まさゆき研究所

ライター・加藤まさゆきのブログです。デイリーポータルZなどに記事を書いています

茨城県阿見町に住んでいたこと

僕は8年ほど前、茨城県阿見町というところに1年半住んでいた。

 鉄道の駅も無い平和な町で、自衛隊の基地以外にこれといった施設も無かった。町の面積のほとんどは広がる田園と森林である。

まあ当時は諸般の事情からここに住んでいたわけだが、ぼくはこの時期の体験から一つのことをごく肉感的に実感した。

それは「人間『どこにでも住める!』と思っても、実際そうでもないんだな」ということだ。

 

ひととおりのお店はあるのだが。

阿見町中心部である。

中心部には、人間生活に必要な店はひととおりあって、特に不便するということは無かった。

特に「マイアミショッピングセンター」というベタ極まるネーミングの施設にはまあまあの規模の本屋をはじめ基本的な店がそろっていて、「阿見の真ん中に住んでいる」と言うとむしろ「便利でいいねー」というコメントが返ってくるのが普通くらいであった。

しかしなんだろう、こう言うと失礼かもしれないけれど、この町は文化の「多様性」みたいなものを、どうしても欠いていたのだ。

スーパーはある。レンタル屋もある。ファミレスも回転ずしもある。そういう郊外ロードサイド的なものは一通りそろっていたのだが、気の利いた雑貨、心が和らぐ居酒屋、いい感じのコーヒー屋とか、そういった類いの店はどうにも期待できるものではなかった。

もちろん引っ越した当初は、「ここに来たからにはここに住もう!」と決意を決めて、イースタンユースの「片道切符の歌」などを心で口ずさみつつ阿見のいいところを探そうとあれこれ自転車などで動いてみたものだった。


03 片道切符の歌

 

だが、結局は解体工場の野良番犬の群れに追いかけられるのが関の山で、「多様性」など東武線の駅前一つ分も発見することができず、しょんぼりと探検期間を終えたのを覚えている。

そこからはほぼひきこもるように暮らしていた。思い出にあるのは、日曜の深夜にスーパーの半額刺身を食べながらビールを飲みつつ、『NHKアーカイブス』を観ていたことぐらいだ。

 

デイリーポータルへの傾倒

というわけで楽しみはと言えば、週末に都内の友達と飲みに行くこと、そしてライブに出かけること。

いまでも強く思い出に残るBOOM BOOM SATELITESや曽我部恵一オールナイトに行ったのもこの頃だ。ライブでの空気もさることながら、都内の雑多感を呼吸するために出かけていたようにも思う。

そして何よりも熱心に読んだのはデイリーポータルだった。当時のデイリーポータルには今よりも「東京の西側で河原とか見ながらぶらぶら暮らす」空気がもっと色濃くあったような感じで、阿見町に無いそのすべての成分にどんどん心を魅かれるようになった。ヒマな休日などは、ほぼ一日中デイリーポータルを見ているようになった。

@nifty:デイリーポータルZ:糸電話で市外通話

よく「上京」というイベントが人生の中であるとないとで創作のパワーはまるで違うというが、東京出身の僕にとってこの時期が心の中の上京だったようにも思う。あー俺はこういうことをしたいんだよなー、と憧れを抱きつつ悶々としてすごしていた。

 

阿見の好きだった店

はっきり言ってしまえば阿見は退屈だったわけだが、そんな阿見に好きな店が一つだけあった。鮮魚に力を入れているスーパー「タイヨー」である。

スーパー タイヨー【お買い得情報満載! スーパーマーケットのタイヨー】

タイヨーは銚子で仕入れた新鮮な魚を、わりとマイナーな魚種まで丸ごと売っていたりする個性的なスーパーで、築地とは言わないがアメ横級のその品揃えに心踊らせては買い込み、よく料理にいそしんだものである。

しかも価格も激安で、小イカや小アジなどは一山100円でいくらでも売っていた。退屈な田園が広がる阿見生活の中で、ぼくが最も熱中したのは「鮮魚さばき」だと言えるかもしれない。今でも懐かしんでこの店には行くことがある。

 

つくばに戻る

そして僕はそのあと29歳で結婚し、学生時代に住み慣れたつくば市に戻ることになる。つくばは若者も多く、わりと洒落た店もあり、住みやすい街だ。35分電車に乗れば山手線にも着く。

あれから8年経った。もちろん今も阿見町に戻りたいとは思ってないんだけど、あれがあったからデイリーを始めてからの記事を書く情熱も高まったのかもなあ、とは思っている。

新人賞だよ!おもしろ記事書こうぜ!

デイリーポータルとオモコロが合同で新人賞をやっている。

omokiji-award.jp

高校3年生の冬、僕はセンター試験の勉強がイヤになって、泣きながら自転車で夜道を走っていた。

「こんな塗り塗りゲームでおれの何が分かるんだー!」

あれから20年。

僕はデイリーポータルで記事を書くようになり、あの頃の想いに応えることができた気がする。記事のネタを探し、構成を考え、変なことしながら写真を撮り、時には旅に出て、そして記事にまとめる。少なくともマークシート塗り塗りの100倍はおもしろい。

 

@nifty:デイリーポータルZ:マークシートは本当にボールペンを読まないのか?

 と言いつつマークシートの記事書いてるけど

 

さて、みんな言っているが、おもしろ記事は読んでいるだけより書く方がずっと内容の濃い過程だ。

100本ぐらい記事を書いてきて、たくさんのことを知ったし、いろいろできるようになったし、知り合いも増えた。こんなにいいことは他にちょっと思いつかない。

 

1.写真がうまくなる

写真は昔から少しはやっていたが、それでも応募作品を描いていたころを見返すと全然ダメダメだ。

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 まさゆき研究所 旧棟 コンビニだった店舗は今。

 

今でもそんなにうまくなったとは言えないが、それでも「記事として公開する」という緊張感の中で試行錯誤して、だいぶうまくなった。何か印刷物作ったり、仕事でWebに載せたいするときにはちょっと質の高いものを提供できるようになる。マイナスは無いだろう。

 

2.どんな場所でも楽しめる

「日本全国ダーツの旅」みたいに、知らない場所に目的が発生すると急に行くのがおもしろくなったりする

これもとても楽しい効果だ。観光地もそれはそれで楽しさオールインワンになっているから楽だけれど、近い場所でも、こういう自分で面白さを見つけていく必要が生まれると抜群に楽しい。

 

3.専門知識も深くなる

僕で言えば理科だが、自分の職業に取材して何か記事が書けないかと考えてみると、ふつうに仕事していては見えてこない面が見えてくることがある。

一般への「普及」みたいなことってどの業界でも必要だと思うから、それを考えるいいきっかけになるかもしれない。同期で指圧師ライターのM斎藤君なんてほんとに素晴らしい融合活動をしていると思う。 

 

その他、人によってはイラストがうまくなったり、居酒屋に詳しくなったりすることもあるし、他のライターさんからいいインプットをもらえることも多い。僕は玉置さんの影響でウナギ釣ったり、燻製作ったりするようになった。

本業のすき間でやっていると、出版やイベントまではできないので精いっぱいだが、それでもきっとプラスは大きい。

さあみんなでおもしろい記事書こう。

「不採用語辞典」が面白すぎる

 この本が面白い。

不採用語辞典

不採用語辞典

 

 1年に一度くらいは脳を叩き割られて、物の見方の曇りをすべてリセットさせてくれるような本に出会うが、まさにそれだった。

 

世の中には、言葉の「正しさ」について書かれた記事があふれるほど出回っている。

「確信犯」の原意は違うとか、「了解です」を目上に使うなとか、用法や原意について色んな人がこだわってこまごま書いている。

みんな(僕も含めて)、「本当は間違っている●●」とか「正しい●●」っていうのに弱いから、つい気になってそういう記事を見てしまうんだけれど、読んで楽しいかと言えば、微妙だ。「日本語の乱れ」なんてキーワードが出てきたらもう大変で、愉快・不愉快まで含めてごちゃ混ぜのわけのわからんことになってゆく。

いちおう僕も末端ながらライターとして「ことば」を商売道具にしているので、この議論に対して何も思わないということは無いのだが、とはいえその議論に混ざっていく気もないし、これに対してどう気持ちを持っていったらいいのかなあと思っているところに飯間さんと出会った。

 

最近議論を呼ぶ「ほぼほぼ」についての飯間さんの見解。素敵だ。

 

この本の全編を通じて、飯間さんは決して日本語が「正しい」「間違っている」と言わない。たとえどんな間違いとしか思えない珍奇な表現が出てきても「耳慣れない言葉です」「私が言うなら~~ですが」と自分との感覚の差しか表明しない。

この、「そもそも言葉に間違いも正しいも無く、使われている頻度と感覚の差のみであり、それを徹底的に面白がる」というスタンス。そうか、これがあったか! と目からうろこが落ちる思いだった。

そしてこれを辞書編纂者に言われるという、この上ない説得力。用法の正しい間違いを決める根拠になる「辞書」を作る側の人間が根拠としているのが、世間からの「徹底的な用例採集」であるというトートロジー的な奇妙さと気持ちよさ。

この立ち位置のクールさから見たら、正しい日本語にいちいち気を取られることなど、野暮天そのものだ。もっとなんで言葉を面白がろうとしないんだ、と。

もちろん飯間さんは絶大な知識量に裏打ちされての「面白がり」なのだけど、それでも、正しい・間違いに右往左往する人たちを尻目に、孤高の面白さを追求し続ける飯間さんのような視点を、僕も持っていきたいものだと思う。

 

「サルでも書けるまんが教室」に思うこと

サルまん」は偉大だった

最近、ネットで「サルまん」について見ることが多いので、リアルタイムで読んでいた当時が懐かしく思い出した。一巻の奥付を見ると1990年発売となっているから、もう25年前のマンガだ。

さて、若い世代は「サルまん」をあまり知らないだろうから簡単に話すと、ビッグコミックスピリッツで連載された、『サルでも書けるまんが教室』というタイトルの、マンガでマンガを評論した作品だ。

作者は『勝手にシロクマ』『コージ苑』で新世代ギャグ作家の旗手となりつつあった相原コージと、日本一のマンガおたく竹熊健太郎。この二人がコンビを組み、毎週いろんなカテゴリーのマンガを脚色たっぷりに分析していく、そんなスタイルで一躍話題作となった。

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こんな感じだね。これは「うけるエスパーまんが」の回。

実際、当時の深夜ラジオ(いまのインターネットぐらいの影響力があった)でもよく話題になっていたし、別作品でオマージュもよく見たし、結構マンガ好き界で盛り上がりを見せたように思う。

じっさい僕もとてつもなくこのマンガには夢中になり、本当に熱心に読みこんだものだった。80年代までのまんがの流れを的確に読み切ったこの作品を読む前と後では、まんが自体の見方が変わったような気がして、ジャンプしか読んだことが無い同級生よりも自分がものを知っている気になれたのを覚えている。

 

その功罪、クリエイターが過去を細分化すること

しかし知っての通り、このあと相原コージさんは魂が尽きたかのように作品を描けなくなる。見ていて痛々しくなるほどだった。

自身が切り開いた分野のひとつであるはずの「不条理ギャグ」についても、吉田戦車中川いさみ榎本俊二さんたちの方が自由闊達に才能を発揮して、次世代を作っていった。かたや、相原さんはヒット作品はおろか普通の作品さえ出なくなってしまう。

これは思うにクリエイターが評論者になってしまったことによる「跳ね返り」なのではないだろうか。

評論する、ということは過去の作品を徹底的に比較し、細分化していく過程だ。やればやるほど過去を微視的に見つめすぎることになってしまい、過去作品の枷にますます縛り付けられてしまう。そしてそれは、創作者自身が足を踏み出そうとするときに何よりもその歩を痛めつけるだろう。

「このパターンは既出ではないのか?」

「この作品はかつて自分は評論した枠組みの中でしかないのではないか」

そんな自問自答がつねに創作者の心を苛むだろう。相原さんはそのあと、あれやこれやとマンガの「枠組み」を壊そうとする実験的な作品に挑戦しようとするが、いまいち自由な感じが無く、試みがすべて70~80年代の土台に捉われすぎている感があって、むしろ読者の方がとっくに先を見つめているような状態になってしまったような感じがする。

こんなネットの隅っこでうさんくさい記事を書いている僕ですら、「記事の書き方」みたいな記事を書いたあとの次の記事は本当に書きづらかった。

↑これね。

書いた後しばらく「こんな偉そうなこと書いておいて大したことないな」と思われたら恥ずかしいな、書かなきゃよかったなかな、とか思ってしまう。創作をする人は過去作品を踏まえる必要あろうが、作品論を語ることに執心しすぎると足を踏み出せなくなってしまうのだ。

もちろん相原さんが作品を出さなかったのは、ぼくが推察した理由だけではないだろうとは思うのだが、それでもクリエイターにとって、過去の細分化し過ぎは良くないのだろうな、ということを僕は偉大すぎる作品「サルまん」から学んだように思っている。

 

※ちなみに中川いさみさんの最近web連載しているやつはとても面白い。

www.moae.jp

あれぐらい大御所になると、なんかもう書いてもとらわれる物がなさそうでうらやましい。

2015年と俺の綿の木

2015年は公事・私事ともに激動の年だったのだが、そういうこととは別にして、綿の木を育てたことが静かに深く心に残っている。

 

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引き出しに何年も入れておいた綿の種を何となく植えてみたら、旺盛に葉を広げて予想外にめきめきと成長し、さいごには僕の背丈ほども大きくなった。

まさに圧倒されんばかりの勢いだった。

 

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夏になると綿は白い花を咲かせる。咲いてすぐは真っ白いのだが、1日ごとにうす赤く色あいを変えていく。それが不思議だったし、また、その色づき方がとても繊細で美しく、毎朝窓を開けるのが楽しみだった。

 

f:id:masayukigt:20160101214747j:plain夏になると綿の葉の上にいつもカエルがいた。

カエルは不思議な生き物で、住む場所なんて考えてないように思えて、とつぜんベランダに長く住みつくことがある。一度居つくとすると2か月ぐらいはずっと同じ場所にいる。

毎朝、綿の花の色とカエルの居場所を確認するのが僕の夏の日課だった。

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花が終わると綿は大きな実をつける。

緑の実がむくむくと膨らんだあと秋になると割れて、一度は見たことのある、あの「綿の実」の状態になった。

台風にも負けないよう添え木をするなどして丁寧に世話をした結果、写真にあるような見事な綿ツリーを手にすることができた。

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綿を「見るもの」として認識してしまい写真はあまり撮らなかった。あまりの生命力に圧倒されたせいかもしれない。でもその分心に深く残った気がする。

もし来年、何かベランダで育てたいなと思っている人がいたならば、綿の木を育てることをおすすめしたい。

へうげもの、ほか

ものすごく面白くて大好きな作品なんだけど、新刊が出るたびにストーリを追うのが大変なので、新刊が5冊くらい溜まってから読もうと思っている作品のひとつ『へうげもの』を20巻まで読んだ。

すごい、テンションが全然落ちていない。

信長が、利休が、そして秀吉が死に、関ケ原も終わり、戦国の主要イベントは全部終わったのに、それでも読ませるこのキャラクターの強さ。ニューキャラ「帝」の立ちっぷりがまたすごい。ここまでキャラを立てつくした後にまたあのキャラを立ててくる作者の力。

そして清正の最期のシーンが最高すぎる。ありえない、ありえなさすぎる。

マンガの旨みが全部詰め込まれ切ったかのようなこの作品のパワーには本当に驚嘆させられっぱなしだ。

と思ったら新刊が出てた。

読みたい。もういっそ今さらでも全巻買って、1巻から何度でも読み返そうかという気持ちになる。

作品の根底にある「歴史のつめたさ」に対するまなざしも心に深く突き刺さるものがあり、さいきん「家族愛」だの「女性の自立」だのという生っちょろいテーマに傾倒しがちなNHK大河ドラマさんはこの作品を読んで、いま一度居住まいを正してほしい。

 

その他、新刊溜まり待ちの作品 

ヴィンランド・サガ(16) (アフタヌーンKC)

ヴィンランド・サガ(16) (アフタヌーンKC)

 

→農場編になってから激アツの展開に泣く。

昭和元禄落語心中(1) (ITANコミックス)

昭和元禄落語心中(1) (ITANコミックス)

 

 →姐さんと結婚する決意の心理描写がやや不足してて少し醒めてしまったのだけど、そんなこと気にならないほどに大期待。

 →連載再開しないんかなあ……

俺のからだに訪れる人体の不思議

32歳から37歳にかけての5年間で、僕のからだは驚くべき老化を果たしている。

が、特に悲観はしてない。おととし亡くなったばあちゃんは、目が見えなくなっても歩けなくなっても「年取るって不思議ねぇ、不思議不思議!」と全く意に介して無かった。で、そのまま老衰で死んだ。

さすがである。僕もそれを手本に加齢していこうと思っている。

 

1.酒を飲むと寝られない

32歳の頃までは日々元気よく酒を飲んでおり、むしろ飲みすぎて朝起きられなくなるのが悩みだったが、いまではそれが全く逆である。酒を飲むと寝られなくなるのだ。

具体的に言うと、夜中2時ころにハタとに目が覚める。たいていそのまま出勤し、睡眠不足で仕事にならなくなる。二日酔いの気持ち悪さもなんか倍増し始めていて、酒も飲まなくなってしまった。

 2.飯が食えない

吉野家の並盛が多い。おにぎりも一個でいい。もっとダイレクトに数値で分かるのは回転ずしの会計額である。今はいくら食っても2000円を越えられない。

30代になったころは「太りやすくなったなー、何食っても太るなー」と悩んでいたが、これも今や逆で「そもそも太るほどたくさん食えない」域に達してしまった。人生、逆転の連続とはこのことか。

3.目が疲れる

子どもが「肩こり」を理解できないように、僕も長年「目が疲れる」を理解できなかったのだが、最近ようやく分かった。これか。目を閉じてしんみりしている時間のなんと幸せなことか。(きだてさんいわく「それ、老眼の前兆だよ」とのこと。ひー!)

うっかりするとそのまま永眠しそうになるので、ここは疲れても勢いよく「天魔降伏!」とか言いながら目を開き、セブンセンシズを開放させるなどの活動を続けていきたいと思うところである。 

4.前髪の伸びが悪い

もう全てである。

前髪が、一定以上に伸びないのだ。若い頃はあごぐらいまで伸ばして憂鬱げな文学青年を気取ったのに……。オオサカ堂に頼る日も近い。

 5.謎の難聴

これも以前書いたけど、今ではからだのむくみが原因だなと分かってきたので何とかなっている。が、深酒すると一瞬で再発するので、もう人生で二度と深酒はできないなと覚悟を決めている。

 

で、もっと驚くのが、こんなに身体の勢いが落ちているのに人間ドックの結果はほぼ「A」なのだということだ。これでAなのか。

年の行ったひとたちが「B」だの「D」だの話し合っているが、どんな体になったらそんな結果が叩き出せるようになるのだ。

まだまだ人生の続く不思議に心を躍らせている。