まさゆき研究所

ライター・加藤まさゆきのブログです。デイリーポータルZなどに記事を書いています

子どもの言語2

「こもど」

子供が小さく単語の音を入れ違えて言ってしまうというのはよくあるという話で、うちの子供も堂々と「このイス、こもど用?」などと言っている。
(もちろん正しくは「こども用」)

他にもいくつかそういう単語はあったのだが、「こもど」だけはいまだごく当然のように使い続けている。もちろん大人は正しく「こども」と言っているのだが、全然直る気配はない。

これは思うに、僕らが「こども」と発音していることに、そもそも気付いていないのではないかと思う。

というのも、僕も「雰囲気」の発音について、同じ体験をしたことがあるからだ。

この単語を「ふんいき」ではなく「ふいんき」と発音する人が多いのは最近では周知の事実だが、僕は初めて聞いた時「『ふいんき』なんて言う奴いるのか?聞いたこと無いぞ?」と思ったのである。

しかし、それを知ってから、あらためて周りの人の言っている言葉をていねいに聞くと、確かに何人かは「ふいんき」と言っており、たいへんびっくりしたのだ。つまり、あまりにも当然に「ふんいき」と言っているものだと思い込んでいたために、「ふいんき」と言われてもそれが勝手に脳内変換されて聞こえていたのである。

というわけで、うちの子供にいくら「こども」と言っても、「こもど」に変換されて聞こえてしまっているのだろう。それではいくら言っても直らない。

でも「こもど」もいつかはこの子の脳内で書き換えられるのだろう。それがいつになるのかは分からないが、それを楽しみにして毎日こもどと会話をしている。

 

「少しぐらい」

「少しだけ」とほぼ同義で使っている。
おそらく母親に「少しぐらいならバナナ食べてもいいよ」などと言われているからだろう。僕に向かって「おとうさんも少しぐらいたべてもいいよ」と果物を差し出してきたり、自分が食べたい量を説明するときに「少しぐらい食べる」と返してきたりする。


ネイティブ話者としてはこの用法に違和感があるが、文脈的に意外と破綻なく通じるので、もしこの違いを日本語を学習する外国人とかに説明しろと言われたら、意外と難しいような気がしている。

 

「きないで」

来ないで、のこと。

人間にはことばを法則立てて理解する能力が生得的に存在しているため、基本文法は体得していてもカ行変格活用が理解できていない段階の幼児は「来ないで」を「きないで」と言うことがある

というようなことを、むかし何かの本で読んだのだが、ある時不意に我が子が「おとうさん、きないで!」と発したため、本当だ!と大変におどろいた。
人間のこういった内在能力を一つずつ目の当たりにすることができる「子育て」というプロセスは、本当に人生において意味深いものであるなと思う。

 

「あそび」

遊び場、遊具、遊び方などを全て指した名詞として「あそび」と言う。

「あたしのあそびはどこ?」、「あそびを買いにいかない?」とか「こうえんのあそびまで走っていこう!」などと言うのだが、この不思議な用法はもしかしたら「あそびにいこう」という文章の解釈から生まれたものである可能性があるなとある時ふっと思付いた。

「おみせにいこう」「こうえんにいこう」「あそびにいこう」、一番最後だけは名詞ではなく、動詞の「遊ぶ」が変化した「あそび」だが、幼児にとっては特に区別が感じられず、また「遊び」という名詞もそれはそれで存在するため、遊具・遊具コーナーを総称する名詞として「あそび」を彼女なりに創作したのではないか。

最近はすこしずつ「あそび場」と言うようになってきているのだが、それでも彼女の人生の一時期に存在し、そしていずれ消えてゆく「あそび」という単語の用法のことを思うと、いとおしくも不思議な気持ちになる。