世の中にある楽しそうなこと全部楽しみたい、そう思って生きている。
ロックフェスも鉄道の旅も街角観察も、何でも行ってみれば、やってみれば、楽しい。デイリーポータルのライターもそう思って9年間続けてきた。
しかし最近いくつかのものをどうしても楽しめなくて、悔しい思いでいる。
YouTuberとスマホゲームとSNOW。
世間で大流行しているので、ちょっと触ってみたのだけれど、何が面白いのか全然共感できなくてやめてしまった。
YouTuberは細工の利いていない悪ふざけに見える。スマホゲームは同じシステムに違う絵を乗っけただけじゃないのか。SNOWに至っては意味不明だ。
と思い切って否定してみたが、若い頃は僕らもやはり同じようなものに夢中になっていたように思う。
深夜ラジオやファミコンやプリクラ。
僕らの親世代はおそらく、それらに若者が大盛り上がりになるのをこんな気持ちで見ていたんだろう。世代は繰り返す。
でもYouTuberは深夜ラジオよりたぶん少し面白いんだろうし、同じようにスマホゲームもSNOWも、少し面白くなっているはずだ。その「少しだけ面白くなっている部分」を味わえないのは、やはり悔しい。
なんというか、僕らの脳は「人生の中でそういう種類のものに盛り上がれるのは1回だけ」であるようにできているのかもしれない。
とすれば若者たちもそのうち僕と同じように新しいものを思えなくなるんだろう。
そして今僕がやりたいことに共感してこう思うに違いない。
「盆栽やりたい。何もかも忘れて、ひたすら夢中に盆栽やりたい」と。