まさゆき研究所

ライター・加藤まさゆきのブログです。デイリーポータルZなどに記事を書いています

クリスマスのミニスーファミと「未知の世界」

嫁さんがクリスマスにミニスーファミを買ってくれた。

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比べるとこれ。手乗りサイズでかわいい。

 

ゼルダファイヤーエムブレムF-ZERO……僕らの世代を虜にしたゲームがぎっしり詰まっていて、その記憶を思い返せば尽きるところが無い。今思い返すと、よくもあんなにもTVゲームに時間と熱意をつぎ込んだものだと思う。ちょっと無駄すぎたかもしれない。

しかし、当時出たばかりのファミコンには子供たちだけではなく、多くの文化人までもが最近ファミコンにのめりこんでいると発言していた。これはわかる。あれは当時すごく新しかった。

 

ファミコンが提示した選択肢

コンピューターゲームの普及は、ファンタジーやアドベンチャーに向かう態度として「本を読む・書く」「映像を見る・撮る」だけではない、新しい第三の選択肢「世界の中で行動する」を僕たちの生活に連れて来てくれた。

あたらしい表現のあり方に飛びついたクリエイターたちが生み出す世界はとても魅力的で、僕らは次々と夢中になった。

王道ファンタジーの「ドラクエ」、ちょっと大人っぽくて機械寄りの「FF」、サイバーパンクの「女神転生」……

戦略システムが面白いとか、友達と盛り上がれるとか、ゲームの魅力はいくつかあるが、最大の魅力は「新しい世界観の提示」なんじゃないかと思っている。

 

FFシリーズの苦しさ

ミニスーファミにはFF6が収録されている。ちょっとオープニングだけやってみると、雪深い鉱山をアーマー歩兵が歩いて行く様子が再生されて、ああ、これ、やっぱりいいオープニングだなと思った。

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この前の作品であるFF5を今思い返して感じるのは、「苦しさ」だった。

従来のFFらしさにとらわれ過ぎて、キャラもイベントも典型的なものにとどまり、見たことも無い新世界へとプレイヤーをいざなってくれる魅力がまるで無かった。

プレイヤーをどこに連れていったらいいのか悩んでいる作り手の苦しさを感じるゲームだった。

そこから一気に解き放たれて、静的な美しさを表現するところから始められているFF6は全体を通して素晴らしい出来だったと思う。際立ったキャラクター、民族楽器を多用した個性的なBGM、いまでもくっきりと思い出せる。

 

ファイヤーエムブレムのすごさ

ファイヤーエムブレムは本当に衝撃だった。これまでのファミコンにこんなゲームは無かった。個性のあるキャラ達が戦うシミュレーションバトル方式のRPG

ファミコン時代はグラフィックが弱すぎて表現しきれなかったモノが、SFCになって翼を得たかのように飛び立った最高の作品だと思う。

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古代~中世手前あたりをイメージした時代設定もすばらしく、神話好きだった僕なんかはトロヤ戦争やポエニ戦役なんかをイメージしながら重装歩兵をズンズンと進軍させていたものである。

軽く少女漫画風に描かれたキャラもほどよい仕上がりで、女子はオグマやマルスで盛り上がり、男子はシーダやパオラ・カチュア・エスト三姉妹で盛り上がっていた。

最近のゲームやアニメは同性キャラばかりがわさわさ出てくるのが多いように感じるが、当時は男子も女子も同じ作品で盛り上がれていたんだよな、ということをあらためて思い出させてくれる。

 

これ以外にも、当時のゲームにはいま思い出してもあの世界観すごかったよな……というゲームが多い。

女神転生もすごかったし、シムシティも新しかった。

レミングスなんか、一体脳のシナプスがどう繋がっていたらあんなゲーム思いつくんだという斬新さだった。

いまではもう新しいゲームなんかとんと見なくなってしまったが、スプラトゥーンっての、あれだけは何か面白そうだ。ちょっとやってみたい気がしている。