まさゆき研究所

ライター・加藤まさゆきのブログです。デイリーポータルZなどに記事を書いています

足首骨折・入院記録③9日目~13日目 手術から退院まで

■その1→【足首骨折・入院記録①初日~3日目 群馬での入院

■その2→【足首骨折・入院記録②4日目~8日目 手術までの日々

骨折9日目(手術当日)

朝食はなし。水は朝7時まで。
予定では9時に手術室の受付に並び、13時ころ病室に戻ることになる。

全身麻酔は群大病院で経験済みだったので抵抗は無い。看護師さんに渡された手術着に着替えて、車椅子に乗せられ手術室のフロアに向かう。

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手術着で自撮り。まだ余裕があった。

さすが大病院、手術室の受付にはこの日の手術を待つ患者の列ができていた。活気のある市場みたいだ。受付が済むと、ずらっと並ぶ手術室のうちから、指定の部屋へと運ばれていく。システマティック。

多少緊張しながら手術室に入ると、そこは医師ドラマで見るセットの10倍ぐらい本格的な設備機器に囲まれた部屋で、思わず「うおぉ!本物の手術室!!」と思わず心が震えてしまう。

手術をしてくれるスタッフの方たちは明るく雑談で盛り上がっていて、患者の僕にも「入院しているフロアうるさいでしょー(笑)」などと話題を振ってくれた。手術を受ける人が不安にならないように、気を使ってくれていたのかもしれない。やさしい。たしかに、これから手術を初めて受けるというときに、部屋の中でスタッフが必要最低限しかしゃべらず沈黙してたら逃げ出したくなるだろう。

手術台の上に乗り、点滴を刺される。だんだん眠くなるよー、右腕が少ししびれる注射をするよー、など話しかけられながら談笑しているうちに意識は消失。
最後の記憶は右腕がだるかったことだった。

……

……

……

13:45頃、意識が回復。

僕は何かに乗せられて運ばれていた。

視界はおぼろだ。

看護師さんが「わかりますか、病室ですよー」と言っている。おそらく入院してた病室に運び戻されるときだったのだろう。

目を開くと家内と両親がいて、手を振っていた。いま思い出すと、死を迎える手前みたいな風景だったなと思う。両親も家内も意識を回復したのを見届けて、病室からは帰っていった。

朦朧とする意識の中、体の調子で気づいたことは、一つは麻酔の気管挿入でのどがカラカラとすること。もう一つは右上の唇が腫れあがっていることだった。(あとで聞いたら、気管挿入の管が当たってよく腫れるらしい)
その上、酸素マスクが腫れた唇に当てたっていて、とにもかくにも不快でしょうがなかった。

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一刻も早くマスクを外したかったのだけど、覚醒後4時間は外せないとのことだったので、もうあきらめて眠りの中へ意識を逃げ込ませることにした。麻酔が残っているせいか、たやすく眠りの中へと滑り込めたが、それでも1時間おきぐらいに目が醒めてしまい、4時間経ってないことにがっかりする

そうこうしているうちに4時間たち、麻酔もすっかり醒めてきて足を見ると、左足はきっちりとギプスに巻かれてワイヤーハウスのようなもので保護され、右足には定期的に足を締め付ける機械が取り付けられてた。

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この日のことも受傷当日のように記憶があいまいだ。(全身麻酔されてたんだから当たり前か)痛み止めのために点滴で流されていた麻薬の影響もあったのかもしれない。

右足を定期的に締め付ける機械だけがぷしゅー、ぷしゅーとちょっと狂気的に僕の右足を締め上げていたのが変に記憶に残っている。

 

骨折後10日目、手術後2日目

右足の機械のおかげでぽつぽつと目覚めてしまい、あまり眠れない。
患部は格別耐えられないほど痛むということはないが、骨折後のように再びぱんぱんに腫れあがってしまい、そこをギプスで圧迫されているので、じーんと疼くような痛みが続く。骨折手術体験者が口をそろえて「手術後の方が痛い」と言うのもうなづける。

朝イチで採血をしたのち、午前中に看護師さんに手術着を脱がされ、全身を拭かれ洗われたのち私服へと戻った。ひとつ人間らしさを取りもどした気持ちになる。

午後イチでリハビリの理学療法士さんが来るが、点滴が入ってるのでまだ何もできない。しかしせっかくなので足を下ろしてみましょうかということになり、左足をベッドから下ろしてみたが、それだけで激痛が走る。リハビリどころの話ではない。今日のところはあきらめることになる。

昼過ぎに尿道カテーテルを抜かれ(激痛)、さらに人間らしい生活に一歩戻ることになる。しかし点滴は残っているので、車椅子でないとトイレに行けない。不便。

点滴は、痛み止めの麻薬を流すためにリンゲル液を流し入れているとのこと。麻薬は常時一定量流入しているのだが、患者が枕元のボタンを押すことで一時的に流量を増量してくれる仕組みになっている。つまり痛みに応じて自分で麻薬を打てるシステムなのだが、やや退廃的な匂いがしないでもない

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麻薬を打ちまくってた頃の俺

そして夕方からは手術の影響で発熱してしまい、寝不足なのか麻薬なのか訳の分からない意識ぼんやり状態に突入して、スマホもテレビもろくに見られず、目をつぶっていた。結局、この日もただ寝ているだけに近い一日だったように思う。 

 

 骨折後11日目、手術後3日目

あまり連続して眠れない。
というのも、点滴で強制的に水分が体内に入ってくるから夜中おしっこに行きたくなってしまうのだ。でも点滴のせいで松葉杖は使えないから、そのたびナースコールを押して車椅子を持ってきてもらうことになる。

さっきから点滴のことばかり書いているが、このように点滴があると本当に何もできない。シャワーも浴びられないから、このままだとまた看護師さんに服を脱がされて洗われるという情けない事態になってしまう。早く点滴を抜かねばならない。

というわけで午前中に来た回診の麻酔科医の先生に「一度麻酔を止めてみてください」とお願いしてみる。これで痛みが無ければ点滴も抜けて風呂にも入れるし、頭のぼんやりも治まるかもしれない。「じゃあ試しに止めてみましょう」と止めてもらった。

その30分後。

「いだだだだ!!」と叫びながら、左足の痛みで飛び起きた。

痛い。手術の傷跡がものすごく痛い。

思えば体を2か所骨まで切り裂いているのだから当たり前だ。痛くて痛くて汗が流れてくる。結局、午後の回診で先生に「先生、麻薬入れてください」と泣きついて再び麻薬を入れてもらうことにした。何だこの退廃感。

リハビリが13:30にあったが、結局点滴も抜けないし昨日と同じく足も痛いしで、やっぱり何もできず。

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熱も引かないし頭痛もひどい。細かいものを長い時間見続けられない。少しでも仕事をしようとノートPCを病室に持ち込んでいたのだが、画面を見ていると倒れそうになるので、あきらめて結局この日も寝ていた。

 

骨折後12日目、手術後4日目

朝イチで採血。

午前中に手術後初の便通。ここまで48時間、3食食べても何も出ていなかったのが、とつぜん1時間ごとに連続3打席大安打。急に体の調子が平常に戻ってきているのを感じる。

左足もそれほど痛くない。これならいけるかもしれない!と昼食後に点滴を抜いてみるが、特に問題はなかった。これで麻薬生活とはおさらばだ。俺は人間に戻ったぞー! グッドバイ、デカダンス文学。
喜びに浸りながら13:00のリハビリ、14:30のシャワーを楽しむ。足で歩けるって素晴らしい。お湯をお湯を浴びるってこんなに素敵なことだったのか。

とはいえ、もちろん痛いか痛くないかと言えば痛いので、必要最低限にしておとなしく暮らす。

夕方、予想より腫れの引きが遅いので、ギプスにカッターで窓を開けてもらい、手術後の傷口を診てもらう

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急に回復してきたので、明日にでも退院になるかなと覚悟はしていたのだが、ちょっと腫れの引きが遅いので、もう少し入院とのこと。
痛かったので安心はしたが、仕事に戻れないことに少しがっかりもする。

 

骨折後13日目、手術後5日目

体調は急速に回復する。腫れも順調におさまり、明日退院の許可が出る。
リハビリでは松葉杖の長距離移動と階段の昇降をやり、日常生活へ復帰のゴーサインももらえる。

入院最後の記念にと、車椅子に乗って患者専用のミニ図書室や院内学級を見学してみる。頭もすっきりしてきたので、ようやく本も読めるようになった。ノートPCを持ち出して、エクセルの関数を組みまくり、最後の最後まで引っ張っていた仕事も怒涛の勢いで片づける。かなり人間生活の地平に戻ってきた感がある。

ちなみに入院生活の最後の晩餐は春巻だった。

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ここの病院食は、隙を見せると茹でキャベツが差しはさまってくる。最後も安定のキャベツで、ぶれない姿勢にリスペクトの念を覚えた。

 

骨折後14日目、手術後6日目

退院。

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こんな顔芸ができるほどの余裕も出てきた。

このあと2日間の自宅療養を経て、仕事へと復帰できた。

足は徐々に腫れが引き、体重もかけられるようになり、手術後10日後ぐらいには片松葉歩き、15日後ぐらいには松葉無しでもびっこ歩きぐらいはできるようになっていった。

 

しかし僕は、このあとまさかの再入院を迎える。

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