「鴻巣警察署ですけど……」の、電話の一言でほぼ全てを察した。
残業中、スマホが職場でふるえた。
詐欺ではないことは容易にわかった。
おそらく、埼玉県鴻巣市に住んでいる独身の叔父に、身の上の何かーー最悪の場合突然死ーーがあったのだろう、と。
鴻巣に住んでいる叔父は、父の兄弟の末弟、兄弟の中で唯一の存命者であったが、極度の変わり者でもあった。
身長は150cm半ばもないむっくりとした風貌で、技術者として働いていた。
そして今で言う、リベラルな価値観をいち早く体現して生きていたような人だった。
結婚式も来ない。親戚同士で集まっても頭の下げ合いなんかしない。父親の葬儀に礼服も着ない。旧来的なニホンの価値観の全てを否定して生きてやろうとしているように、僕には見えた。
子供の頃は、叔父があれこれと構ってくれたことはない。
2ヶ月に1回ぐらいは帰省してくるが、大人同士で喋るか、文庫本を読むかして過ごし、一泊して帰っていく。子供が話しかけても返事をしてくれない。
子供から見たら一番絡みにくいタイプの大人だった。
家族に対する好き嫌いも激しかったようで、唯一仲が良かった僕の父とも人生の後半には仲違いしてしまっていた。
仲違いする前に、父に説得されて(?)買った埼玉のその一軒家に、自分の人生を埋葬するかのように、2021年、孤独に亡くなった。
僕は亡くなるたびに家族のことをネットで記事にしている。
祖父
昭和二十六年、祖父の贈賄容疑を探る(2009.10.15公開記事を再掲) - まさゆき研究所
父
台湾の「あの宮殿みたいなホテル」に泊まってきた :: デイリーポータルZ
真ん中の叔父(叔父1)
叔父の遺品を紹介します(デジタルリマスター版) :: デイリーポータルZ
祖母
JALのカバンが語る、45年前の海外旅行 :: デイリーポータルZ
でも叔父のことは何となく書き損なっていた。
とにかく後始末が大変だったのと、他の家族のようにカラッとネタにできる部分が少なかったからだ。
①なぜ僕に連絡が来たのか
警察が探し当てた叔父の連絡用手帳の、一番最初のページに僕の名前と電話番号が書いてあったかららしい。
おかげで僕は警察対応から喪主、相続処理の担当まですべてを請け負うことになってしまった。
なお、亡くなったのは1月末で、死因は不明。エアコンではなく灯油ストーブで暖を取っていたため、灯油が切れて寒いままだったので、死後1週間経っても損壊はほとんどなく発見に至った。
発見は近所の人からの通報らしい。姿も見ないし、電気も24時間点いたまま。新聞も溜まっている。誰が通報してくれたかはわからずじまいだった。生前の叔父の生き方を物語る感じが少しする。
②どこで葬式やるんだ問題
畢竟、結婚していないということは加藤家代々の墓に納めることになるのだが、葬式をどうするかがまず問題だった。
鴻巣市で葬式やっても誰も来れないので、加藤家の手継寺でやらざるを得ないのだが、鴻巣市の警察署の遺体安置所からどうやって都内の寺まで遺体を運ぶんだ問題が浮上する。レンタカー借りて運んだらレンタカー屋に怒られるだろうし、自分の車で運ぶのも避けたい。
結局、手継寺で葬儀の予約をし、寺に出入りの葬儀屋経由で遺体運搬業者を頼んだ。
葬儀当日は、火葬の順番待ちの都合で、朝早くから真冬の都内に入ることになった。
中野の跨線橋から行き交う中央線を眺めているさまはeastern youthの曲「東京快晴摂氏零度」そのもの、浮遊感のある現実だった。
コロナ感染流行の渦中で色々気を使ったが、葬式も納骨も無事終わった。
③家屋敷の管理と近所あいさつ
まずは家屋敷の整理をしないと何もかもがわからないので、ヒマを見つけては鴻巣市まで足を運んで整理をした。が、叔父は信じられないほど物を捨てない人だったので、せっかくの一軒家も荒廃の極みにあった。
じつは警察の方から「叔父さんはまだ六十代だったそうですが、認知症とかはなかったですか?」と聞かれたのだが、それを疑われても仕方がないレベルでゴミと埃クズの平原ができていた。2階には数年レベルで上がっていないようで、緩衝材として使えるんじゃないかみたいな厚さの埃が階段に積み重なっていた。

これを徹底的に掃除しながら、向こう三軒両隣に菓子折り持って挨拶に回った。死体変死の館とか噂を立てられたら、家屋敷の売却に支障をきたしてしまうので、丁寧に説明をした。
なんだかんだで、これに3ヶ月ぐらいはかかった。
④遺産の処理ならまかせなさい、のはずだったが……
僕は遺産の処理なら意外と慣れている。叔父1、祖母、父と何度も場数を踏んでいる。特に叔父1の時は郵便局で局員とケンカをし、保険屋と電話で30分大揉め、と本当に大変だった。
それに比べれば……と思って臨んだが、結局は自動車の名義変更で陸運局の職員とケンカになってしまった。
陸運局は遠方から来る甥が名義変更をする場合などを想定せずに稼働しているので、ちょっとした必要書類の伝達ミスでどれだけのロスが発生するかをわかっていない。このときは話のわかる上司が出てきてどうにかしてくれた。
ちなみに処分を進めるのは、車→現金→家屋敷の順が鉄則らしいです。
⑤貸金庫つかうのやめてくれ
叔父1の時も苦労したのだけど、上の世代の人は貸金庫に何かを預けるのを好むのだが、突然死された時にあれほど面倒臭いものも無い。鍵がどこにあるかもわからないし、貸金庫ルームに入るためのカードというのも、どこにあるかわからない。
相続人だと認めてもらって貸金庫を開けてもらうまで、信じられないぐらい手数がかかるめちゃくちゃに面倒臭いシステムだ。
あと株とかも、同じ証券会社に口座を作らないと相続できないという意味不明なシステムが取られているので、僕はそのためだけに野村證券に口座を作った。バブル崩壊期に東京で育ったので、「野村證券」とかそういうの散々バカにしてきたため、そこに口座を作っている自分がちょっと面白くもあった。
⑥家系図
子を為さずに亡くなった人の親兄弟が全員死んでいると、相続人は甥姪、つまり僕から見ると「いとこ世代全員」となる。普段から従兄弟たちとは一緒に住んで育った兄弟のような仲なので、そこに問題はなかったのだが、取得しなければいけない戸籍謄本の量がすごいことになった。
親兄弟含めて、どこかに相続する権利を持つ人間がいないかを証明する戸籍を全部揃えると、一番古い戸籍には江戸生まれの人が載ってるぐらいまでになった。

せっかくなのでこれを元に家系図を作ってみたら、A3いっぱい、「ファミリーヒストリー」撮影できるんじゃないかぐらいの物ができた。これを機に、親から聞いていた噂と合致するかを確かめたりできたので、いい機会になった。「定年後に家系図を作るおじさん」が頻発すると聞いていたが、確かに埋め始めると面白くなってくるので、その気持ちがよくわかった。
しかし僕は20年ぐらい先取りでこの趣味を極めてしまったので、ちょっと勿体無い。
⑦家屋敷の売却
車を名義変更して売り、預金や証券も処理を終え、遺産相続もあとは家屋敷を残すのみとなった。まずは全部僕の名義に変更したのち、何件か見積もりを取って、鴻巣市内のいい感じの不動産屋に委託して買い手を探すことにした。
不動産屋さんに「不動産売却は初めてではないようですね」と言われる。相続初心者ではない雰囲気が出てたのかもしれない。
あせってもいいことはないいので、ちょっとづつ値を下げながら買い手がつくのを待つ。そのあいだ、3ヶ月に1回ぐらいは草刈りと屋敷管理のために鴻巣まで赴いた。
一人で、秋の日差しを浴びながら縁側に座り、亡き叔父の遺した古いタバコを吸いながら刈り取った草の山を眺めているのには何とも言えない人生の情感があった。
僕はかつて2度ほど、叔父が引っ越したばかりの頃にこの鴻巣の家に遊びにきたことがある。小学校5年生の頃だっただろうか。
兄である僕の父に勧められて戸建を買ってはみたものの、明らかに叔父は持て余していた。日曜の朝に尋ねると、梨が、皮を剥かれたあと一口かじった梨が軽く干からびてコタツの上の灰皿の横に放置されていた。
僕は幼いながらも、その干からびた梨に、独身であることの哀しみのようなものを強く感じ、将来は結婚とかしたほうがいいかもなということが、心のどこかに刻まれた気がする。
それっきり僕は鴻巣の家に足を向けることはなく、そこから35年が経って、いま、叔父の亡き後のそのコタツに座り、あの時の灰皿にタバコの吸いさしを置いている。人生というものは、このように過ぎるものなのだろうか。
⑧さようなら鴻巣の街
叔父の死去から約2年が経過したあたりで土地の買い手がついた。
荒廃した家屋敷の部分はとりこわして更地にする契約で話がまとまった。最後の取引は、とある都市銀行の大宮支店で行われた。その日は雨で、それでもどうしても観光したく、小雨が降る氷川神社の参道を3kmぐらい延々と歩いた。なるほど、こんな大きな神社があるから「大宮」なのか!と、雨の中でも結構楽しく散歩できた。
鴻巣の街も少しだけ詳しくなった。ひなびた町の寿司屋とか、なんか人気っぽい団子屋とか、行くたびにうまい店がないかさがして食べるのが楽しみだった。一番美味しかった「次念序(じねんじょ)」というつけ麺屋さんは、それを食べることを目的にしてもいいくらいの三つ星ラーメン店だった。
相続の手続き的には、このあと。僕の居住地である地元の税務署におもむき、不動産の売買を通して発生した利益を確認して相続税やら所得税の精算に入るわけだが、バブル崩壊直前に新築で買った鴻巣市の家屋敷がそこから値上がりしているわけもなく、清算は無いようなもので終わった。
それよりもこの日、信じられない強風で、臨時駐車場から申請会場まで吹き飛ばされそうになった記憶が強く残っている。
思えば鴻巣も風の強いところだった。
いちど、ためしに電車で行ってみたら、駅から叔父の家までものすごい強風でびっくりしたことがあった。もうあの家に行くこともないかと思うと一抹の寂しさがある。
この記事を書くにあたってGoogleマップを見たら、その土地にはぴかぴかのソーラーパネルが載った家ができていた。買主は、高校生の娘さんがいる僕より少し年嵩のご夫婦だった。高崎線沿線で、手頃な土地を探していたらしい。
新しいご家族が、あの土地で幸せな暮らしを送ってくれることを心から願っている。










































