まさゆき研究所

ライター・加藤まさゆきのブログです。デイリーポータルZなどに記事を書いています

足首骨折・入院記録①初日~3日目 群馬での入院

このあいだ左の足首を脱臼骨折して手術&2週間の入院をすることになったので、その期間の記録を残しておこうと思う。

骨折当日

遊びに行った先の群馬県で受傷。
足首が完全に変な向きを向いていたため、群馬大学病院の救急へ搬送。全身と左足のCT・レントゲンを撮影される。

診断は「左足首・脱臼骨折」とのこと。

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足首が完全に外れている

ひととおり検査が終わったのち、「足首を元の向きに戻しますねー」ということで腕に挿していた点滴から麻酔薬を流され、ああっという間に眠りに堕ちた。

目が醒めると足首は無事に元の向きに戻っており、固い板(シーネ、というらしい)で固定されていた。そして病室へと運ばれ入院生活が始まった。

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骨折直後の夕方。まだむくんでいない。

このあとの治療のめどが先生から説明される。

1週間もすると足のむくみが引くので、それを待ってから手術になるであろう、とのこと。足を専門とする整形外科医にやってもらった方がいいので、僕の自宅の近くで足の専門医を探してみる、という方針を立ててもらえる。

明日になれば松葉杖を買えるように手配するので、転院先が決まって茨城に帰れる目途がつくまでは、院内で松葉杖の練習をして過ごすといい、との話を受ける。

この日のことはそれ以外あまり覚えていない。突然の救急搬送から始まった入院生活が現実とは思えず、疲れ果て、夢を見ているような気持ちで全てのことが過ぎていった。

 

骨折2日目

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整復後のようす。足首側にある腓骨が折れたまま。

朝起きる。
が、もちろんベッドの上から動くことはできない。寝たきり状態でトイレも行けない。生まれて初めてしびん生活をすることになる。ただひたすらテレビやスマホを見て過ごす。

昼前ごろにようやく義肢装具士さんがきて、松葉杖を手に入れることができる。7500円。
リハビリということで誰かが歩き方とか丁寧に教えてくれるのかと思っていたら、そういうのは特に無かったので、実地訓練でリハビリを開始しなければいけないらしい。前日の折れた足首の残像が頭に残っているのもあり、移動すること自体に不安感が残るが、いつまでもしびんを友として暮らすわけにもいかない。

看護師さんに簡単に使い方を教わり、おそるおそる移動を始める。しかし、全く慣れないため、エレベーターで1階に行って帰ってくるだけでも手が真っ赤になり、全身は汗だくになってしまった。売店に行くこともできなかった。

というわけでリハビリはほどほどにして、病室に戻る。ここでおとなしくスマホでも見ていればよいように思えるが、僕は救急で搬送されたため充電器も持っておらず、必要最低限の連絡のために充電は温存しておかなければならない。
しょうがないので病棟の会話室にあるマンガを読んで過ごす。

窓の外の前橋市の風景を見ながら、平日の昼におれは群馬で何をやっているんだ、これは現実なのか、という思いが繰り返し頭の中を巡る。

群馬に知り合いがいないことはないが、さすがに平日の昼にいきなり「骨折って前橋で入院してます」と連絡されても困るだろう。そんなことを思いながら、廊下を行き交う看護師さんや患者さんを眺めていた。

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後ろにあるのが買った松葉杖。ご飯は、おかずが多くて毎食美味しかった。

担当の先生の回診がある。
まだ茨城の病院と連絡がうまく取れず、転院先が確定しないとのこと。使い物にならなくなった足首を思い出して不安が募る。
足の専門医に診てもらえるのか、適切な時期に手術をしてもらえるのか。

気持ちを正直に伝えると、どうしてもというのなら、私が足の専門医を群馬県内で紹介して手術を受けるという方向も無くはないが、出来れば家族の近くに戻った方がいい、と勧められる。それでも、どうしても転院先がみつからなければ、最後には私が何とかするから、と言ってくれた。

そこまで言ってくれて、あたふたするのもかっこ悪いので、先生のことを信じて待つことにする。

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次の日になって少し腫れてきた左足。

2日目の夜は眠れなかった。

初日は訳が分からなかったので眠りこけたが、2日目になるとマクラの形が自分の首に絶妙に合わないことに気付いたりしてしまう。手持ちにある唯一のお菓子だったハイチュウを舐めて気持ちを静める。普段甘いものを食べないが、こういうときなると甘いものって人の気持ちを静めるんだなあと実感する。

骨折3日目

これまでどうやって茨城に帰るかが最大の問題であったのだが、兄がどうにか都合をつけて、群馬から茨城まで車ごと運んでくれることになった。

右足でどうにか運転できそうではあったのだが、先生からは「そんな足で運転してはダメ」とNGをいただいていたので、悩んでいた。
電車とタクシーで帰るにしても、杖でちょっと歩いただけで音を上げる現状では到底できるとも思えない。最後の手段として「搬送車」というものもあるらしいのだが、やはり自分の車は持ち帰りたい。

ここらのわがままをすべて兄が引き受けてくれることとなった。

ようやく明るい目途が立ち始めたときに、折良く先生から、筑波大学病院への転院が決定した連絡があり、不安の中過ごした群馬での2泊3日の日々に別れを告げ、円満に茨城へ帰れることとなる。

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最後の昼ごはんで食べたうどん。一番おいしかった。

午後。

看護師さんから紹介状を預かり、車いすを兄に押されて、初めて見る病院の正面玄関を抜け出て(救急で運ばれたので見たこと無かった)、コンビニでコーヒーを買い、開通したばかりの圏央道を走り抜けて、茨城へと帰り、家族との再会を果たした。

そして3日ぶりに風呂に入って皮脂でねとねとになった髪を洗い、翌日から始まる入院生活に向けての準備を進めた。

群馬での3日間は不安と非現実感が全てだったように思い出される。そんな中、担当医の先生はとても頼もしく、とつぜん入院した僕の不安を常にやわらげてくれた。感謝しかない。僕が高校生だったら、あやうく医療従事者に進路変更するところだった。

 ■つづく↓

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