まさゆき研究所

ライター・加藤まさゆきのブログです。デイリーポータルZなどに記事を書いています

VRゴーグルで首を痛めた結果、頚椎にネジ6本打ち込むことになった話(後編)

あらすじ(詳しくはリンクを)

・右肩〜腕の痛み/痺れを感じて通院
・頚椎ヘルニアの悪化した「頚椎症性神経根症」と診断
・2年かけて4人の医師の先生に診てもらった末、意外に大がかりな手術となる「頚椎前方除圧固定術」を受けることを決定

2024年4月 四谷先生の診察(手術の1ヶ月前)

手術する前提で病院を変わったので、四谷先生との打ち合わせの焦点は「手術する/しない」ではなく、現実的な手術の日程とリスクなどについてとなる。

病変部を除去しても神経損傷はすぐに回復しないため、長い期間で回復を見ていく必要があること。手術しても10人に1〜2人ぐらいは症状の改善が無いこと。その他、気道や脊髄へのダメージのリスク、など。

「人間が人間に対して行うことなので。100%はありません」

四谷先生がクールに手術のリスクを説明していくにつれて、僕は手術に対する恐れより、こんなリスクが存在する作業を日々の業務にされている脊椎の専門医の先生方への畏敬の念のほうを強く感じるようになった。

僕も教員という職業をかなり真剣にやっているつもりだし、その重要性を自分でも信じていることが仕事のモチベーションになっているけれども、生命機能の根幹部の付近をドリルで削ったりネジを埋めたりするリスクを負い続けることに見合うモチベーションとは、いったいどこからやってくるのだろう。

説明が終わったあと「何か聞きたいことはありますか」と言われたので、思わず率直にそんな気持ちを恥ずかしげもなく喋ってしまった。
四谷先生は「ちょっと大げさに言いすぎましたかね」と少しだけ照れ笑いをされた。

 

2024年5月 入院

1ヶ月仕事を休めるように段取りをモーレツ社員ばりの勢いで進め、手術前日の朝にすべりこむように入院する。
麻酔科医の先生と面談。「前もうちでやったことあるねー」と和やかにお話。
しかし全身麻酔の手術は3回目だが、やはり緊張する。下手にあの感覚を覚えているだけによけい緊張する。

何というか、臨死体験に近い。意識がふうぅっと遠退いていきプツッと途切れる。
時間の経過の感覚は無い。
夢を見ていたような記憶も無く、すっと目が覚める。
その間にノドを切り裂いて、首の骨を削られ、ネジを埋められても気が付かないのだからすごい。全身麻酔を体験してから、人間にとって意識とは記憶とは感覚とは何なのかを深く考えるようになってしまった。

 

手術当日

朝ごはんは食べずに術着に着替え、朝イチで手術室に向かう。
前回は足の骨折だったので車椅子だったが、今回は自分の足で歩く。
ナースステーション裏のエレベーターから病院の深奥部に踏み入れる感覚がぞわっとする。

手術室に着く。静かな水面のような心持ちで、手術台の上に自分の足で乗り、寝転ぶ。酸素マスクをかぶせられ、脳波のハチマキみたいなのをつけられ、点滴の管は左手の甲に刺さる。針が太くて痛い。

サインした「手術同意書」には「執刀直前まであなたには手術を断る権利があります」と書いてあった。理論上はここで拒否することもできるのか、と不思議におかしい気持ちになる。

全身麻酔のための導入薬が左腕にジジッと染み込んでいくのが、いつも通り最後の記憶となって意識が途絶えた。

 


その間にこうなる

集中治療室(HCU)へ

すきっと目が覚める。
ゴロゴロとストレッチャーで運ばれる目の前には四谷先生と家内がいた。
4時間かかったらしい。もう昼の2時だという。ぼくは最高の睡眠が取れた朝のような爽快さでハイテンションに喋りつづけていた。麻酔の薬がなんか変な方向に効きすぎたのかもしれない。手術の顛末を簡単に聞き、そのままでHCU(ICUよりも一段階緊急度の低い集中治療室)で一晩バイタル管理をされながら過ごす。

あらかじめ分かっていたことだが、この部屋では何もすることができない。
術後すぐなのでベッドから起き上がれないし、ラジオもケータイも持ち込めない。酸素チューブほか3〜4本の管が刺さったまま天井と心電図をただ眺め、考えごとをして過ごす。

ーー何でこんな病気、なったんだろな。

ーー手術の効果、出るかな。

考えてもしょうがないことばかり思い浮かぶ。
前の骨折と違って、今回は原因が「老化」である。誰にとっても老化は予想もしなかった方向から襲いかかってきて、心の準備をさせてくれない。
でも手術&1ヶ月の入院療養で済むのだから、まだましな方かもしれない。友人や家族の幾人かは若くして癌で亡くなった。あれも老化だ。それに比べれば手術して補修できる老化なんてたいしたことない。

いや、補修できているのだろうか。

肩が猛烈に痛い。

手術中に意識の無いまま変な体勢をとりつづけていたのだろう。肩甲骨の奥の方から強い疼痛がする。手術のせいで余計悪化したのだったらどうしよう……職場にも家族にも迷惑をかけたのに……

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……と、このときは不安でたまらなかった。
しかし術後3週の現在で、ものすごく治療の結果が出て、手術の成果をかみしめている

このブログ記事を書いているのも、同じ手術を受ける人のこのHCUでの不安が少しでも和らげばと思ってのことだ。
僕だけの話でしかないが、この痛みは3日経つ頃には弱まり始め、退院する頃にはほとんど消えた。手術で病変部付近のバランスが不安定になったのだろう。

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暗いことばかり考えて何時間も過ごしてもしょうがない。
首の傷口を確認するために看護師さんから手鏡を借り、部屋のようすを鏡に映して観察して、スパイ気分で部屋の構造を類推したりとか、そんなことで退屈をしのいでいた。

それも飽きたので、試しに息を止めてみた。そしたら心電図にアラートが出たので、あわてて呼吸を再開した。

代わりに何を考えたら心拍数上がるのかなと実験してみたが、大した成果は出なかった。

そうこうしているうちに20:30の消灯となり、電気が消えた。
寝付けない人が多いらしく、看護師さんのほうから睡眠導入薬を勧めてくれたので飲んだが、それでも深く眠るのは難しかった。

 

病室にもどり

翌朝、病室へ運ばれて戻る。

当初、頚椎の間に腰の骨を採取して埋める予定だったのが、四谷先生の現場判断で「このケースは人工骨でも大丈夫」となり、体の負担を軽くするため人工骨での施術となった。
(黒いマーキングだけが腰に残されていた)

それなら歩くことも翌日ぐらいには可能かなと思いきや、リハビリ担当(理学/作業療法士)が来ないと歩くことはできず、担当が来るのは土日を挟んでの2日後なので、それまでベッドで寝てて下さい、ということになった。

これで何が困るかというと、「歩いてトイレに行けない」ことだ

尿はカテーテルから出ていくので不便はないが、そうではない方が問題だ。
ごはんは3食ふつうに供されるが、体外に出すことができない。出せないのが嫌なので食べたくないのだが、すると「この患者、栄養が取れてない」ということになり、点滴を外してもらえなくなる。そうすると結局歩く自由はなくなってしまう。
というわけで、「歩きたいならウンコを48時間我慢しながら、1日3食をたべる」という結論となるため、6食分を消化管内に溜め込む羽目になった。これはつらかった。

そんなことより、痛み/痺れの回復の話をするべきだった。
首の傷口の方は驚くほど何の痛みもなかった。執刀チームが凄腕だったのだろうか。定期的に点滴される鎮痛用の麻薬増加ボタンを押すこともなく過ごすことができた。

(麻薬増加ボタンについては、7年前の入院時の記事を読んでください)

起き上がってから退院まで

しかし痺れの回復の方はかなり雲行きが怪しかった。なんか悪化した予感がするのだ。

日常動作をしていないから回復してるか分からない上に、術前にはなかった痺れや痛みがかなり出ていた。特に不安になったのは、箸やフォークが痺れで持てなくなったことと、歯磨きで右腕がめちゃくちゃに痺れる症状が発生したことだった。「あれ、自分もしかして手術の成果が出ない1〜2割の方だった?」と手術後2〜3日は不安でたまらなかった。
(これも退院し、日常に慣れた環境に戻ってからはすすっと痺れも出ないようになり、術後3週間の今は全て普通にこなせるようになった)

 

月曜になりリハビリさんも来て、歩く練習が始まった。
と言っても腰骨にはメスを入れてないし、まだ40代の男子なので、全く問題なく歩くことができる。
術前の麻酔科医の先生との面談では「むしろ首より腰の方が痛くて歩くのが大変だと思うよ」と言われていたので、その腰の傷が無いというのは大変助かった。
あちこちのインターネットで「歩けるようになったら退院」と書いてあったが、もう歩けてしまったので、なんか早くに退院できそうな予感がしてきた。

そしてその予感通り、術後1週間でのレントゲン・CT・血液に異常がなかったので、早々の退院となった。もちろん自宅で安静にしていなければならないのだが、病室で診るほどでも無いだろうことなのだろう。

 

2024年6月 (手術の3週後まで)

そして術後3週目までの回復の様子。

手術前の状態なのだが、右手の人差し指と中指に軽い感覚麻痺が出ていた。この症状の悪化させたのは病院での検査である。

レントゲンを撮るときの背筋を伸ばした姿勢が悪い。5秒、10秒単位で痺れがどんどんゲリラ雷雨のように悪化していくので、技師さんに「早く、早く撮ってください!」と顔をしかめてお願いすることもあった。

さらに悪いのはMRIである。
あのときに使うマクラの高さと硬さが、負のツボ治療みたいな感じで神経根にダメージを与えてくる。高さを加減してもらったりもしたが、やっぱりだめで、撮影終了後、右上肢全体が強烈な麻痺状態になることもあった。

しかしこの麻痺が術後3週目あたりから順調に抜けてきて、手術の効果を実感している。
また術後2週間でレントゲン検査を受けたがその姿勢で痺れを感じることは無かったので、ああ、おれは良くなってるんだなぁ、と実感できた。
これ以外にも「ひげ剃りのとき」「おりたたみ自転車に乗る」など、必ずこの姿勢で強く痺れるんだよな、と感じていた各シーンで痺れを感じることが減ってきたので、確実に手術の成果は出ている。

痺れがゼロになったことはないのだが、体感的に、術前が10だとすれば、4〜3ぐらいまで減ってきている。(手術直後、いったん12ぐらいまで増えてあせったが)

まあとにかく、良くなっている。

 

傷跡とプレートによる圧迫

手術で避けられないのは傷跡だ。

僕は40代男性なので傷跡なんかどうでもいいのだが、女性はいくつになっても首にこんな大きな傷跡ができるのは嫌かもしれない。でも先生が首のシワに沿って切ってくれるので、思ったより目立たない。

それよりも引きつって動かなく感覚のほうが僕は気になる。
首の皮膚の柔らかな感じがなくなり、ぐいっと首をそらすことができない。
不便が出るほどではないが、まだ違和感に慣れない。

もう一つ、気道と食道を圧迫する感じのことだ。
プレートを埋めた厚みの分と、手術による腫れの分で、6〜7ミリだがノドの前方が押される形になる。これはそれぞれ「就寝時の呼吸しずらさ/声の出しにくさ」と「食物の飲み込みにくさ」として現れてきたが、慣れの問題かなと思える。

おやつに買い食いしていたナッツがのどに引っかかるんですよねー、と病室でリハビリさんにこぼしたら、「普通、病室でこんな固いもの食べてる人いないから!」と大笑いされた。

 

まとめ

最低でも術後4週までは骨が繋がっておらず安静生活なので、ゆっくりとブログを書いてみた。

発症から手術まで2年以上かけてしまったので、神経にずいぶんダメージを負わせてしまった。本当の回復度を見るには、半年、1年見ないといけないのだが、3週でもすでに手術の効果をかなり実感できている。まだまだ期待が持てそうだ。

何より、「自転車とウォーキングが再びできること」「これ以上悪くならないこと」がはっきりと手元に戻ってきたのが嬉しい。昔のように、やりたいことを指折り数える気持ちを再びとり戻すことができている。もう半年ほどしたら、回復の度合いをあらためて報告したいし、昔のように面白いブログ記事を書けることにも挑戦していきたい。

この記事が、同じ症状、同じ手術で悩んでいる人にとって、少しでも参考になればいいと思う。