まさゆき研究所

ライター・加藤まさゆきのブログです。デイリーポータルZなどに記事を書いています

数奇な猫の最期と、干物を焼いた日のこと

もう3年ほど前になるが、実家のマンションで飼われていた猫が13年の命を終えた。

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亡くなる数日前。当時2歳の長女とともに。

学生時代からアパートで幾多の猫を飼い、さまざまな生涯を見てきた僕だけど、この猫の生涯は数奇であったなあ、と思うところがあるのでちょっと記録したい。

叔父と猫の別れ、祖母からの受難

猫が飼われ始めたのは、かつて東京にあった僕の生家だ。
築何十年という古い古い昭和家屋である。

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祖母と独身の叔父(いわゆる「子供部屋おじさん」)が二人で暮らしていたところに、いとこが拾ってきたらしい。

子の無かった叔父はこの猫をたいそう可愛がり、ミーコ、ミーコと呼んで溺愛していた。エサも相当にいいものを食べさせてもらっていた。

何歳になっても口うるさい祖母(いわゆる「毒母」だった)に辟易としている中、家での生活を唯一明るくしてくれた存在だったのだろう。

 

その叔父が平成21年に63歳で急逝する。
たぶん、心臓か脳か、その辺の異常が突発したのだと思う。

 

@nifty:デイリーポータルZ:叔父の遺品を紹介します

 

結果、猫と祖母だけがぽつりと古い家に残された形になった。

ネコちゃんは息子の形見として、大層おばあさんに可愛がられましたとさ……となれば美談なのだが、現実はその全く逆で、えらく邪険に扱われることとになった。

祖母は大の動物嫌いだったのである。

布団に入っては「この猫め!」と追い出され、エサはしらす干しやカリカリを適当に与えられるだけ。ネコとしてはこの時期は、ヘブライ人並みに大いなる受難の時代であったと言えるかもしれない。

一度、祖母の家を掃除しに行ったら、はみ出した餌が餌場の周りに層を成して大変なことになっていた。祖母の家事能力もだいぶ衰えていたし、仕方のなかったことなのかもしれない。

それから3~4年ほどして祖母も老齢の限界を迎え、施設に入所することになったため、猫はうちの両親がマンションに引き取ることになった。

 

干物を焼いた日

秋の日。
祖母も叔父もいなくなり、空き家となった生家に、猫を引き取りに行った日のこと。

どこを探しても猫がいないのだ。

古い昭和家屋であり、最大で家族10人が同時に住んでいた家である。押入れ、家具の下、天井裏、隠れる場所には困らない。

こちらも0歳から生まれ育った家、壁のシミ一つに至るまで覚えている。プライドに賭けて負けられないと、記憶・経験、振り絞って探したのだが、気配すら感じられなかった。

遅れて到着した兄も一緒に探したのだが、何の成果も得ることができず、二人で相談の結果、干物を焼いてみることにした。

子供の頃、お使いによく行った魚屋に向かい、アジの干物を2枚手に入れる。
もう何十年も立っていなかった祖母の家の台所、子供の頃に遊び回った台所に立ち、グリルでアジの干物を焼いた。焼け焦げた煙と魚の匂いが、幼い頃の記憶を刺激するかのように強くたちこめる。

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結局、それでも猫は出てこなかった。

干物は、熱いうちに兄と二人で食べ、僕はビールを飲んだ。
そしてテレビをつけ、2時間ほど兄と取り止めもない話を続けた。

夕方になり、今日はもうあきらめて帰ろうかという時間になったとき、階段の上から猫がニャーと鳴きながら降りてきた。

干物の余りをあたえると、あっというまにしゃくしゃくと食べ終え、用意したケージにするりと入り、猫は僕の両親のいるマンションへと連れられていった。

 

祖母、父との別れ

祖母はそれから2年ほどで亡くなり、何だかんだで溺愛していた父もその5年後に亡くなった。それから1年して猫自身も亡くなり、一生のうちに3回飼い主と死別した猫の生涯は終わりを告げた。

 

あの秋の日、猫は干物の煙の匂いを嗅いでも出てこずに、いったいどこで何をしていたのだろうか。

思い出す。まるで人生のなかから切り取られて浮遊したような1日だった、兄と二人で干物を焼いた日のことを思い出す。

足首骨折・入院記録⑤ プレート細菌感染・後半

■その1→【足首骨折・入院記録①初日~3日目 群馬での入院

■その2→【足首骨折・入院記録②4日目~8日目 手術までの日々

■その3→【足首骨折・入院記録③9日目~13日目 手術から退院まで

■その4→【足首骨折・入院記録④ プレート細菌感染・前半】

 

プレート抜去の終わった僕は、その後3週間の入院生活を主治医に命じられることになる。

「長い。ありえない。本当かよ」

というのが率直な感想だったが、主治医の目が1回目のときより数段本気だったので、何も言えなかった。

 

体内に細菌感染が発生しているというのは、ただの骨折より数段やばい状況であるらしく、感染ショックが起これば容体急変から死に至ることもあるらしい。前の入院の時は術前に多少の外出も許されたが、今回の入院は完全に外出禁止である。

妻と1歳の娘、そして仕事の穴を空けてしまった職員室、すべてを置き去りにして僕は病院で3週間、茫漠とした時間を過ごすこととなった。

 

その時の記事はこちら

 

3週間、いったいどのような処置を受けたのかといえば、1日3回、8時間ごとの抗生物質を点滴されること

基本的にはそれだけである。僕も「これ、アパートから近いんで1日3回受けに来ますから、通いでなんとかなりませんか……?」とダメ元で言ってみたのだが、言ったとたん主治医の目が仁王像のようになったのですぐさま前言撤回し、それ以上の発言はやめにした。

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あきらめて点滴、点滴、点滴、の日々
真夜中の血だらけ事件

朝6時、昼2時、夜10時。
1日3回、星辰の進行のように規則正しく点滴を受ける。

夜の10時が不思議だ。
病院は夜の9時に消灯なのだが、消灯後、真っ暗になった1時間後、看護師さんがそうっとカーテンを開けて「失礼しまーす」と入ってくる。
ごく一部を限定的に切り取って解釈すれば色っぽい雰囲気もないことはない流れだが、実際にはもちろん何もない。そのあと30分点滴を受けるだけである。

いちど、この繰り返しがあまりに暇だったので、夜の点滴が終わった後、管が抜かれる前に腕を上げ下げして管の中を血が行ったり来たりするのを眺めて遊んでいたことがあった。
そしたらいつのまにか血が変なところまでに吹きこぼれてて、看護師さんが大慌てになり、数人集まって「放置してすいません、すぐ片付けます!」と後始末してくれたことがあった。

もう5年経ったのでそろそろ謝ろうと思うのですが、アレは100%、いい歳して訳のわからないことをした僕のせいです。看護師さんすいませんでした。

 

ドレーンの袋を収納する、たったひとつの冴えたやり方

血と言えばもう一つ。

入院前半は、「ドレーン」という術部から血を吸い取るための謎の小袋をぶら下げたまま生活することにもなるのだが、これが絶妙に邪魔である。

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ドレーン。陰圧をかけて患部から汚れた血を吸い出す

これを収納するためのポシェットのようなものももらえるのだが、点滴の道具や松葉杖と絶妙に干渉するので、どうにも収納しあぐねていたのだが、ある瞬間ピンとひらめき、ジャージのパンツ裾を大きく折り返し、その中にしまうと生活がうまくいくことを発見した。

こんな便利な方法あるんだったら看護師さん早く教えてよー、ぐらいの気にはなったのだが、じっさい看護師さんが僕の収納を見て苦笑い気味に言ったのは

「そんなしまい方している人初めて見ました。あたらしい!」

というコメントだった。

昔からのことだが、僕が「いい発明した!」と本気で思っていたる工夫は、人に笑われることが多い。
だからデイリーポータルのライターに向いていたのかもしれない。

 

退院まで

ドレーンは1週間ほどで外され、骨もうまくつながってゆき、17日間でちょっと早く退院することが許可された。

主治医の先生は常に冷静沈着で、医師としての激務を笑ってこなす素晴らしい方であったが、僕が感染して再入院となったときだけは、さすがに落ち込んでおられた。
感染が起こる確率は高いものではなく、特に僕のように当時30代だった抵抗力のある人間にはあまりないので、起きてしまったのは先生としても意外中の意外であったのかもしれない。
僕の生活の仕方に問題があったのだとしたら、それは少し申し訳なかったと思う。

退院後、僕はもう装具はつけなくてもいいと言われ、走りはできないものの、歩くことに関しては難なくこなして暮らせるようになった。

次回は、それから5年後の今(2021年)まで、どのようなところまで運動や生活ができるようになったのかを書いてみたい。

とうとう落語(というか志ん朝)にはまっている

ここ最近、ツタヤで古今亭志ん朝の落語のCDをひたすら借りている。
ちょっとしたきっかけがあってすっかり惚れ込んでしまった。

1月からずっと亡くなった叔父の遺品整理をぼつぼつしているのだが、そのなかに古今亭志ん朝のCDが1枚あった。
叔父の家まで高速で1時間ぐらいなので、「まー、これでも聴きながら帰るか」と思って車の中で聞いたら、これが素晴らしくて、すっかりはまってしまったのだ。

これまでも落語は聞いたことはあった。
寄席に行ったこともある。職場の芸術鑑賞で、校内寄席を開いたことも何度かある。冬は風呂であったまりながらYoutubeで一演目ぐらい聴いたりする。『昭和元禄落語心中』も大好きだ。
でもこれまで落語好き人たちの情熱を、正直ちょっと引き気味で眺めていたところがあったので夢中になるまでではなかったのだが、そんな斜に構えた気持ちを全部突き破るぐらいに志ん朝の落語はすごかった。

そのとき聴いた演目は『夢金』。


真冬に雪の降る川で船を漕ぐ情景がありありと見えてくるような描写力、欲と正義感のはざまで揺れ動く心の機微を、絶妙な間合いと台詞回しであぶりだす表現力、とにかく全てが僕がこれまで聴いたことのある落語とは別次元のように思えた。

そこからかなりの量の志ん朝の噺を聴いたが、どれもこれも「こんなに完璧な一人芝居が世界で他にあるのだろうか?」という気持ちにさせられる素晴らしい出来だった。

不幸にして志ん朝さんはまあまあに早世されているので、音源の声が若いのもよい。名人だ国宝だという老人の落語も聞いてみたが、一人芝居である以上、どうしたって声の表現力が豊かな若い時期に比べ完成度は劣る。

そして同じ噺で志ん朝と別の落語家さんのを聴き比べても、やはり志ん朝の方がいい。
張りのある声質と流暢で歯切れの良い江戸弁。演じ分けの徹底的なうまさ、細やかな語彙の良さ。
江戸の世界がそのまま切り出されてきた空間が眼前に現れてくような体験を、当時のお客さんたちはしたと思う。

ここまで聞いて、僕のおすすめは最初に書いた「夢金」そして「文七元結」「唐茄子屋政談」、あと笑える話では「明烏」あたりだ。

 

 

YouTubeだと有名な「芝浜」が出てくるが、登場人物が2人しかいないので、一人芝居の上手さや凄みを感じるにはもう2〜3人出てくる演目がいいような気がする。

どれも登場人物の抱える葛藤の描き出しがすごい。

 

レンタルとYouTubeで聴ける音源はほぼ全部聴き終えてしまったので、次に手を出すとしたらDVDである。
大人向けなのでさすがに高いのでけれど、久々に夢中になったものなので、これは買ってもいいかもしれない……。
「ぐずぐず言ってねぇで買っちめぇよ!」と僕の中の小悪魔が江戸弁でささやいている。

加藤家の世界線、概念としてのプリキュア

5年前、子供が生まれたとき、

「もし今後、家の中では僕が創造した人造言語だけを使うようにしたら、この子はその言語のネイティブ話者になるのだろうか?」

などとくだらない妄想をしていたものである。

 

実際そんなことはもちろんしてないわけだが、そこまでの程度ではなくとも、子供(特に保育園に行っていない長子)にとっては、親が生活の全てであって、親が選んでいる生活のスタイルがそのまま子供の「世界線」となる、というのはあると思う。

 

この点、加藤家で顕著なのは、両親共に民放を全く見ないという生活スタイルであることである。

僕はヘビーなNHKファンで、民放は年に1回箱根駅伝を見るだけで、あとはずっとNHKだけを熱心に見ている。
かみさんはそもそもTV自体ほぼ見ない。僕がNHKのニュースを見ているだけで「うるさい」と怒ることすらある。もちろんYouTubeも見ない。

というわけで、うちの子供はそろそろ5歳半になるが、TV=NHKという世界線で生きており、好きな番組は「ダーウィンが来た」「ムジカピッコリーノ」「京も一日陽だまり屋」「ブラタモリ」という、生粋のNHKっ子に育っている。

 

しかし、不思議なのは、にもかかわらずプリキュアが大好きなことである。

 

もちろんプリキュアのアニメなど1秒も見たことがなく、プリキュアがアニメであることや、プリキュアをテレビで視聴できることなども含めて、全く知らない。

それなのに幼稚園でプリキュアの存在を知って興味を持ち始め、キャラの名前を覚えて「キュアフォンテーヌだいすき」とか言い出し、プリキュアのプリントトレーナーを欲しがったりプリキュアショーに行きたがったりするのである。アニメの存在にすら気付いていないのに。

さらにこの春にはとうとう「4月からプリキュアが新しくなるんだよね。幼稚園も流行りがあるからついていくのが大変」などといっぱしのことを言い出した。

いや、流行りも何も、そもそも乗ってないんだよプリキュアの流れに。君は。

 

いったい、彼女にとってプリキュアとはどのようなものと認識されているのだろうか。

 

なお、同じく「ラブパトリーナ」という存在についても「幼稚園でラブパトごっこした!」と意気揚々と報告してくれるが、彼女はそれが番組であることすら知らないのである。

いったい、どのようにして「ごっこ」に参加しているのだろうか。

無関心は体育のテストを変えない。

『とある「社会問題A」に関して、ある人の表す態度が「沈黙」「無関心」であった場合、その人は問題Aに対して強者の立場にいる人である。』

 

という原理を、根が深いなと最近感じることがある。

というのも、先日、中学生が人種差別問題についてプレゼンテーションをしたのだが、その発表に対するコメンテーターが全員ジャマイカ系の黒人だったので、「果たしてこのジャマイカ人達はどうコメントするのか?」とちょっと気になったのだが、そのコメントは
「この種の問題に対しては『触れない、沈黙を保つ』というのが賢いとされる中で、あなたの勇気あるプレゼンテーションに敬意を表する」
というものだった。

なるほど。日本にいると問題がさほど先鋭化しないので気にしないが、多民族・多人種国家では「沈黙が最良の選択肢」という現実が往々にしてあるのだな、と実感したのである。

 

いっぽう、最近の日本で荒れがちな社会問題「ジェンダーフェミニズム論」についても、そういうところがある。

上野千鶴子さんが
「自分の配偶者に沈黙・無関心を貫かせない、配偶者だけでも問題の場へ引きずり出す『一人一殺』が重要」
と書いていて、最初読んだときは、ずいぶん物騒なこと書くなと思ったものだが、ジャマイカ人の先生のコメントを聞いてからはちょっと見方が変わった。
確かに怒ってもまあまあ許される権利のある自分の配偶者ぐらいには「僕は興味ないから」と言わせたくないものである。

沈黙の態度といえば、かつて東日本大震災があったときのことだ。
東京に住む人のそれなりの割合が「心を壊されたくないので目を閉じ、耳を塞ぐ」という態度を表明していた。
一瞬、弱者が自分を守る選択をしているように聞こえるが、そうではない。福島の隣県で、停電や断水にそれなりに苦しんだ身としては、その態度を選べるだけで充分に強者の弁に思えたものである。
しかもそこで「悠長なこと言ってんじゃねえ!」と怒っても、「この人怒ってる!怖い!」と耳を塞がれてしまうので、意味がない。理解の壁がすごいのだ。

これはまさに、日本におけるジェンダーフェミニズム論の泥沼的停滞の構図そのものである。こうなっては確かに「一人一殺」から始めなければ、進展に向けて何のとっかかりも無いかもしれない。

 

主題は体育である。

僕は長年「体育のテストが諸悪の根源」という主張をしており、運動が嫌い/苦手だった人には激しく同意してもらえるのだが、体育の先生に言うと「そんなこと考える人がいるのか」ぐらいの返事になることが多い。説明しても「はぁ」といった感じである。

これも同じ構図だ。

これ、もしスポーツ/体育教育の方針を決める人がみな運動の得意な人ばかりだったら、問題が問題として認識されず、この問題はいつまでも変わらないことになる。

これはまずい。

というわけで運動が苦手な人たちはもっと「一人一殺」の気概を持って、「体育のテストは結果が周囲に知られることの無いよう人権に配慮し、全ての学校にテスト専用の個室型体育館を設置して、結果の秘匿性を確保しながら実施するべきである」と主張しなければならないのではないかと思う

読書レビュー『科学者の冒険』

それほど生物科学のニュースに平素から目を通していない人でも、「クジラとカバが同じ仲間であることが最近明らかになった」ことぐらいは何かの折に聞いて知っているのではないだろうか。

それを明らかにしたのが岡田典弘先生だ。筑波大学東京工業大学で研究されていた方で、SINE法という画期的な方法でこれまでわからなかった生物の系統を次々と明らかにした。

系統分類の研究にちょっと憧れがあった身としては神のような存在だ。

その岡田先生が書かれた自伝的著書がこの本である。

科学者の冒険

科学者の冒険

  • 作者:岡田 典弘
  • 発売日: 2020/02/06
  • メディア: 単行本
 

これが本当にものすごい面白さで、久しぶりに本を読んで眠れなくなるほど興奮した。

RNA解析からキャリアを始め、魚類の系統樹作成に成功したのを足掛かりにして哺乳類の系統解析に進み、最後には天皇陛下の前でシーラカンスの解剖を実現させるという。

系統分類好き・古生物好きから見たら憧れのあまり失神してしまいそうな輝かしすぎる業績である。

はたしてそんな業績への手がかりがどこから始まったのか?

その興味深い問いに対して、自伝的である本書はひとつながりのストーリーとして答えを示してくれる。 

 

特に僕がふあぁっ!となったのは、1980年ごろの話で、サケのゲノムにある反復配列がtRNA起源であることを明らかにするくだりである。

ちょっと専門的になるかもしれないが、RNA解析で最前線にいた人間しか気づけないような細かい兆候を、大局的な視点で俯瞰して、その背後にある巨大な鉱脈を見抜き、みごと掘り当てたその流れには、読書で追体験するだけでも酔い痴れるような爽快さがあった。

当時は、この半年で急に有名になったPCR法もろくに普及していないような時代である。その時代にゲノム内にある反復配列の起源を言い当てたうえに、それ(反復配列の解析法)を新たな武器として持ち替えて生物学の地図をあっというまに塗り替えてゆく……、こんな華麗な業に憧れない科学者がいるだろうか?

 

さらに素晴らしいのは、著者の岡田先生がいまだに科学の新たな地平を切り開くということに果敢に挑戦され続けているという点である。

自然科学の研究者というのはまさに「山師」、どこかに埋まっている鉱脈を掘り当てなければならない職業なので、なかなか身を投じて挑戦的なテーマに挑んで行くということは難しいだろうと思うのだが、定年してなおその姿勢を失わない著者の姿には畏敬の念すらおぼえる。

もちろん姿勢だけではない。本の端端から感じ取られる生物科学への深い傾倒と知識。そのアイデアや発想を支えているのが、圧倒的な知識量であるということが疑いようもなく明白に感じとることができる。

知識に支えられた展望というのは、かくも芯の強い物なのか……ともう全く打ちのめされて、みずからの勉強量や実戦の乏しさをを恥じるしかない気持ちになってしまった。

 

と、ほめたたえまくってみた本書だが、読もうかなと思ったあなたが生物科学を学んだことがないのならやめておいた方がいい。具体的には「RNAスプライシング」「逆転写酵素」「電気泳動」あたりを即座に説明できないぐらいだとしたら、ちょっと辛いのではないかと思う。

最初、演劇に夢中になっていた話から、突然加速してRNA内の微量塩基成分の話になり、あっという間に読者を振り落とします
そのあとも誤植がまあまああって、「誤植だな」と思えるレベルにないと混乱したりするし、専門用語が前触れなく登場して生物科学の関係者以外を悉く振り落としにかかります

でもそんなこと全く関係ないぐらいに、生物科学を知る人にとっては本当に面白いので、強くお勧めしたいと思います。

一回も転ばなくても子供は自転車に乗れる。あと補助輪は悪。

子供(4歳前半)を自転車に乗せることに成功した。一回も転ぶことなく。

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僕は運動にまったく才能がないため11歳ぐらいまで乗れず、子供時代の自己抑圧的な性格を生む原因のひとつになったので、自分の子供が自転車に乗りおくれないようにすることは育児におけるテーマの一つでもあった。

そのため長年、僕なりのステップを考え続けていたのだが、それが見事に実を結ぶ形となった。うれしいのでちょっとブログに残したい。

どうやって乗せるのか?

僕のとった方法自体の大筋は、特段目新しいものではない。ここで細かく説明するより、この記事なんかを読む方がずっと実用的だ

https://iko-yo.net/articles/298
23時間で乗れる子どもも!補助輪なし自転車練習のコツ

 

11歳まで乗れず、乗れなかった頃の記憶が非常に鮮明な僕にとっては、とても当たり前のことだと感じる。大事なのはまず、バランス感覚を養うことなのだ。
しかし、こんな当然のことがいまだに世間に浸透しておらず、いまだに「自転車なんて転んで覚えるもんだ」式の練習が世の中に生き残っていることに悲しみを感じる。

正しい教育法は子供に自信を生み、自分の人生を切り開いていくチャレンジ精神を育てる。

変な教え方をされて人生をゆるやかにこじらせた僕としては、すこしでも正しい指導方法が世に広まってくれればいいと思う。

 

〜加藤家の場合〜 
①最初に何を買うか

選ぶ自転車だが、間違いなく一番いいのは

「へんしんバイク」http://www.henshinbike.com/

「ペダル脱着型ストライダー」https://shop.strider.jp/shopdetail/000000000039/

などの、ランニングバイクからシームレスにペダルつきに移行できるタイプのものである。
本当は僕もこれがいいかなと思っていたのだが、ともに20000円台と結構に高い。
迷っていたら近所のユーズドショップで中古のストライダーが3000円で出ていたので価格に負けてそっちを買ってしまった。

それでも冒頭にリンクした記事の内容にもあるとおり、乗れるために大事なのは平衡感覚の育成なので、その部分では大差ないと思う。
いずれにしろストライダー系を安くても一つ買っておくと、乗れるまでの年数にそれなりの差は出ると思う。(エビデンスはないが)

 

②目標は自転車を漕ぐことではなく、「下り坂で足ハの字」をすること

乗れない子の最大の原因は「漕ぐ」と「バランスを取る」を同時にできるようになれと言われることなのではないかと思っている。

ちょっと自転車の歴史をひもとくと、最初はペダルつきの乗り物ではなく、ストライダーのように蹴って進んで遊ぶものとして二輪車は作られたらしい。
それがあるとき、下り坂なら足をつかなくてもすいすい乗れることに誰かが気づき、そこへペダルやエンジンを付けて、乗り物としての完成を見たらしい。

ということは下り坂ですいーっと下れれば、もう乗れるということなのである。
よって最初の練習は下り坂を下ることを目標とした。
なおそのとき足をハの字(はのじ)にすると、足をつかずに乗れる目標となる上、平衡バランスもむしろ取りやすくなるので、これを実戦的なハードルとして設定した。

こうして、

3歳前ぐらいに与えたストライダーで徐々に2輪感覚を育成しながら駆け回り、

 ↓

下り坂があるときに「ハの字でGO!」と一緒にやって見せながら練習させ、

 ↓

すすっと自転車に乗れるようにするぞ……

 

と目論んでいたが、実際、そう簡単には「下り坂で足ハの字」は達成できず、「まあまあできる雰囲気がするかな……」ぐらいで上達は打ち止めになってしまった。

なお、3歳ぐらいからストライダーで両足ウサギキックをかまし、ビュンビュン飛ばしている男子がいるが、あれはもう天性に平衡感覚が優れているタイプである。
あれができるということは、両足離しが何も意識せずともできるということなので、最初のひと漕ぎ目からいきなり乗れるタイプである。こういう幼児のことはここでは取り扱わない。

 

③いつ自転車を買うか。何を買うか。

これもみんな悩む問題だろう。
加藤家は事情により一度ここで挫折しかけたが、僕の工夫と努力により何とか切り抜けることができた。

買うのは10kg以下の軽量で、補助輪が無いタイプのものが良い。
へんしんバイク系を買っているならそのまま14インチで移行になるだろうが、身長100cmあれば16インチでもいける気がする。
そんな理想を持って4才の誕生日間際に自転車屋に行ったのだが、なんと子供が選んだのは12kgもある補助輪有りタイプのもの。
ここまで指導プランをそこそこ実現できそうになっていた僕としては、いちど家に帰り子供を説得しようと思ったのだが、諸般の事情でそのままそれを買うこととなった。

子供としてはこれはこれで気に入り、ガコガコと補助輪の音を震わせて爆走していたのだが、僕の心には「乗れないロードまっしぐら」の自分の幼少期が思い出され、心も割れんばかりであった。

そして久しぶりにストライダーに乗せてみると、補助輪自転車に乗る前よりも明らかに平衡を取るが下手になっており、「俺のここまでの指導が無に……神よ……」と天を仰ぎ見るような気持ちになった。

補助輪は悪である。子供に「大人と同じ乗り物に乗れた!」という達成感を一時的に味わわせることはできるが、それは決して自転車上達のプラスにはならない。むしろ大きなマイナスになる。

余談だが、補助輪つき自転車を買うか悩んでいるときに自転車屋の店員が「大丈夫ですよ! 途中から補助輪を一個外すなどの練習でだんだん乗れるようになりますし」と言ってきたとき、「あ゛!?おまえそれでも自転車でメシ食ってる人間なのか?」と思わず食ってかかりそうになった。

僕は小学生の時に叔父にその練習をさせられたのが、アホみたいにコケ続けるだけでちっともうまくならず、自転車の練習をするのが大の大の大嫌いになってしまったのだ。
あの店員に自転車を売られる子供たちが、練習を嫌いになることがないことを切に願う。

 

④「達成感>挫折感」を保つ

幸いだったのは、子供が「補助輪があると障害物に引っかかりやすい。あと段差で空転する」という点に気づいたことである。

ここまでストライダーに乗り慣れてきた彼女にとって、明らかに走破性に劣る補助輪の自転車は不合理な乗り物に思えたのだろう。
その発言をきっかけに、補助輪は即刻で取り外してしまった。

そこから補助輪なしで一応乗せてみたが、まあ乗れることはなく、超絶極度の怖がりでもあるので旧来式の「転ばせる自転車練習」に果敢に挑戦することもせず、「ぐらぐらして怖い」と自転車に乗ろうとすること自体をやめてしまった。

僕はそれいいと思う。「転んだ回数だけ乗れる」って一体なんなんだと。
大人でもそうだが『達成感>挫折感』であれば人は何でも楽しく取り組むが、『達成感<挫折感』になれば取り組むのがアホくさくなるものである。教育学用語で言うところの「学習性無力感」である。
旧来の自転車練習は特に『達成感<挫折感』になりやすく、僕もそれで練習させる気はなかったのでここで無理押しはしないことにした。

 

⑤「きっかけ」が来た!

それでも子供の「やっぱり補助輪をつけて欲しい」という頼みは頑として断り続けてきたのだが、初夏のある日、育児用自転車に子供を乗せて自然観察サイクリングに出かけたところ、「自転車に乗って出かけるの楽しいね!」と急に妙なポジティブさを見せたのである。

これはチャンスだ!と勝機を見いだした僕は、例の『足ハの字』理論をもう一度繰り出し、「ストライダーで足ハの字ができたら自転車に乗れるよ」と諭したところ、子ども自ら、眠っていたストライダーを引っ張り出してハの字の練習を始めたのである。

こうなったらもう、ゴールまでは一瞬だった。
ストライダーで「下り坂足ハの字」→「ウサギキック乗り」→「下り坂カーブ」ができたあと、ペダルを取り外して座面最低高にした自転車で同じメニューをクリアさせる。
本人が「ペダルをつけてやってみたい」と言い出したのでつけてみたが、ほぼつけた瞬間からスイスイである。
この間、約2週間ほど。

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ペダルなし自転車で、下りカーブ練習。(転ばせないように必死)

このペダルなしでやって、達成感の連鎖を作るのがポイントだと思う。
きっかけをうまくとらえて、いい連鎖が作れた。
最初は僕の自転車練習理論を半信半疑で聞いてきたかみさんも、この上達ぶりをみて多少は信じてくれたようだった。

もちろん転ぶ練習も必要なので、そういう練習もしたが、それは基本的にある程度乗れるようになってからでいいような気がする。だって普通は嫌になるし。

 

以上、僕なりの1年ちょいに及ぶ長期計画の下での自転車指導に関する記録である。
補助輪つき12kg自転車を買ったときは達成は無理かと自信を失いかけたが、体重50kgの女性でもハーレーに乗れるんだしと自分を励まして指導を続け、何とか達成できた。

これを機にこの子が、自分のできないことにも挑戦する気持ちを少しでも持つことができたらいいと思う。