まさゆき研究所

ライター・加藤まさゆきのブログです。デイリーポータルZなどに記事を書いています

山田が死んで、もう4年になるのだな

この時期になると亡くなったあの人を思い出す、というのは誰しもあると思うが、僕にとって正月という季節は、4年前に亡くなった山田のことを思い出す季節だ。

 

山田祐資(やまだ・ゆうすけ)は大学の1つ下の後輩、2019年1月6日に難治性のがんが寛解せずに38歳でこの世を去った。常にシニカルでコミカルで酔狂を気取る彼は、彼らしいスタイルを保ったまま、自分の死生をしっかり見つめながらこの世を去っていった。

 


2017年4月18日 NHK EテレハートネットTV「がんと共に歩む力を」より

 

その飄々とした姿は全くもって「山田らしく」、不自然なところは無いかのように僕の目に映っていたのだが、あれから4年経ち、一つの言葉をきっかけとして彼の胸中にまた思いを巡らせている。

 

『“がん”になったと言うと、哀れみの目で見られる』

これは、別のがん患者の方がこの記事で語っていた言葉だ。

がんになっても... | 生き方 | NHK生活情報ブログ:NHK

山田が末期のがんだと知ったとき、僕が彼に対して哀れみの目というか、その種類の感情を全く持たなかったと言えば、うそになる。
いつでも「ハッハッハッ」と笑い飛ばしてる彼のことを思い出すと、「山田が……あの山田が……?」と何か悪いジョークを聞かされている気持ちが先立ったのだが、それでも知らせが嘘ではないとわかると、彼の背負った定めを想い、数%はそういう気持ちを持った。

 

しかし、2017年11月、大学の仲間で囲んで集まったときの山田は、驚くほど元々の彼から一切のキャラぶれが無い、哀れみという感情など微塵も感じさせる余地がないほどにいつもの山田だった。



加藤「え、山田、会社はやめてないんだ」
山田「は?あたりまえですよ。 1000分の1ぐらいの確率でここから俺のガンが治ったとしたら、そんときウチの家族はどうやって生活したらいいんスか」

こんな調子である。
体重もなんならハートネットTVに出たときから、少し太ってすらいる。

相も変わらずえらそうなのでそこを厳しくツッコむと「ちょっとー、こう見えても重病人なんだからちょっとは優しくしてくださいよ」と言って、ハハッと笑う。
みんなが「山田だ……」「ああ、山田だなあ……」という安心感とともに彼との再会を楽しみ、なんなら、そのまま1000分の1の確率が起きるんじゃないかなという雰囲気で会を閉じることができた。

 

がんになって以来、山田はみんなが驚くぐらい精力的にあれこれ活動をしていた。

最初に載せたNHKへの出演もその一つだ。

がんと共に歩む力を | NHK ハートネットTV

ここでも山田はいつもの山田で、「末期がんになってこんなに泰然としてる人、いる?」と視聴者の心に存在を深く刻んだのではないだろうか。

これ以外にも大学の先輩に誘われて論文の共著に参加したり、

がんに関する学会や団体でどんどんプレゼンしに行ったりと、おいおい病人だろ?と突っ込みたくなるほどアクティブに、誰にも真似できないレベルでがん患者としての活躍ぶりを見せていた。
しかもこんな活動の傍ら、海外に行ったりXJAPANのライブに行ったりしているのである。Facebookに残るその軌跡が惜しくも友人向け公開なのだが、いつか書籍化されてもいいくらいだ。

 

しかし1000分の1の確率は起こらず、標準治療を全て終えて緩和ケアに移った彼は、2018年の年末に「セデーションに入ります」とFacebookに書き残し、みずからの意識をこの世から消し去った。
※セデーション:意識の段階を落とす緩和治療

これまで饒舌にFacebookで自らの治療や活動について語ってきた彼を思うと、この投稿はあまりに短い。

彼の真意はわからない。たとえ聞けたとしても「え、真意なんてないですよ」とか言うタイプの奴である。それでも僕は、彼が心の根底で「長々書いたら哀れっぽくなるじゃないスか」と思っていたのではないかと思っている。

 

1月になり世を去った彼は、葬式に来ていた僕らに向けて自筆の弔辞を用意していた。

「普段より『態度がエラそう』と言われている僕ですが、皆様より先に旅立ちまして、ここにいる誰よりも少し先輩となったわけですから、今回は少しだけエラそうに言わせていただきます!」というキラーフレーズで葬儀に笑いを巻き起こした彼は、最後までひとつも僕らに哀れみを感じさせるスキを与えなかった。

いつかは誰にでも死は訪れる。それがちょっと早かった人を哀れに思うことなんて無いのだ。

それでも弔辞で「娘たちはまだ幼いので、ぼくのことを忘れないように、成長に応じて何度かぼくのことを話してやってください」と言い残したような、彼がたまに少〜しだけ見せる弱みが、皆を惹きつけるポイントでもあったのだと思う。

 

あれから4年、娘さんたちは少しでも大きくなったはずなので、あのときの山田の依頼を果たすためにこのブログを書いた。
僕の記憶に残る山田の言動が少しでも、お父さんに思いを致す手がかりになればいいと思う