まさゆき研究所

ライター・加藤まさゆきのブログです。デイリーポータルZなどに記事を書いています

上人としての活動

近所の公園に遊具の土管があるが、中にものすごく砂が詰まっている。

長年の強風で砂が土管の中へと運ばれたんだと思う。運ばれた砂は一つの丘となり、土管の3分の1の高さまで砂が積もるようになっていた。20年以上かけて風で偏った砂は土管を覆い、さらにその上に雑草まで生え始めている。

長女とトンネル遊びをしていて、状況に気が付いた。これはよくない。

というわけで、さいきんの僕はと言えば、休日に空いた時間を見つけてはこの土管の中の砂を外へ掻き出す活動を行っている。

 

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作業が半分ぐらいまで進んだ。

 

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掘り進めている土管の内部。詰まった砂のせいで、子供ですら遊びにくく。

 

この公園には長年デイリーポータルの撮影でお世話になった恩義がある。そろそろこの町から引っ越してしまうので、せめてでもの恩返しとなれば、という思いもある。

クワと大小スコップ2本を買ってきて、それをひたすらに掘り進めている。

特に誰に説明することでもない。ただ自分がやりたいと思っただけのことを、好きなペースでするのはとても楽しい。だいたい1時間ぐらい。いい運動にもなる。

最初は、この発想をあきれ顔で聞いていた家内だが、最近ではすっかりあきれ尽くして、掘り終えて家に帰ると「まさゆき上人さま、今日はどれぐらいお掘りになったのですか」と言ってくるようになった。

死後、祀られるかもしれない

つくば市内で動物に触れあえる場所

子供を近場のお出かけに連れて行くのに、「動物見に行こう」というのが手っ取り早い。

20年もつくば生活をしていると、地味に動物出現ポイントを押さえることができているので、まとめてみたいと思う。

 

ウシ:筑波大・農林技術実験センター

 

概要:筑波大は柵が無いので、車でそのまま行ける。ホルスタインが10頭ぐらいいる。4月末の季節は八重桜がきれい。

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ウマ:筑波大学厩舎

概要:筑波大学馬術部の馬。厩舎は地図では記載が無いが、大学北端の東大通りをはさんで向かい側にある。

学生さんがいるときは、思い切って中に入って「見学させてくださーい」と言うと、こころよく見学させてくれると思う。

 

ヤギ:イチゴ農家の「かわらけや」

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金田の奥にある桜川沿いのイチゴ農家さん。河原の土手でヤギをだらだらと放牧している。2月~4月はいちご狩りも楽しめる。

 

カモ・コイ:洞峰公園

概要:説明不要。でも4月ごろになると人懐っこいカモは北に渡ってしまい、にべもないカモだけが残る。「謎の鳥」として有名だったバリケンは、最近、数を減らしている。 

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カメ、ザリガニ:松代公園

概要:公園だけど、想定外に生物相が豊か。縁日でいるようなミドリガメの子供までいる。

 

ウサギ、ニワトリ:みずほの村市場 

概要:国内でも有名な一流野菜直売所。遊具コーナーや自然コーナーも充実している。ニワトリが駐車場を適当にうろうろしているのがとても好きだったのだが、最近見ないので寂しい。

 

他にも見られる動物の情報あったらください。

「山岡家」のことを語らせろ

先日デイリーポータルで、ぬっきいさんがラーメンの山岡屋のことを記事にしてて、なんとも嬉しくなってしまった。

portal.nifty.com

 

山岡家のことを語らせたら筑波大OBは熱い。特に俺らぐらいの、35歳以上のOBは特に。

24時間やってる山岡家・牛久本店は貴重な存在で、古い世代には「牛久ラーメン」の愛称で親しまれ、麻雀明けては山岡家、深夜の海ドライブの締めに山岡家と、とにかく何かにつけ山岡家に行ったものである。(友人もバイトしていたし)

当時価格も550円かそれぐらいだったので、学生の財布にも優しかった。

 

茨城が発祥だけど

山岡家は1988年に牛久で発祥したラーメン屋で、そこで大成功してなぜか北海道に進出する。そして北海道で大々的に店舗数を増やす。しかしその反面、本拠地である茨城ではそれほど店舗は増えない。

ヒストリー

この公式の社史を読むと、僕が筑波に来た1997年、茨城には2店舗しかなかったことが分かる。「牛久本店」と「つくば店」だ。つくば店はできたばっかりで、先輩たちは「牛久ラーメンがつくばにもできた!」「味は牛久本店の方がうまい」だとかあれこれ言っていた。

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僕が行っていたのはおもにつくば店の方で、塩ネギラーメン中盛がお気に入りだった。ネギが本当においしいのだ。1週間ぐらい連続で行ったこともあったが、あの強烈な獣肉の香りのするラーメンをよく食べ続けたものだと思う。

そんなつくば店は時代の流れに抗えず、去年閉店してしまった、その記念として閉店前に一度食べに行った。

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人生で2番目に多く通ったラーメン屋だった。 今でも若干寂しく思う。

 

北海道での驚き

このように筑波大生に骨の髄まで浸み込んでいる山岡家のスープだが、実は北海道で大発展しているなど学生時代は思いもよらず、北海道で就職した友人からその話を聞き、のけぞるほど驚いた。

友人としても、つくばの魂であり懐かしい学生時代の味……と思っていた山岡家が、北の大地に広がっているのを見て衝撃を受けたという。

Vol.17 丸千代山岡家 × タナベ経営 | FCC REVIEW.digital

ここに山岡家の社長のインタビューが載っている。社長が好きだったから、北海道に進出したらしい。2000年前後から関東一円にも徐々に進出するようになり、ずいぶんと多く見かけるようになった。

そしていつのまにか北海道の方が本社となって、関東地区の店舗も統括するようになり、牛久が本店であったことを知る人も少なくなっているのではないだろうか。

そして牛久勤務のぼく

ところで僕は牛久市に勤務し始めてもう17年目である。

最初、牛久で働くと友達に言ったときは「牛久!?山岡家行き放題じゃん(笑)」とからかわれたものだ。

年を経るにつれてあまり行かなくなってしまったが、山岡家牛久本店は思い出したように行くことがある。

 


国道の無骨な立地にたたずむ牛久本店

学生時代、先輩の車で深夜に連れて来られた頃から何一つ変わっていないそのたたずまいは、鼻腔の奥を刺激するくすぐったさがある。

 ぬっきいさんの記事を読んでからまた急激に懐かしくなり、直後に立て続けで3回も行ってしまった。

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10枚ためるとラーメンが食べられるサービス券

獣くささ、油の量、小麦感の濃厚な太麺、全てがあい変わらずだ。
山岡家、いつの間にかサービス券から「牛久本店」の表記が無くなってしまったけど、元筑波大生として、そして牛久市勤務の人として、これからも絶賛応援していきたいと思う。

柏に住んでいたころのこと

そろそろいよいよ僕も30代でなくなってしまうのだが、最近なんとなく、柏に住んでいたころのことを思い出す。

僕は27歳の頃、1年だけ柏に住んでいたことがあったのだ。

 

 

このあたりのアパートだ。

東武野田線柏駅豊四季駅のちょうど中央あたりで、モロに線路沿いだっため、始発電車の音で毎日目が醒めるという、健康だかそうでないんだか分からない立地だった。(電車好きなんでいいんだけど)

住んだのは社会人になって4年目ぐらいだったのだが、社会人になりたての頃よりも、この頃のことの方が「あの頃若かったなー!」という気持ちとともに思い出される。

1年だけだったけれど、僕はこの町で充分に生活しきったなと思う。

 

街並みがよかった


近くにあった豊四季団地

 

僕はもともと街の民なので、どちらかを選べと言われたら間違いなく都会暮らしを選ぶタイプだ。しかし学生時代から9年間、つくばで安穏と暮らしていて、「このままではさすがにヤバい」と謎の焦燥に駆られ、半ば衝動的に引っ越した。

住むなら可能な限り街の方がいいなと思って柏を選んだ。

柏の街の混み込みした感じは僕の理想にほどよく、車通勤生活を満喫しつつも、街の暮らしも楽しむことができた。アパートの駐車場が妙に広く、バイク停めたり、友達の車をしばらく停めたりしてても大家さんはOKだった。

近くに豊四季団地といういい感じにひなびた団地もあり、陽射しのいい日はそこの写真を楽しむこともできた。

総じて、街に暮らしたいという気持ちは充ち足りたように思う。

 

ランコースがよかった

柏には大堀川という細い川が流れていて、その土手を毎日ジョギングした。

柏の市街から、国道の下を通り、最後には隣駅「北柏」のホーム近くまで伸びていて、変化のある面白いコースだった。

昼は川面の照り返しの中を、夕方は散歩する飼い犬に混ざり、夜は北柏駅のホームに往来する電車を眺めて、毎日毎日飽きることなく走った。

6月ごろ、仕事が昼で終わりになったので、喜んで帰って、午後3時ころジョギングに出たことがあった。

ほどよく走ったところで急ににわか雨が降り出し、熱しきったコンクリートに落ちた雨粒はあっという間に湯気となって、あたりは蒸し切った空気に包まれた。大粒の雨を浴びながら、草と道路の臭いが入り混じったむわーんとする空気の中を走り抜けたあの時の、「あー、俺生きてる!」という、生々しさに満ちた感触は今でも忘れられない。

いまにして思えば、つくばという閉塞的な環境から、見知らぬ街へと抜け出た開放感の象徴であったのかもしれない。

この川沿いのコースことは、今思い出してもむずがゆくって、こそばゆい。

 

友達と同棲した

友達が休職生活から復帰するために関東に帰ってきたものの、住む当てが外れてしまったため、僕の家に転がり込んできた。アパートは2DKなので、僕としてはとくに支障も無い。

というわけで予想外の2人生活が始まった。

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趣味が似ているので毎日楽しかった。2人でジョグをして、2人でバイクの整備をして、そしてツーリングにも行った。2人で住んでいるので、そのまた友達も遊びに来てくれて、生活は賑やかだった。

友達と同棲するのだけは、絶対に若いうちかしかできないからやっておきな、と人生の先輩に言われたことがあったが、実際ものすごく面白い体験だった。帰ってくると大鍋一杯の豚汁(10人前ぐらい)ができていたりするのもファンキーで良かった。(単に彼が面白かっただけかもしれないが)

実質3か月ぐらいで終わってしまった生活だったが、柏での思い出に何かサイコー感があるのは、あの3ヶ月があったからだと思う。

 

これ以外にも都内に遊びに行きやすくなったのでライブに行くこともぐっと増えたりと、活動性の増した期間だった。だが、同棲生活が終わってしばらくすると、柏自体には友達がいないため、週末ごとに都内に出ることになり、「結局都内に行くのなら、柏でなくてもいいのでは」と思って、元の茨城に引っ越してしまうこととなる。

しかしそれでも、「見知らぬ街」にしっかりと住んだあの1年間は、僕の人生とってまちがいなく必要なものだったよなと、今でも確信することができる。

台湾の「あの宮殿みたいなホテル」に泊まってきた を書きました

デイリーポータルZに記事を書きました。

 

作内ではいい感じに父の話をまとめているが、いや、実際はほんとにめんどーくさい性格をした父親で、この人の奇行のせいでデイリーの連載を3か月休まなければならなくなったことすらある。(編集部には迷惑をかけました……)

とはいえその父も、最近は体力がかなり衰えいて、(ああ、このひと長生きしないな……)と感じたので思い切って台湾に連れて行ってみたのだが、さすがにこんなに早く世を去るとは思っていなかった。

父の旅行目的の一つに、「戦後、中国大陸で日本人を保護してくれた蒋介石に生きているうちに礼が言いたい」というのがあり、記念堂で長く深々と頭を下げてきたのだが、なにか、命の宿業のようなものをそこですっかり解き放ってしまったのかもしれない。

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父を保護してくれてありがとうございました

 

死というのは不思議なもので、それが訪れた瞬間、そのひとの人生の全ての時間を均質にする作用がある。

生きているうちは、「この性格と奇行が治らないものか」と悩んでいたのだが、今はその気持ちもふっと蒸発し、青年時代、会社員時代、父親時代、老後時代と、75年間の父の人生のすべてが、自分に問いを投げかけてくるように思える。

 

というわけで父の行動を反面教師として、

「駅の立ち食いそば屋の店員さんに『声が小さい』とかいちゃもんをつけない」

ニトリの配送が時間指定できなくても怒らない」

などを自分の人生訓として、しっかりと生きていこうと思う。

クリスマスのミニスーファミと「未知の世界」

嫁さんがクリスマスにミニスーファミを買ってくれた。

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比べるとこれ。手乗りサイズでかわいい。

 

ゼルダファイヤーエムブレムF-ZERO……僕らの世代を虜にしたゲームがぎっしり詰まっていて、その記憶を思い返せば尽きるところが無い。今思い返すと、よくもあんなにもTVゲームに時間と熱意をつぎ込んだものだと思う。ちょっと無駄すぎたかもしれない。

しかし、当時出たばかりのファミコンには子供たちだけではなく、多くの文化人までもが最近ファミコンにのめりこんでいると発言していた。これはわかる。あれは当時すごく新しかった。

 

ファミコンが提示した選択肢

コンピューターゲームの普及は、ファンタジーやアドベンチャーに向かう態度として「本を読む・書く」「映像を見る・撮る」だけではない、新しい第三の選択肢「世界の中で行動する」を僕たちの生活に連れて来てくれた。

あたらしい表現のあり方に飛びついたクリエイターたちが生み出す世界はとても魅力的で、僕らは次々と夢中になった。

王道ファンタジーの「ドラクエ」、ちょっと大人っぽくて機械寄りの「FF」、サイバーパンクの「女神転生」……

戦略システムが面白いとか、友達と盛り上がれるとか、ゲームの魅力はいくつかあるが、最大の魅力は「新しい世界観の提示」なんじゃないかと思っている。

 

FFシリーズの苦しさ

ミニスーファミにはFF6が収録されている。ちょっとオープニングだけやってみると、雪深い鉱山をアーマー歩兵が歩いて行く様子が再生されて、ああ、これ、やっぱりいいオープニングだなと思った。

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この前の作品であるFF5を今思い返して感じるのは、「苦しさ」だった。

従来のFFらしさにとらわれ過ぎて、キャラもイベントも典型的なものにとどまり、見たことも無い新世界へとプレイヤーをいざなってくれる魅力がまるで無かった。

プレイヤーをどこに連れていったらいいのか悩んでいる作り手の苦しさを感じるゲームだった。

そこから一気に解き放たれて、静的な美しさを表現するところから始められているFF6は全体を通して素晴らしい出来だったと思う。際立ったキャラクター、民族楽器を多用した個性的なBGM、いまでもくっきりと思い出せる。

 

ファイヤーエムブレムのすごさ

ファイヤーエムブレムは本当に衝撃だった。これまでのファミコンにこんなゲームは無かった。個性のあるキャラ達が戦うシミュレーションバトル方式のRPG

ファミコン時代はグラフィックが弱すぎて表現しきれなかったモノが、SFCになって翼を得たかのように飛び立った最高の作品だと思う。

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古代~中世手前あたりをイメージした時代設定もすばらしく、神話好きだった僕なんかはトロヤ戦争やポエニ戦役なんかをイメージしながら重装歩兵をズンズンと進軍させていたものである。

軽く少女漫画風に描かれたキャラもほどよい仕上がりで、女子はオグマやマルスで盛り上がり、男子はシーダやパオラ・カチュア・エスト三姉妹で盛り上がっていた。

最近のゲームやアニメは同性キャラばかりがわさわさ出てくるのが多いように感じるが、当時は男子も女子も同じ作品で盛り上がれていたんだよな、ということをあらためて思い出させてくれる。

 

これ以外にも、当時のゲームにはいま思い出してもあの世界観すごかったよな……というゲームが多い。

女神転生もすごかったし、シムシティも新しかった。

レミングスなんか、一体脳のシナプスがどう繋がっていたらあんなゲーム思いつくんだという斬新さだった。

いまではもう新しいゲームなんかとんと見なくなってしまったが、スプラトゥーンっての、あれだけは何か面白そうだ。ちょっとやってみたい気がしている。

「いないいいないばあっ」と平和な世界

NHK朝ドラはインフラ。」と言っている人を見て、何言ってるんだろう、ただのテレビ番組じゃないか、と思っていた僕だが、「いないいないばぁ!」はもはや我が家にとって完全なインフラである。

子役「ゆきちゃん」、着ぐるみ「わんわん」、手人形「うーたん」の織り成すステージは非の打ちようが無く、驚くほど完全で完璧な、付け入る隙の無いスリーピースである。

Eテレ「いないいないばあっ!」

ふだんは放恣な加藤家の1歳児も、この番組を見るときだけは人が変わったようになり、食い入るように画面に見入る。この15分が無ければ加藤家の家事は進まない。

いったい何がここまで子どもの心を引き付けるのか。

ボールがただ坂道を転がるだけのコーナー。何も教えずとも一緒に踊りはじめる体操「わーお!」。極めて高品質に作られたフェルティングの動物人形が季節の風景の中で踊るオープニング。ひとつひとつを解き明かすようにじっくりと見ているうちに気付く。

あ、これが世に言う「親の方がハマる」ってやつか。

 

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番組は基本的に、1~2歳児向けに作られている。歌も、ごく初期に幼児が認識できる/すべき事物を中心に歌詞が書かれている。

「パンツ」「散髪」「トマト」「寝転がる」「手洗い」「寝かしつけ」……。

一緒に歌ったり踊ったりしていると、乳児期のピュアでピースフルな架空世界に、みずからの意識も没入していくような錯覚に陥る。

ああ、この平和な世界いいな、ごはんもおふろも何でも出てきて、まいにち元気で「あそぼうね~っ」で過ぎて行って……

派遣切り問題とか、老後の不安とか、そういった苦労なんてまるでこの世に無いような、不思議な浮遊感のなかに溶け込んでいくような……

 

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こういう、女の子ばっかりがもりもりと出てくるありえない世界のアニメはバカだと思ってきた僕だけど、この架空世界に浮遊していく感じがたまらなくてみんな見ているのかもしれない。

ちょっと人の気持ちを分かるようになれた気がする。