴きたいと思っていたのだが、それが喬太郎師匠で聞けたので、本当に嬉しかった。

明烏」は兼好師匠で聞けたし、あとは「夢金」を誰か好きな師匠の口演で聞いてみたいもんだと思う。

寄席メモリーズ4・5月 こんにちは信楽さん

4月

浅草 4月上席

上席5日間、伯山がトリ。
そんな折、子に「おばあちゃんちへ従姉妹とお泊まり」というイベントが入ったので、暇を持て余していたカミさんを引きずって夜の浅草へと向かう。

演目は「万両婿」。見るたびにバージョンアップして行く得意のネタに今日も爆笑と感動の高座だった。カミさんも無理やりだった割には気に入っていた。
なぜ僕がいつも少し無理をしてまで伯山を見に行くのかわかってもらえたと思う。

また、最後まで寄席を見たのはカミさん的には初めてだったので、「その日の主任に向けて盛り上げて行く」、とはどういうことなのか、肌で感じられたことは良かったとも言っていた。

小痴楽師匠の「両泥」も良かったし、萬橘師匠もフル回転で良かった。
ボーイズ先生が謎かけをお題を募っての即興でやっているのも初めて見られた。(できるんだ!と、びっくりした)

配偶者を誘って観に行くのにこれ以上は無い、完全な浅草演芸ホールの夜席だった。

 

「こしがらき」@亀戸梅屋敷

日曜日、京橋でやっていた「ヨシタケシンスケ展」を家族で見て充実したのち、僕だけ分かれて単独で亀戸に向かう。
柳亭信楽さんをどうしても観ておく必要があったからだ。

僕の勤務校では落語に関わる生徒活動を恒例行事として行なっていて、その講師に信楽さんが来てくださる段取りになっていた。生徒たちに信楽さんを紹介する前に、自分の目でしっかりとその芸を確かめておきたかったのだ。

 

 

信楽さんは気鋭の二ツ目さんで、ラジオ「小痴楽の楽屋ぞめき」やポッドキャスト「新ニッポンの話芸」で幾度かトークを聞いたことはあったが、落語を見るのは初めてだ。

若手新作派の中でも腕っこきの名演者だという噂なので、それなりに期待して行ったのだが、その芸は期待を大きく上回るものだった。

『イワヌマン』『腰痛』、ともに予想した展開が、予想以上の芸で返ってくる、リズムのいい楽しい話だった。信楽さんのような、腕のある新作派の演者さんに出会えるとやっぱり新作もいいなと素直に思ってしまう。
せっかくなので、信楽さんには「今度よろしくお願いいたします」と簡単にあいさつをさせていただいた。

そして翌々日、信楽さんによる落語指導が勤務校であったのだが、大成功であったことは言うまでもない。
小さいながらも初めて落語家さんに「エージェントを経由しないで仕事を依頼する」ことができたので、とても嬉しかった。


亀戸天神の藤棚が見頃だった

 

5月

浅草 5月上席

中学生の頃、堀切(葛飾区)に住んでいた友達のところへ九段から自転車で遊びに行ったことがある。
中学生の足には結構遠く、最後、荒川を渡る大きな橋でママチャリを担ぎ上げて階段を登るのにえらい苦労したな、という記憶がくっきりと残っている。
それっきり堀切には行くこともなく30年が過ぎたが、落語趣味に没入してから都内の東側地区をうろつくようになり、今また再訪のときかなと思って散歩に出かけた。


30年前に渡った橋の上から。

 

北千住から堀切、四ツ木向島→千束→浅草と3〜4時間ほど。区で言えば足立・葛飾台東区あたりの川沿いゾーンをうろうろしたのだが、感想として「江戸の境界ってやっぱり荒川なんだな」ということを感じた。

道幅の狭さや町並みの雰囲気が荒川を境に結構変わる。堀切のほうはもっと下町ぽいのかと思っていたが、わりとノンビリと住宅地が広がっていて、住むには心地よさそうだけど、物見遊山に来る感じではないなと思った。

最後、散歩のシメとして浅草演芸ホールへ。

昼トリの彦いち師匠から喬之助師匠まで。チケットが昔ながらの味のあるやつじゃなくなってて驚く。

最近行くのは芸協の寄席が多かったので、落協の浅草は久しぶり。久しぶりに見る雲助師匠も一朝師匠も、全部よかった。圓太郎師匠「祇園祭」は特によかった。

GW明けで客の入りは少ないのにチバテレビ「浅草お茶の間寄席」の収録が入っていて、ちょっと寂しそうだったから多めに笑い声を上げておいたが、「あなたの声はうるさいからオンエアでは全部ばっさりだよ」とカミさんは否定的である。

 

浅草 5月中席 昼の部「真打昇進披露興行」

続けざまに翌週も浅草。
行き過ぎという気もするが、行けないときにはどうやっても行けないので、悩んだら行っておく方がのちのち気が楽だと考えるようになった。

「翁そば」というそば屋が寄席の近くにあり、落語家のフリートークで出てくる定番の店なのだが、しょっちゅう不定休を取る店で、僕はこの店にもう1年以上も「本日臨時休業」でフラれ続けており、今度こそ!と向かった先週に閉店だったときは、もう一生、翁そばで食えないんじゃ無いかと軽く絶望した。

 

しかし、今日こそは久しぶりの営業日。
宮治師匠や昇也師匠が食べていた「冷やしたぬきギョク落とし」を満を持して注文することができた。

 

真打披露口上に伯山先生が並んでいるところを初めて見られたのが嬉しかった。鯉丸さんについては以前も伯山ラジオで触れていたので、その縁もあってなのだろうか。

談幸師匠は、前々から達者な方だな、おもしろいな、と思っていたのだが、この日の「寄合酒」はその印象をさらに深くさせてくれた。

まだまだ寄席には、行けば行った分だけ発見がある。月2回のペースをなんとか維持して頑張りたい。

寄席メモリーズ2025 早春 兼好師匠〜米丸祭り

2月

つくば落語 三遊亭兼好 @カピオホール

現代落語界の頂点のひとり、兼好師匠がつくばに来てくれた(独演会)

落語家は割とシビアに、巡業に行った先の民度を測る傾向がある気がしている。
以前、マクラでつくばエクスプレスが「車窓になーんの変化もない」といじられていたこともあり、僕らつくば市民の民度は兼好師匠にどう評価されるのか、勝手に市民を代表してどきどきしてしまった。

初めて聞いた兼好師匠の『締め込み』は泣いて怒って怒って泣いての、夫の情けなさの描出が素晴らしく、師匠に対してのリスペクトがまたひと重ね更新される最高の体験だった。

なお、師匠のつくばへの感想は「若い世代(子供)が多い」だったのだが、その中でいきなり『宮戸川』をぶっこんでくる師匠の意気はすげぇなと、そこにもまた驚かされた。(幼馴染の男と女がひとつ布団に寝ることになり……というスジ)

僕も8歳の娘連れで行ったのだが、宮戸川の終わりどころを知らなかったうちのかみさんは「この話はいったいどこまで行くの……!」と気が気ではなかったらしい

 

浅草2月上席

寄席演芸は生きている芸なので、見られるときに見ておかないと、あとからどうにも間に合わなくなってしまう。
もう半年早く寄席に行きはじめていれば小三治を見られたのにと、僕は今でも後悔している。

というわけで遊三師匠(86歳)がトリの浅草。伯山も文治も出るしと思い足を運ぶ。

大ネタ『火焔太鼓』、志ん朝のCDでは何度も聴いているが、意外に寄席でほとんど聞いたことがなかったので、すごく嬉しかった。
遊三師匠は素晴らしく元気で、正月の笑点「師弟大喜利」に出演されたときもすごいなーと思ったが、またあらためてその達者ぶりにおどろかされた。またひとつ人生の思い出ができた。

しかし思い出すにあの師弟大喜利、遊三・一朝・志の輔・伸治が共演してたのは本当にすごい。好楽の弟子枠が7代目円楽だったのは笑点的にはしょうがないけど、弟子じゃないし、むしろ真に弟子である兼好師匠を笑点で見たかったと思っている落語ファンは少なくないと思う。

落語教育委員会 @なかのZEROホール

その兼好師匠が今月2回目。大人気の定期興行「落語教育委員会」のチケットが取れたのは初めてなので、期待に胸を膨らませての中野。

明烏』!

ぼくは志ん朝師匠の『明烏』が大好きで、CDで何度も聞いて何度も笑ってしまうのだけど、初めて生で、しかも兼好師匠で聞けて、この瞬間のために劇場通いをしてたのだな……と思うぐらいに嬉しい遭遇だった。

そしてやっぱり超絶おもしろい。

このネタ、夜明けの朝に食べている茶請けを定番の「甘納豆」から「梅干し」に志ん朝は変えてて、その効果が大好きなのだが、そこからさらにこうするんだ!というアレンジが上手くてひーひー言うくらいに笑わされた。

本当にすごい。はやく圓生を襲名してほしい。

 

おまけ

中野を散歩してたら見つけた米の自販機。
子供の頃、近所の米屋にもあったなーとしばし感慨にふける。

3月

末広亭3月上席 桂米丸追善興行

発表と同時に、全落語ファンが震撼した歴史的興行。
落語団体五派が一堂に会した「桂米丸追善興行」、通称「米助祭り」。(桂米助フィクサーとして成立させたので)

顔付表。
3度見、5度見したどころか、落語ファンに「これを見ながら一晩酒が飲める」と言わしめた、驚異的な面々のそろいぶみである。

前売りチケットは発売後5分でほとんど完売状態。
僕も壮絶な争奪戦に参加し、なんとか休みの取れている平日のチケットを押さえることができた。

 

 

 

やっとタイミングの合った二葉さんは、十八番の『上燗屋』。
女性初のNHK新人大賞で話題になったが、アホのおっさんを完璧な完成度で描いていく芸で観客を飲み込み、気がつけば持ち時間が終わっていた。受賞したことなんて全く思い出させない、圧倒的な芸だった。

七代目円楽は、前日までの披露興行を終えて、初の高座がこの米助祭り。客席から「師匠!」「七代目!」と掛かる声が末広亭に響き渡っていた。

僕は右後ろの売店近くの席に座っていたのだが、三三師匠が、じいっと静かに、長い間、売店の隅から高座を眺めていた。

 

こんな熱気に溢れた寄席は、そうは見られないだろうが、平熱みたいな感じで進んでいく寄席も僕は好きなので、引き続き寄席へ通っていく予定です。