まさゆき研究所

ライター・加藤まさゆきのブログです。デイリーポータルZなどに記事を書いています

草花図鑑が面白い

最近、休日には子どもと散歩ぐらいしかすることが無いので、道に生えている雑草を毎日観察するようになった。

見ていると色んな種類があって、特に春なんかは中3日ローテーションぐらいで次々と新しくいろんな花が咲き、生物の教員である僕でも分からないものが多く、気になったので草花図鑑を手にして散歩するようにしてみたのだけど、これがめっぽう面白い。

散歩で見かける野の花・野草

散歩で見かける野の花・野草

 

 

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ん、これ、ちょっときれいだけど何だろう……

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あ、これか。なるほどねい……

 

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お、最近これめっちゃ生えてるなー

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おお、これも載ってる、ニワゼキショウ

 

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何だこのカタバミに黄色いマメの花が付いたみたいなの?

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これか!載ってるもんだなあ、はじめて気づいたぜ。

 

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なんか最近シャラシャラしたのいっぱい生えてきた―

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うわー、これかー、載ってるもんだなー

 

「お前は大学時代に何を専攻していたんだ」

「生物分類で論文書いた人間がその本で感動してどうする」

と総ツッコミを受けるのが目に見えるが、それでも生えている植物がだいたい全部載ってるので本当に面白い。学生の頃は実習でだらだらとやっていたが、本気で始めてみるとかなりはまる。

観察と撮影も面白いが、それだけでは飽き足らなくなってきたので、いまは「押し花作りたい欲」に駆られている。

このまま進むと3年後には押し花でしおりを作るようになり、10年後には押し花絵葉書の作り方を地元の小学生に教えるおっさんになっている公算がきわめて大きい。

自分の将来が不安だ。

 

真田丸と新聞

真田丸』を毎週熱心に見ている。

大河ドラマ、ってのを通して全部見たことが一度も見たことが無かったのだが、『真田丸』はこれまでと明らかに異質な感じがして、毎週テレビにかじりつきだ。このこれまでにない面白さの質は何だろうな、とぼんやり考えていたのだが、「新聞」と「創作物」の違いに似ているなと昨日なんとなく思った

新聞のテンションって常に変わらない

たまにレポートや調べもので新聞の古い縮刷版を読むことがあるけど、驚くのはそのテンションというか、スタンスが、まったく時代を経ても変化しないことだ。

昭和40年とかの出版物なのに、今も同じ記者が書いていると言われても疑問を感じないのではないかというレベルで視点の置き方や報道のスタンスが変わらない。何十年も「まったく同じ窓」から世間を眺めているような、そんな印象が新聞という媒体にはある。

大河もなんだか毎回そんな感じ

僕の目には、歴代の大河ドラマも全部同じように映ってきた。

なんというか、毎回題材は変わるけれど見ている「窓」がいつも変わらない。さすがに歴史書ではないから主観は入るにしても、歴史の中の人物の苦悩や苦闘をいつも同じ視点から描いているような、そんな印象があった。

なので年が変わるたびに大河ドラマを1~2回見ることがあっても、「ああ、いつもの大河やってるね」ぐらいの印象しか持てない。琉球とか清盛とかちょっと変わった題材を扱ってみても、けっきょくその雰囲気は一緒なので、同じ新聞記者が違う事件について記事を書いているのを見ているような、そんな風にしか思えなかった。

真田丸』の”実験”

しかし『真田丸』は第1回目から、なんか全然違った。

あの独特の「大河ドラマの第1回ですぞ」みたいな空気はなく、主題にずばっと切こんでいくその吸引力の強さからもう鮮烈だった。戦国時代を舞台にしてあとは自由闊達にやらせてもらうぜ、という意欲が明らかに満ち溢れていた。

そして第2回目から次々と繰り出される実験的な試み。

歴史の文脈を踏まえたうえで繰り出す「もし現代の家族観をこの時代に当てはめたらどうなるだろう」「大阪城内がベンチャー企業の職場のようであったらどうだろう」のような仕掛けは、従来の大河ドラマに対する挑戦のようにも思えた。

この三谷幸喜が「自分の窓」から戯曲を書くかのように好き勝手にやっている感じが本当に新しい。「新聞」的であった大河ドラマの破壊。これが真田丸に肩入れしてしまう最大の理由だと思う。

それでいて残る歴史の「つめたさ」

そして『真田丸』のさらに好きなところは、歴史の魅力の本質であるとも言える「つめたさ」がきりりと際立たせられているところである。

大河ドラマが「大河」と名付けられている所以は、歴史というの大きな流れの中に飲み込まれつつも抗った人間の姿を描き出そうとしていることである、と僕は思っていて、朝ドラと区別のつかないような感じだった前作とかにはむむと思っていたのだが、真田丸はコミカルにまとめつつもそういうところはしっかり手を抜かずに仕上げているように思う。(他の大河通して見たことないのにごめんなさい)

勝頼も「黙れ小童」の人も、あんなに一人の死に歴史の業の深さを感じさせる描き方はもう、さすが三谷幸喜さんだとしか言いようがない。

 

というわけで「真田丸」、6月で放映の半分が終わってしまったのかと思うとすでに寂しくなってしまうほどの熱の入り方なのだが、のこり半年、1秒たりとも見逃さない熱意をもって追いかけていきたいと思っている。

 

早食いな俺を責めないで

俺は飯を喰うのが早い。らしい。

一緒に食事するとたいていの人から驚かれるが、自分としては一番おいしいと思えるペースで食べているだけなので、特に意識はしていない。

 

が、責められることも多々ある。

なぜだ。

速く走ったり、朝早く出勤したり、早く仕事を終わらせたり、「早いこと」は全般的にほめられるはずのに、なぜ早く飯を食うのはあんなに責められるのだ。

 

「早食いは太るよ」

俺は太ってない。過食でもない。むしろ少食。

少食なのに早食いだから、燃え尽きるマッチのようにほぼ瞬間的に食事が終わってしまう。これが驚速の理由だろうか。でもおかげで昼休みにより多くの仕事を進められている。

そしてめっちゃ野菜食べてる。健康。毎月100km走ってるし、フルマラソンも走れる。大丈夫。

 

しかしこれ長年思っているのだが、同じ量でも早く食べると健康不良を引き起こす実験結果とかあるのかなーと思って調べたら、「早食いは絶対NG!」とかのゴミクズのようなサイトばかりの検索結果に混ざって、こんな論文報告が出てきた。

背景「一定量の食事を摂取した場合にも、食べる速さが体型に何らかの影響を与える可能性があるのかについては明らかにはなっていなかった。」

 ↓

「食後90分間のエネルギー消費量は急いで食べた試行の場合、体重1kg当り平均7calだった一方、ゆっくり食べた時には180calと有意に高い値を示した。急いで食べるよりも、よく噛んでゆっくり食べた方がエネルギー消費量が大幅に増えた。」「消化管の血流もゆっくり食べた方が有意に高くなった。」

 

 

なるほど。一定の説得力がある。

でもこれが肥満につながるとの結論ではないらしい。

 

というわけでこれから俺は「早食いやめなよ」と言われたら、

この研究のサイトを見せ、

「この先行研究を元にして早食い行動と肥満の関係を実験し、立証できるんだったらやめてもいいよ」

と言い返して、積極的に友達を無くしていこうと思う。

 

のらのら2016年3月号出ました!

 農業教育雑誌「のらのら」最新号出ました!

のらのら 2016年 03 月号 [雑誌]
 

 

とはいえ、デイリーと同じくこちらも休筆中なので、基本的にデイリーのリライトを載せている状況です。

先週、総務のパートさんにこの連載を発見され、ものすごい勢いで発見報告されました。デイリーはあまりそういうことないので、紙媒体との違いと底力を感じます。

『じみへん』の覚えてる話

中崎タツヤさんの『身から出た鯖』を全巻買ってみた。 (いまさら)

身から出た鯖 (3) (YKコミックス (486))

身から出た鯖 (3) (YKコミックス (486))

 

 

おもしろい。

『じみへん』では試さなかった4ページや1ページの形式のものまで自由に幅広く読めるのが楽しい。

 

ところでスピリッツの申し子たる僕は、例にもれず『じみへん』を小中高生時代に熱愛していた。あまりに読んだため、単行本は買ってないのに今でもそのいくつかは何も見ずにそのストーリーを思い出すことができる。

 

  • おばあちゃんがシワを伸ばしたら超美人な話
  • 豆腐屋の向かいに自宅がある豆腐屋の話
  • 全身の体臭を嗅ぎ比べる男の話
  • 女子オリンピックのユニフォームをスカートにする話
  • 犬によく似たおっさんを轢く話
  • 目の前にある道具は使いたくてたまらなくなる話
  • 誰も「特に自分のこと」と思ってくれない強盗の話
  • 女子高生か人妻かで帰り道を迷う男の話
  • よりによって自分の所へ来る人たちが集う話
  • パソコンを買う必要が無い結論に至る話
  • 音楽で世界平和を夢見てジョンレノンに否定される話
  • エレクトーンを買ってすぐ飽きる女の話
  • 最後、女湯に平然と入って合格する話
  • 最初の態度で人間関係が決まる強盗の話
  • お客さんがそう思ってるだろうってわかってましたよと応酬する話
  • サクランボの枝を舌技で結ぶ修行をする男の話

『じみへん』のストーリーを1行の文で表してみると面白い。

覚えてる人には「あー!あった!」となるし、知らない人には訳が分からないだろう。

 

 

 

茨城県阿見町に住んでいたこと

僕は8年ほど前、茨城県阿見町というところに1年半住んでいた。

 鉄道の駅も無い平和な町で、自衛隊の基地以外にこれといった施設も無かった。町の面積のほとんどは広がる田園と森林である。

まあ当時は諸般の事情からここに住んでいたわけだが、ぼくはこの時期の体験から一つのことをごく肉感的に実感した。

それは「人間『どこにでも住める!』と思っても、実際そうでもないんだな」ということだ。

 

ひととおりのお店はあるのだが。

阿見町中心部である。

中心部には、人間生活に必要な店はひととおりあって、特に不便するということは無かった。

特に「マイアミショッピングセンター」というベタ極まるネーミングの施設にはまあまあの規模の本屋をはじめ基本的な店がそろっていて、「阿見の真ん中に住んでいる」と言うとむしろ「便利でいいねー」というコメントが返ってくるのが普通くらいであった。

しかしなんだろう、こう言うと失礼かもしれないけれど、この町は文化の「多様性」みたいなものを、どうしても欠いていたのだ。

スーパーはある。レンタル屋もある。ファミレスも回転ずしもある。そういう郊外ロードサイド的なものは一通りそろっていたのだが、気の利いた雑貨、心が和らぐ居酒屋、いい感じのコーヒー屋とか、そういった類いの店はどうにも期待できるものではなかった。

もちろん引っ越した当初は、「ここに来たからにはここに住もう!」と決意を決めて、イースタンユースの「片道切符の歌」などを心で口ずさみつつ阿見のいいところを探そうとあれこれ自転車などで動いてみたものだった。


03 片道切符の歌

 

だが、結局は解体工場の野良番犬の群れに追いかけられるのが関の山で、「多様性」など東武線の駅前一つ分も発見することができず、しょんぼりと探検期間を終えたのを覚えている。

そこからはほぼひきこもるように暮らしていた。思い出にあるのは、日曜の深夜にスーパーの半額刺身を食べながらビールを飲みつつ、『NHKアーカイブス』を観ていたことぐらいだ。

 

デイリーポータルへの傾倒

というわけで楽しみはと言えば、週末に都内の友達と飲みに行くこと、そしてライブに出かけること。

いまでも強く思い出に残るBOOM BOOM SATELITESや曽我部恵一オールナイトに行ったのもこの頃だ。ライブでの空気もさることながら、都内の雑多感を呼吸するために出かけていたようにも思う。

そして何よりも熱心に読んだのはデイリーポータルだった。当時のデイリーポータルには今よりも「東京の西側で河原とか見ながらぶらぶら暮らす」空気がもっと色濃くあったような感じで、阿見町に無いそのすべての成分にどんどん心を魅かれるようになった。ヒマな休日などは、ほぼ一日中デイリーポータルを見ているようになった。

@nifty:デイリーポータルZ:糸電話で市外通話

よく「上京」というイベントが人生の中であるとないとで創作のパワーはまるで違うというが、東京出身の僕にとってこの時期が心の中の上京だったようにも思う。あー俺はこういうことをしたいんだよなー、と憧れを抱きつつ悶々としてすごしていた。

 

阿見の好きだった店

はっきり言ってしまえば阿見は退屈だったわけだが、そんな阿見に好きな店が一つだけあった。鮮魚に力を入れているスーパー「タイヨー」である。

スーパー タイヨー【お買い得情報満載! スーパーマーケットのタイヨー】

タイヨーは銚子で仕入れた新鮮な魚を、わりとマイナーな魚種まで丸ごと売っていたりする個性的なスーパーで、築地とは言わないがアメ横級のその品揃えに心踊らせては買い込み、よく料理にいそしんだものである。

しかも価格も激安で、小イカや小アジなどは一山100円でいくらでも売っていた。退屈な田園が広がる阿見生活の中で、ぼくが最も熱中したのは「鮮魚さばき」だと言えるかもしれない。今でも懐かしんでこの店には行くことがある。

 

つくばに戻る

そして僕はそのあと29歳で結婚し、学生時代に住み慣れたつくば市に戻ることになる。つくばは若者も多く、わりと洒落た店もあり、住みやすい街だ。35分電車に乗れば山手線にも着く。

あれから8年経った。もちろん今も阿見町に戻りたいとは思ってないんだけど、あれがあったからデイリーを始めてからの記事を書く情熱も高まったのかもなあ、とは思っている。

新人賞だよ!おもしろ記事書こうぜ!

デイリーポータルとオモコロが合同で新人賞をやっている。

omokiji-award.jp

高校3年生の冬、僕はセンター試験の勉強がイヤになって、泣きながら自転車で夜道を走っていた。

「こんな塗り塗りゲームでおれの何が分かるんだー!」

あれから20年。

僕はデイリーポータルで記事を書くようになり、あの頃の想いに応えることができた気がする。記事のネタを探し、構成を考え、変なことしながら写真を撮り、時には旅に出て、そして記事にまとめる。少なくともマークシート塗り塗りの100倍はおもしろい。

 

@nifty:デイリーポータルZ:マークシートは本当にボールペンを読まないのか?

 と言いつつマークシートの記事書いてるけど

 

さて、みんな言っているが、おもしろ記事は読んでいるだけより書く方がずっと内容の濃い過程だ。

100本ぐらい記事を書いてきて、たくさんのことを知ったし、いろいろできるようになったし、知り合いも増えた。こんなにいいことは他にちょっと思いつかない。

 

1.写真がうまくなる

写真は昔から少しはやっていたが、それでも応募作品を描いていたころを見返すと全然ダメダメだ。

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 まさゆき研究所 旧棟 コンビニだった店舗は今。

 

今でもそんなにうまくなったとは言えないが、それでも「記事として公開する」という緊張感の中で試行錯誤して、だいぶうまくなった。何か印刷物作ったり、仕事でWebに載せたいするときにはちょっと質の高いものを提供できるようになる。マイナスは無いだろう。

 

2.どんな場所でも楽しめる

「日本全国ダーツの旅」みたいに、知らない場所に目的が発生すると急に行くのがおもしろくなったりする

これもとても楽しい効果だ。観光地もそれはそれで楽しさオールインワンになっているから楽だけれど、近い場所でも、こういう自分で面白さを見つけていく必要が生まれると抜群に楽しい。

 

3.専門知識も深くなる

僕で言えば理科だが、自分の職業に取材して何か記事が書けないかと考えてみると、ふつうに仕事していては見えてこない面が見えてくることがある。

一般への「普及」みたいなことってどの業界でも必要だと思うから、それを考えるいいきっかけになるかもしれない。同期で指圧師ライターのM斎藤君なんてほんとに素晴らしい融合活動をしていると思う。 

 

その他、人によってはイラストがうまくなったり、居酒屋に詳しくなったりすることもあるし、他のライターさんからいいインプットをもらえることも多い。僕は玉置さんの影響でウナギ釣ったり、燻製作ったりするようになった。

本業のすき間でやっていると、出版やイベントまではできないので精いっぱいだが、それでもきっとプラスは大きい。

さあみんなでおもしろい記事書こう。