まさゆき研究所

ライター・加藤まさゆきのブログです。デイリーポータルZなどに記事を書いています

あの頃の僕らが笑って軽蔑した神経痛

僕の父親は晩年、中程度のアルコール依存に陥り、家族はそれに悩まされてきたのだが、そもそものかけ違いは「神経痛」だったように記憶している。

定年後はバス旅行や山歩きに行きたいな、などと話していた父だったのだが、定年早々どっちかの足の神経痛を患ってしまい、外出が億劫になってアルコール依存傾向を強めてしまったのである。

僕はまだ20代で神経痛などなったことも無く、全然共感できなかったので、「あんなにやりたいって言ってたのに酒ばかりになっちゃうわけ?」と失望の気持ちばかりを父親に持ったものだった。

 

さて僕のことであるが、2022年の後半は神経痛&関節痛との闘いであったと言っても過言ではない。

2月から痛みだしていたのだが、秋以降は頚椎ヘルニアで右腕が痺れ、テニス肘で右肘が痛み、右腕が完全に使い物にならなくなった。(コピー用紙の束も持てないレベル)

しかも、どちらもサイクリング&ベンチプレスと、健康維持のために頑張っていた運動の結果として発症したものだったので、「もうおれは健康維持レベルの運動すらできないのか……」とかなりやさぐれた気持ちに陥ってしまった。

何の運動をしても右腕が痺れて痛くて集中できないし、医者からは「その運動で痛むってことは筋トレに向いてないからやめなさい」とたかだか16kgのベンチプレスにドクターストップをかけられる始末。
その結果、夜は毎日酒を飲むようになり、これまで気を使っていた食事も適当に高カロリーのものをばくばく食べるようになり、体重も体型もどんどん悪くなっていった。

そしてとうとう、正月明けの健康診断でとうとう「脂肪肝疑い」という見たことのないメッセージが出た。

数年前までマラソン大会を嬉々として走っていた僕に、この診断が出てくるとはさすがに思いもしなかった。ショックがでかい。
そして思い出したのが父親のことである。
僕の脳内に中谷美紀が流れる。

 

「あの頃の僕らが 笑って軽蔑した 恥ずかしい大人に あの時なったんだね」
(「砂の果実」中谷美紀

 

本当に父親のことを根性無しのように思って申し訳なかったと思う。

「神経痛」なんていうありふれた病名の症状が、こんなに人の心をへし折ってくるものなんだとは僕はつゆ程も知らなかった。

 

幸い、テニス肘は3ヶ月の安静で全快し、頚椎ヘルニアも痛むパターンが掴めてきた。
1月からは約1年ぶりでフィットボクシングを再開し、全アチーブメント攻略をめざして頑張っている。昼食も再び、セブンイレブンの袋野菜をメインに据えるようになった。

この1年間でまた一つ、人生で乗り越えるべき心の壁を乗り越えられたように思う。
もし次に神経痛になっても、5日連続で鳥の唐揚げ3人前食べながらビール2本空ける、とかしないようにしようと心に誓っている。