まさゆき研究所

ライター・加藤まさゆきのブログです。デイリーポータルZなどに記事を書いています

Good Bye from つくば市桜

僕は先月引っ越すまで、つくば市の桜という町に住んでいた。
結婚を機に住み始めて10年、その間にデイリーポータルのライターを始め、猫を飼い、祖母と叔父と父が亡くなり、車も2台乗り換えた。
そして子供が産まれて2年、さすがにアパートでは手狭になったのでこの町から住み替えることにしてしまったんだけど、ちょっとこの10年間の思い出を書いてみたいと思う。

筑波大学が近い

ここに住み始めた一番の理由はペット可の物件があったことなんだが、それと大事なことがもう一つ、筑波大学の真隣であるというのがあった。

f:id:masayukigt:20180923142214j:plain
学生寮に棲むネコたち

僕も嫁さんも筑波大の卒業生で、しかも大学に並ならぬ愛情を持つ同士なので、その地に近いというのはほんのりと感じる頼り甲斐にも似た安心感があった。
実際、足を骨折する前までは慣れた大学のコース道路を年中ジョギングしていたし、平日休みの日なんかは学食で仕事をすることもあった。
学生が多いから町の雰囲気も若くて活気があり、そういう意味でも気分のいい町だった。

 

公園がでかい

家のすぐ前にやたらでかい公園があり、これが大好きだった。
引っ越して一番残念なのは公園が目の前に無くなってしまうことだ。
でかい上に人が少なく、基本何してても目立たないのでデイリーポータルの撮影はほとんどこの公園で行った。

f:id:masayukigt:20180923143337j:plain
こういう写真はほぼすべてここで撮影した

近隣の調整池となる公園だったので、豪雨のあとなんかにはなみなみと水が溜まり、結構な大きさの池になるのも良かった。
春は桜が咲いて、毎年花見が楽しかった。産まれた初孫を囲んでの花見写真は、惜しくも去年逝去した父の遺影になった。

f:id:masayukigt:20180923142554j:plain
春夏秋冬、いつでも撮影に使える(天気図の記事より)

目の前にあるので子供を遊ばせるにもよかった。ちょっと育児で持て余したときなど、この公園に連れ出せば、ご機嫌斜めもすぐに治った。
公園の隣には小さい神社があって、日々に小さく詣でたり、きのこ観察をしたり、松ぼっくり拾いをしたりと、こっちの思い出も尽きない。

この公園ロスから回復するにはしばらく時間がかかりそうである。

 

森が多い、植物園が近い

桜の町は駅から遠く、広々として森も多い。先だっての公園に続いて保安林という謎の杉林、そこからのさらに栗林、それに続いて筑波実験植物園が広がる。森好きの身にとってはこの上ない環境だった。

f:id:masayukigt:20180923143735j:plain
原始人ばかりですいません(黒曜石の記事より)

仕事に疲れ果てたときなど、森のゴミ拾いをして1日を過ごすこともあった。

そしてその南にある植物園には年間パスポートを買って通った。1番通ったときは、年間の企画展を全てコンプリートし、記念品一番のりを達成した。
春のサクラソウ展、夏の水草展、秋のきのこ展、冬の温室、いつ行っても楽しめた。

f:id:masayukigt:20180923143935j:plain

この植物園から遠ざかってしまうのも、桜ロスを深める大きな一因である。

 

ツタヤ、パン屋、本屋

ツタヤが近くにあり、レンタルコミックをすぐに借りられるのも良かった。僕ら夫妻の最大の共通趣味は漫画読みなのだが、話題作は片っ端からレンタルコミックで読み進めることができた。
そこから少し歩くとグリグリという超絶うまいパン屋があり、そこのバゲットサンドを食べながら漫画を読む休日は桜時代の最大の贅沢だった。

本屋が途中で無くなってしまったのは残念である。

友朋堂という筑波大生の知を支えた名店があったのだが、出版不況により閉店を余儀なくされてしまった。閉店当日のシャッターが下りる瞬間には僕も駆けつけ、ツイッター民に報告しながらその最後を見送った。

f:id:masayukigt:20180923144241j:plain

なお、その後本屋の跡地には24時間営業のドラッグストアが入ったのだが、いざ店が替わってみると、本屋時代よりもそっちの店に行くことが多かったのは、認めざるを得ない事実である。

 

それでも桜に別れを告げた

ここまで書くと、なら桜に家を建てれば良かったじゃないかという気もしなくはない。
事実、それでも悪くはなかったんだけど、「とにかく駅から遠い」という致命的ビハインドがあり、子供が自立して行動する上で駅から遠いのはちょっとかわいそうだなと、やはり思ったのだ。
前まではなんだかんだと月に4〜5回は都内に出ていたのだが、歩いて帰ると60分という遠い家路のつらさは身に堪えるものがあった。
新しく移った町である研究学園は駅前の町だし、もちろん気に入って引っ越したんだけど、桜に住んでいた頃の穏やかで小さな生活が早くも懐かしいような気がしている。

楽しさを全部楽しみたい

世の中にある楽しそうなこと全部楽しみたい、そう思って生きている。

ロックフェスも鉄道の旅も街角観察も、何でも行ってみれば、やってみれば、楽しい。デイリーポータルのライターもそう思って9年間続けてきた。

しかし最近いくつかのものをどうしても楽しめなくて、悔しい思いでいる。

YouTuberとスマホゲームとSNOW。

世間で大流行しているので、ちょっと触ってみたのだけれど、何が面白いのか全然共感できなくてやめてしまった。
YouTuberは細工の利いていない悪ふざけに見える。スマホゲームは同じシステムに違う絵を乗っけただけじゃないのか。SNOWに至っては意味不明だ。

と思い切って否定してみたが、若い頃は僕らもやはり同じようなものに夢中になっていたように思う。
深夜ラジオやファミコンやプリクラ。
僕らの親世代はおそらく、それらに若者が大盛り上がりになるのをこんな気持ちで見ていたんだろう。世代は繰り返す。

でもYouTuberは深夜ラジオよりたぶん少し面白いんだろうし、同じようにスマホゲームもSNOWも、少し面白くなっているはずだ。その「少しだけ面白くなっている部分」を味わえないのは、やはり悔しい。
なんというか、僕らの脳は「人生の中でそういう種類のものに盛り上がれるのは1回だけ」であるようにできているのかもしれない。

とすれば若者たちもそのうち僕と同じように新しいものを思えなくなるんだろう。
そして今僕がやりたいことに共感してこう思うに違いない。

「盆栽やりたい。何もかも忘れて、ひたすら夢中に盆栽やりたい」と。

 

作り続けることと「才能」

 

この言葉は心にしみる。

学生の頃、僕も一時、文章創作の道を考えたことがある。しかしそれが到底かなわぬ理想であることを思い知った出来事があった。ある一人の後輩が入学してきたことだった。

僕はそのころ大学の文芸サークルに所属していて、気が乗った時につらつらと書いた詩を文芸サークルの発表会に出している生半可な青年だった。

当時、詩作の世界で職業作家を目指すことはもはや到底かなわない時代だったのだが、それでも純粋に言葉の力を原始的に紡いでいくことのできる現代詩は魅力的で、それなりには頑張って取り組んでいた。

しかし、そのきっかけとなった彼は明らかに違った。作品を生み出すスピードと量が完全に別次元で、ミーティングのたびに、次から次へと新しい挑戦に満ちた新作を持ってくるのである。「湧き出し方」が比にならないのだ。

「気が乗らないと書けないー」なんて言ってばかりの自分。かたや次から次へと新奇な小説を生み出し続ける彼。その圧倒的な彼我の差に衝撃を受け、自分などとうてい創作の世界の門戸をたたく資格のない人間なんだなと自らを知り、すくなくとも職業作家になることはあきらめた。

※ちなみに、それが先日デイリーポータルに出てきた橋本である。

 

あのころから20年、才能というものについて考える機会が幾度かあったけれど、とにかく湧き出す力、いや、湧き出させ続ける力、ほど重要なものは無いのではないかという結論に達することはよくあった。

才能があるから作り続けられるのか、作り続ける努力のことを才能と呼ぶのか、そんなことはよくわからないが、もし何かの創作を始めようと思うひとがいるのなら、その人にはありとあらゆる「作らなくていい理由」を突破して、作り続けてほしい。そうでなければ才能があるかどうかもわからない。

上人としての活動

近所の公園に遊具の土管があるが、中にものすごく砂が詰まっている。

長年の強風で砂が土管の中へと運ばれたんだと思う。運ばれた砂は一つの丘となり、土管の3分の1の高さまで砂が積もるようになっていた。20年以上かけて風で偏った砂は土管を覆い、さらにその上に雑草まで生え始めている。

長女とトンネル遊びをしていて、状況に気が付いた。これはよくない。

というわけで、さいきんの僕はと言えば、休日に空いた時間を見つけてはこの土管の中の砂を外へ掻き出す活動を行っている。

 

f:id:masayukigt:20180617220043j:plain
作業が半分ぐらいまで進んだ。

 

f:id:masayukigt:20180617220116j:plain
掘り進めている土管の内部。詰まった砂のせいで、子供ですら遊びにくく。

 

この公園には長年デイリーポータルの撮影でお世話になった恩義がある。そろそろこの町から引っ越してしまうので、せめてでもの恩返しとなれば、という思いもある。

クワと大小スコップ2本を買ってきて、それをひたすらに掘り進めている。

特に誰に説明することでもない。ただ自分がやりたいと思っただけのことを、好きなペースでするのはとても楽しい。だいたい1時間ぐらい。いい運動にもなる。

最初は、この発想をあきれ顔で聞いていた家内だが、最近ではすっかりあきれ尽くして、掘り終えて家に帰ると「まさゆき上人さま、今日はどれぐらいお掘りになったのですか」と言ってくるようになった。

死後、祀られるかもしれない

つくば市内で動物に触れあえる場所

子供を近場のお出かけに連れて行くのに、「動物見に行こう」というのが手っ取り早い。

20年もつくば生活をしていると、地味に動物出現ポイントを押さえることができているので、まとめてみたいと思う。

 

ウシ:筑波大・農林技術実験センター

 

概要:筑波大は柵が無いので、車でそのまま行ける。ホルスタインが10頭ぐらいいる。4月末の季節は八重桜がきれい。

f:id:masayukigt:20180503194853j:plain

 

ウマ:筑波大学厩舎

概要:筑波大学馬術部の馬。厩舎は地図では記載が無いが、大学北端の東大通りをはさんで向かい側にある。

学生さんがいるときは、思い切って中に入って「見学させてくださーい」と言うと、こころよく見学させてくれると思う。

 

ヤギ:イチゴ農家の「かわらけや」

f:id:masayukigt:20180503195122j:plain

金田の奥にある桜川沿いのイチゴ農家さん。河原の土手でヤギをだらだらと放牧している。2月~4月はいちご狩りも楽しめる。

 

カモ・コイ:洞峰公園

概要:説明不要。でも4月ごろになると人懐っこいカモは北に渡ってしまい、にべもないカモだけが残る。「謎の鳥」として有名だったバリケンは、最近、数を減らしている。 

f:id:masayukigt:20180503195629j:plain

 

カメ、ザリガニ:松代公園

概要:公園だけど、想定外に生物相が豊か。縁日でいるようなミドリガメの子供までいる。

 

ウサギ、ニワトリ:みずほの村市場 

概要:国内でも有名な一流野菜直売所。遊具コーナーや自然コーナーも充実している。ニワトリが駐車場を適当にうろうろしているのがとても好きだったのだが、最近見ないので寂しい。

 

他にも見られる動物の情報あったらください。

「山岡家」のことを語らせろ

先日デイリーポータルで、ぬっきいさんがラーメンの山岡屋のことを記事にしてて、なんとも嬉しくなってしまった。

portal.nifty.com

 

山岡家のことを語らせたら筑波大OBは熱い。特に俺らぐらいの、35歳以上のOBは特に。

24時間やってる山岡家・牛久本店は貴重な存在で、古い世代には「牛久ラーメン」の愛称で親しまれ、麻雀明けては山岡家、深夜の海ドライブの締めに山岡家と、とにかく何かにつけ山岡家に行ったものである。(友人もバイトしていたし)

当時価格も550円かそれぐらいだったので、学生の財布にも優しかった。

 

茨城が発祥だけど

山岡家は1988年に牛久で発祥したラーメン屋で、そこで大成功してなぜか北海道に進出する。そして北海道で大々的に店舗数を増やす。しかしその反面、本拠地である茨城ではそれほど店舗は増えない。

ヒストリー

この公式の社史を読むと、僕が筑波に来た1997年、茨城には2店舗しかなかったことが分かる。「牛久本店」と「つくば店」だ。つくば店はできたばっかりで、先輩たちは「牛久ラーメンがつくばにもできた!」「味は牛久本店の方がうまい」だとかあれこれ言っていた。

f:id:masayukigt:20180408231926j:plain

僕が行っていたのはおもにつくば店の方で、塩ネギラーメン中盛がお気に入りだった。ネギが本当においしいのだ。1週間ぐらい連続で行ったこともあったが、あの強烈な獣肉の香りのするラーメンをよく食べ続けたものだと思う。

そんなつくば店は時代の流れに抗えず、去年閉店してしまった、その記念として閉店前に一度食べに行った。

f:id:masayukigt:20180408231902j:plain

f:id:masayukigt:20180408231957j:plain

人生で2番目に多く通ったラーメン屋だった。 今でも若干寂しく思う。

 

北海道での驚き

このように筑波大生に骨の髄まで浸み込んでいる山岡家のスープだが、実は北海道で大発展しているなど学生時代は思いもよらず、北海道で就職した友人からその話を聞き、のけぞるほど驚いた。

友人としても、つくばの魂であり懐かしい学生時代の味……と思っていた山岡家が、北の大地に広がっているのを見て衝撃を受けたという。

Vol.17 丸千代山岡家 × タナベ経営 | FCC REVIEW.digital

ここに山岡家の社長のインタビューが載っている。社長が好きだったから、北海道に進出したらしい。2000年前後から関東一円にも徐々に進出するようになり、ずいぶんと多く見かけるようになった。

そしていつのまにか北海道の方が本社となって、関東地区の店舗も統括するようになり、牛久が本店であったことを知る人も少なくなっているのではないだろうか。

そして牛久勤務のぼく

ところで僕は牛久市に勤務し始めてもう17年目である。

最初、牛久で働くと友達に言ったときは「牛久!?山岡家行き放題じゃん(笑)」とからかわれたものだ。

年を経るにつれてあまり行かなくなってしまったが、山岡家牛久本店は思い出したように行くことがある。

 


国道の無骨な立地にたたずむ牛久本店

学生時代、先輩の車で深夜に連れて来られた頃から何一つ変わっていないそのたたずまいは、鼻腔の奥を刺激するくすぐったさがある。

 ぬっきいさんの記事を読んでからまた急激に懐かしくなり、直後に立て続けで3回も行ってしまった。

f:id:masayukigt:20180408234411j:plain
10枚ためるとラーメンが食べられるサービス券

獣くささ、油の量、小麦感の濃厚な太麺、全てがあい変わらずだ。
山岡家、いつの間にかサービス券から「牛久本店」の表記が無くなってしまったけど、元筑波大生として、そして牛久市勤務の人として、これからも絶賛応援していきたいと思う。

柏に住んでいたころのこと

そろそろいよいよ僕も30代でなくなってしまうのだが、最近なんとなく、柏に住んでいたころのことを思い出す。

僕は27歳の頃、1年だけ柏に住んでいたことがあったのだ。

 

 

このあたりのアパートだ。

東武野田線柏駅豊四季駅のちょうど中央あたりで、モロに線路沿いだっため、始発電車の音で毎日目が醒めるという、健康だかそうでないんだか分からない立地だった。(電車好きなんでいいんだけど)

住んだのは社会人になって4年目ぐらいだったのだが、社会人になりたての頃よりも、この頃のことの方が「あの頃若かったなー!」という気持ちとともに思い出される。

1年だけだったけれど、僕はこの町で充分に生活しきったなと思う。

 

街並みがよかった


近くにあった豊四季団地

 

僕はもともと街の民なので、どちらかを選べと言われたら間違いなく都会暮らしを選ぶタイプだ。しかし学生時代から9年間、つくばで安穏と暮らしていて、「このままではさすがにヤバい」と謎の焦燥に駆られ、半ば衝動的に引っ越した。

住むなら可能な限り街の方がいいなと思って柏を選んだ。

柏の街の混み込みした感じは僕の理想にほどよく、車通勤生活を満喫しつつも、街の暮らしも楽しむことができた。アパートの駐車場が妙に広く、バイク停めたり、友達の車をしばらく停めたりしてても大家さんはOKだった。

近くに豊四季団地といういい感じにひなびた団地もあり、陽射しのいい日はそこの写真を楽しむこともできた。

総じて、街に暮らしたいという気持ちは充ち足りたように思う。

 

ランコースがよかった

柏には大堀川という細い川が流れていて、その土手を毎日ジョギングした。

柏の市街から、国道の下を通り、最後には隣駅「北柏」のホーム近くまで伸びていて、変化のある面白いコースだった。

昼は川面の照り返しの中を、夕方は散歩する飼い犬に混ざり、夜は北柏駅のホームに往来する電車を眺めて、毎日毎日飽きることなく走った。

6月ごろ、仕事が昼で終わりになったので、喜んで帰って、午後3時ころジョギングに出たことがあった。

ほどよく走ったところで急ににわか雨が降り出し、熱しきったコンクリートに落ちた雨粒はあっという間に湯気となって、あたりは蒸し切った空気に包まれた。大粒の雨を浴びながら、草と道路の臭いが入り混じったむわーんとする空気の中を走り抜けたあの時の、「あー、俺生きてる!」という、生々しさに満ちた感触は今でも忘れられない。

いまにして思えば、つくばという閉塞的な環境から、見知らぬ街へと抜け出た開放感の象徴であったのかもしれない。

この川沿いのコースことは、今思い出してもむずがゆくって、こそばゆい。

 

友達と同棲した

友達が休職生活から復帰するために関東に帰ってきたものの、住む当てが外れてしまったため、僕の家に転がり込んできた。アパートは2DKなので、僕としてはとくに支障も無い。

というわけで予想外の2人生活が始まった。

f:id:masayukigt:20180327235919j:plain

趣味が似ているので毎日楽しかった。2人でジョグをして、2人でバイクの整備をして、そしてツーリングにも行った。2人で住んでいるので、そのまた友達も遊びに来てくれて、生活は賑やかだった。

友達と同棲するのだけは、絶対に若いうちかしかできないからやっておきな、と人生の先輩に言われたことがあったが、実際ものすごく面白い体験だった。帰ってくると大鍋一杯の豚汁(10人前ぐらい)ができていたりするのもファンキーで良かった。(単に彼が面白かっただけかもしれないが)

実質3か月ぐらいで終わってしまった生活だったが、柏での思い出に何かサイコー感があるのは、あの3ヶ月があったからだと思う。

 

これ以外にも都内に遊びに行きやすくなったのでライブに行くこともぐっと増えたりと、活動性の増した期間だった。だが、同棲生活が終わってしばらくすると、柏自体には友達がいないため、週末ごとに都内に出ることになり、「結局都内に行くのなら、柏でなくてもいいのでは」と思って、元の茨城に引っ越してしまうこととなる。

しかしそれでも、「見知らぬ街」にしっかりと住んだあの1年間は、僕の人生とってまちがいなく必要なものだったよなと、今でも確信することができる。