まさゆき研究所

ライター・加藤まさゆきのブログです。デイリーポータルZなどに記事を書いています

「山岡家」のことを語らせろ

先日デイリーポータルで、ぬっきいさんがラーメンの山岡屋のことを記事にしてて、なんとも嬉しくなってしまった。

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山岡家のことを語らせたら筑波大OBは熱い。特に俺らぐらいの、35歳以上のOBは特に。

24時間やってる山岡家・牛久本店は貴重な存在で、古い世代には「牛久ラーメン」の愛称で親しまれ、麻雀明けては山岡家、深夜の海ドライブの締めに山岡家と、とにかく何かにつけ山岡家に行ったものである。(友人もバイトしていたし)

当時価格も550円かそれぐらいだったので、学生の財布にも優しかった。

 

茨城が発祥だけど

山岡家は1988年に牛久で発祥したラーメン屋で、そこで大成功してなぜか北海道に進出する。そして北海道で大々的に店舗数を増やす。しかしその反面、本拠地である茨城ではそれほど店舗は増えない。

ヒストリー

この公式の社史を読むと、僕が筑波に来た1997年、茨城には2店舗しかなかったことが分かる。「牛久本店」と「つくば店」だ。つくば店はできたばっかりで、先輩たちは「牛久ラーメンがつくばにもできた!」「味は牛久本店の方がうまい」だとかあれこれ言っていた。

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僕が行っていたのはおもにつくば店の方で、塩ネギラーメン中盛がお気に入りだった。ネギが本当においしいのだ。1週間ぐらい連続で行ったこともあったが、あの強烈な獣肉の香りのするラーメンをよく食べ続けたものだと思う。

そんなつくば店は時代の流れに抗えず、去年閉店してしまった、その記念として閉店前に一度食べに行った。

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人生で2番目に多く通ったラーメン屋だった。 今でも若干寂しく思う。

 

北海道での驚き

このように筑波大生に骨の髄まで浸み込んでいる山岡家のスープだが、実は北海道で大発展しているなど学生時代は思いもよらず、北海道で就職した友人からその話を聞き、のけぞるほど驚いた。

友人としても、つくばの魂であり懐かしい学生時代の味……と思っていた山岡家が、北の大地に広がっているのを見て衝撃を受けたという。

Vol.17 丸千代山岡家 × タナベ経営 | FCC REVIEW.digital

ここに山岡家の社長のインタビューが載っている。社長が好きだったから、北海道に進出したらしい。2000年前後から関東一円にも徐々に進出するようになり、ずいぶんと多く見かけるようになった。

そしていつのまにか北海道の方が本社となって、関東地区の店舗も統括するようになり、牛久が本店であったことを知る人も少なくなっているのではないだろうか。

そして牛久勤務のぼく

ところで僕は牛久市に勤務し始めてもう17年目である。

最初、牛久で働くと友達に言ったときは「牛久!?山岡家行き放題じゃん(笑)」とからかわれたものだ。

年を経るにつれてあまり行かなくなってしまったが、山岡家牛久本店は思い出したように行くことがある。

 


国道の無骨な立地にたたずむ牛久本店

学生時代、先輩の車で深夜に連れて来られた頃から何一つ変わっていないそのたたずまいは、鼻腔の奥を刺激するくすぐったさがある。

 ぬっきいさんの記事を読んでからまた急激に懐かしくなり、直後に立て続けで3回も行ってしまった。

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10枚ためるとラーメンが食べられるサービス券

獣くささ、油の量、小麦感の濃厚な太麺、全てがあい変わらずだ。
山岡家、いつの間にかサービス券から「牛久本店」の表記が無くなってしまったけど、元筑波大生として、そして牛久市勤務の人として、これからも絶賛応援していきたいと思う。