「サルまん」は偉大だった
最近、ネットで「サルまん」について見ることが多いので、リアルタイムで読んでいた当時が懐かしく思い出した。一巻の奥付を見ると1990年発売となっているから、もう25年前のマンガだ。
サルでも描けるまんが教室―青春コミックス (1) (Big spirits comics)
- 作者: 相原コージ,竹熊健太郎
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 1990/10
- メディア: 単行本
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さて、若い世代は「サルまん」をあまり知らないだろうから簡単に話すと、ビッグコミックスピリッツで連載された、『サルでも書けるまんが教室』というタイトルの、マンガでマンガを評論した作品だ。
作者は『勝手にシロクマ』『コージ苑』で新世代ギャグ作家の旗手となりつつあった相原コージと、日本一のマンガおたく竹熊健太郎。この二人がコンビを組み、毎週いろんなカテゴリーのマンガを脚色たっぷりに分析していく、そんなスタイルで一躍話題作となった。
こんな感じだね。これは「うけるエスパーまんが」の回。
実際、当時の深夜ラジオ(いまのインターネットぐらいの影響力があった)でもよく話題になっていたし、別作品でオマージュもよく見たし、結構マンガ好き界で盛り上がりを見せたように思う。
じっさい僕もとてつもなくこのマンガには夢中になり、本当に熱心に読みこんだものだった。80年代までのまんがの流れを的確に読み切ったこの作品を読む前と後では、まんが自体の見方が変わったような気がして、ジャンプしか読んだことが無い同級生よりも自分がものを知っている気になれたのを覚えている。
その功罪、クリエイターが過去を細分化すること
しかし知っての通り、このあと相原コージさんは魂が尽きたかのように作品を描けなくなる。見ていて痛々しくなるほどだった。
自身が切り開いた分野のひとつであるはずの「不条理ギャグ」についても、吉田戦車・中川いさみ・榎本俊二さんたちの方が自由闊達に才能を発揮して、次世代を作っていった。かたや、相原さんはヒット作品はおろか普通の作品さえ出なくなってしまう。
これは思うにクリエイターが評論者になってしまったことによる「跳ね返り」なのではないだろうか。
評論する、ということは過去の作品を徹底的に比較し、細分化していく過程だ。やればやるほど過去を微視的に見つめすぎることになってしまい、過去作品の枷にますます縛り付けられてしまう。そしてそれは、創作者自身が足を踏み出そうとするときに何よりもその歩を痛めつけるだろう。
「このパターンは既出ではないのか?」
「この作品はかつて自分は評論した枠組みの中でしかないのではないか」
そんな自問自答がつねに創作者の心を苛むだろう。相原さんはそのあと、あれやこれやとマンガの「枠組み」を壊そうとする実験的な作品に挑戦しようとするが、いまいち自由な感じが無く、試みがすべて70~80年代の土台に捉われすぎている感があって、むしろ読者の方がとっくに先を見つめているような状態になってしまったような感じがする。
こんなネットの隅っこでうさんくさい記事を書いている僕ですら、「記事の書き方」みたいな記事を書いたあとの次の記事は本当に書きづらかった。
↑これね。
書いた後しばらく「こんな偉そうなこと書いておいて大したことないな」と思われたら恥ずかしいな、書かなきゃよかったなかな、とか思ってしまう。創作をする人は過去作品を踏まえる必要あろうが、作品論を語ることに執心しすぎると足を踏み出せなくなってしまうのだ。
もちろん相原さんが作品を出さなかったのは、ぼくが推察した理由だけではないだろうとは思うのだが、それでもクリエイターにとって、過去の細分化し過ぎは良くないのだろうな、ということを僕は偉大すぎる作品「サルまん」から学んだように思っている。
※ちなみに中川いさみさんの最近web連載しているやつはとても面白い。
あれぐらい大御所になると、なんかもう書いてもとらわれる物がなさそうでうらやましい。