先日、僕の恩師である古久保-徳永 克男先生の退官記念パーティーが開かれた。
実はコロナ流行直前に先生は退官されているので、4年越しの念願が叶っての開催となる。先生も元気に喜んでくださって、本当にいいパーティーとなった。
僕は卒研生として1年間だけの在籍だったのだけど、今の自分と切り離すことのできない大切な示唆を得た時期だったように思う。
その頃のことを書き残したい。
古久保研(Lab.KFT:Katsuo Furukubo-Tokunaga)とは
古久保-徳永 克男先生は、ショウジョウバエの神経発生学を専門とされている。
スイスにある大学でヴァルター・ゲーリングという世界的に有名な生物学者に師事したのち、僕の母校である筑波大学に研究室を開いた。
ゲーリング博士は、今や高校の教科書にも載っている「ホメオボックス」を発見した伝説的な生物学者である。大師匠が世界的な著名人というのは、頭ゆるゆるの生物学生だった僕に不思議な高揚感を与えてくれた。
そんなスイス帰りの古久保先生からそよそよと漂うソフィスティケーテッドされた風は、一味違う雰囲気を当時の学部内に吹き込んでいた。
生物学の持つちょっと泥臭いイメージとは全く無縁の、すっきりとしたラボの中にはMacintoshがたたずみ、先生はメールソフトのEudoraをドイツ語読みで「オイドラ」と呼んだ。
先生のオフィスには共焦点レーザー顕微鏡で撮影された画像がシンプルモダンに飾られており、そこで開かれる週に1回のセミナーのときにはラボメンバーの中央にハンドドリップのコーヒーに満ちたサーバーが涼しげに置かれた。
ちょっと記憶の改変もあるかもしれないが、とにかく上質な空間であったことは確実だ。
なんで私が古久保研に?
そんな洗練された研究室に、何で僕のようなトリあたま学生が迷い込んでしまったのか今でも不思議な気持ちになることがある。
大学3年生当時、僕は生物学との倦怠期で、すっかり文学や教育学の方が面白くなっており、どのラボを見ても研究に全く興味が持てない閉塞した時期だった。
系統分類学を学ぼうとは思ったのだが、狭い領域の未記載種や未詳の動物群を研究することに興味が持てず、さてさてー……と思いながらふと目を向けた古久保研の研究内容はたいへんにエキサイティングだった。
脊椎動物と無脊椎動物の遺伝子の共通性に目を向けつつ、脳や神経、学習に対する遺伝子の影響まで視野に入れている。広い視点に立つその研究的な鮮やかさは、枯れかけた理学への興味にふたたび火を灯してくれるような科学的冒険性に満ちていた。
しかし僕は4年生になる前に教員になることを決意してしまったので、深い研究生活に入ることはなかったが、先輩たちの研究発表を毎回興味深く聞けたので、間違いなく最善の選択をできたと思っている。
日雇い的研究生活
院生時代も含めて、僕の学生生活の最大の反省点は、自分での研究テーマ設定がからっきしできなかったことである。
研究室に所属するも、基礎的な知識が全く不足している僕を見て「加藤君は勉強が足りない……」と嘆息しながらも、先生は研究テーマらしきものを与えてくれた。スクリーニングという、まあとにかく面白そうな挙動をする遺伝子が無いか、ひたすらにハエの卵を染色して観察し、探しまくるという、土方的な作業である。
ラボに入れば自然と手持ちの文献とか増えるのかしら?と思っていたのと裏腹に、1年間ひたすらハエの卵を染め続けた僕の本棚には何一つ文献は増えなかった。そのかわり、ショウジョウバエの飼育ビンを洗ったり、エサビンを作ったりするとアルバイトのこづかいがもらえたので、それは一生懸命やった。
退官パーティーで先生は「まあ加藤君は、真面目にやってたよね」と、当時のことを回顧してくださった。確かに半熟卵のようにぐでっとしていた3年生の頃と打って変わって、毎日せっせと研究室に通い、先輩に可愛がってもらいながら暮らせていたので、あれはテーマと仕事を与えてくれた先生のおかげだったと思っている。
魅力的なメンバー
僕は大学院からは教育学に専攻を変え、理学の道を離れたのだけれど、何のかんので話を聞いてくれる先輩がいる古久保研究室(Lab.KFT)に顔を出すことがきわめて多かった。
Mr.古久保研といって誰もが認めるのが(それは古久保先生ご本人なのではないかというツッコミはさておき)、いまは国立遺伝研の広報をされている来栖さんである。
兄貴分肌の来栖さんから見ても、いじり回しやすい後輩が入ってきたのは面白かったらしく、あれこれとよく遊んでくれた。しょうもない僕にびしっと言ってくれることも多々あり、「お前は年上の人が自分を助けてくれて当然と思いすぎてるんだよ!」と言ってもらえたときは、自分の至らない側面をハッと自覚できたのを鮮明に覚えている。
その他後輩でも、さっと検索しやすいところだと、諸般の事情でテーマは生殖細胞ながらも同じ部屋にいた林さん(現・筑波大学助教)、いまは国土交通省で活躍する戸谷さん、また古久保研の後の時代においてキーパーソンになった本庄さんなんかがいて、学生らしく遊びながら楽しく過ごすことができていた。
朝日新聞デジタル:港湾系70事務所で初の女性所長 - 山口 - 地域
林 誠 (Makoto Hayashi) - ショウジョウバエ始原生殖細胞における遺伝子量補償の欠如による生殖系列の性決定機構 - 講演・口頭発表等 - researchmap
ショウジョウバエを使って私たちの痛みの謎に迫る ~痛覚神経機能に重要な遺伝子を多数発見~(2016.06) – COTRE(コトリ)|COmmunity of Tsukuba REsearchers
古久保先生は、ご自身の海外研究生活を振り返って「パーティーをしているか研究をしているかのような生活だった。そして素晴らしい成果はどんどん出た」と思い返されていた。
いい成果は、まずみんなが居たくなるような場から、という哲学を僕も身に沁みて学ばせてもらったように思う。
「うまくザイルは伸びるか」
古久保先生は登山が趣味で、山のことを時折話される。山岳装備で雪の中にいるときの写真を見せてもらったこともある。(そして滑落して死にかかったこともある、と言っていたような気がするが、ここは記憶があやふや)
先生は物静かでクール、村上春樹の小説の主人公が飛び出してきて目の前にいるような雰囲気の方だが、退官パーティーではいろいろと思いを語ってくださった。
学生だった頃、登山のチームを組む際に、各々の技量もさることながら、チームのメンバーが普段から飲みに行き、コミュニケーションを取れているかが大きなファクターとなるのだという。そういうところがうまくいかないと、いざというときに「うまくザイルが伸びない」のだと。
先生はチームワークやコミュニケーションのことをあまり口に出さないイメージだったので、OB/OGはちょっと意外だと思うと同時に、穏やかな眼差しでラボの学生を見てくださっていたことに胸が熱くなった。「うまくザイルが伸びない」。先生らしい、深みのある言い方が心に残った。
パーティーでは、多くのOB/OGの活躍を聞くことができて、大きな刺激になった。
最近ぼくはミドルエイジ・クライシスそのもので、人生も仕事も折り返し地点をむかえた自分を受け止めきれていなかったのだが、それぞれの場、新しい場で活躍するメンバーの話を聞いて、再び奮い立つ気持ちを手にすることができた。
人生が吹き溜まったときに、いつでも風通しの良い窓を開けてくれるLab.KFTに所属できたことは、僕の人生において欠かすことのできないピースだったと思っている。