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まさゆき研究所 新棟

ライター・加藤まさゆきのブログです。ニフティ・デイリーポータルZに記事を書いています

これからコーヒーを淹れ始めたい人のために

僕はコーヒーを自分で淹れはじめて6~7年になり、とりあえず初心者は脱したかなと思っている。

淹れはじめた頃は、どの要因が味に影響を与えるのか多すぎて分からず、試行錯誤の日々だった。コーヒーのブログとかは詳しい人向けの雰囲気が基調にあるので、ガチの初心者にはやさしくない。

そこで今日は、あの頃の経験をもとにして、ガチの初心者向けにコーヒーの味に影響する要因の順序を挙げながら、淹れ方の案内をしてみたいと思う。

①豆が古いか古くないか

焙煎から時間が経った豆のことなんだけど、はっきり言ってこれがダメだと、あとは何をやってもすべて無駄。豆の産地とかも無に還っていく。

とくにいちど挽いた豆は、脱酸素パックしても冷凍しても、坂を転がり落ちるように味が劣化していく。(なのでドリップバッグとかスーパーで売ってる挽いた豆のパックとか論外。)

ぜひ自家焙煎しているコーヒー豆屋を近所で探して(せめてドトールの豆)、その店のブレンド豆とかを買って、必ず自分で挽いてみよう

もちろんコーヒーミルは必要になるので、ミルはこれを買おう。

カリタ 手挽きコーヒーミル コーヒーミル KH-5

カリタ 手挽きコーヒーミル コーヒーミル KH-5

 

 値段と性能のバランスが一番いい。刃も鋳鉄だ。はじめはこれ一択で後悔はない。

もしコーヒーに飽きても、かっこいいのでインテリアグッズとして使える。

 

②深煎りの豆を買うか、浅煎りの豆を買うか

次に味の差が出るのはこれかなと思う。
日本では中深煎りがメインだし、一番普通に飲まれる。
普通に買えば中深煎りの豆が出てくる。
凝った店でシャレた浅煎りの豆を買うのは後にして、中深煎りを買おう。

 

③豆を粗挽きにするか細挽きにするか

これは難しいこと考えずに「中細挽き」にしよう。
どの粗さが中細挽きが分からない場合はお店で100gを買って「ペーパードリップ用の中細引き」でと言って挽いてもらい、出てきたものを参考にしよう。

電動のコーヒーミルは楽だけれど、挽き目を充分に調整して挽けるものは25,000円ぐらいするから、好みの味の探求をするの難しいので、結局は上記の2,500円の手動ミル買った方があとあとも使える。

 (参考:高いけど良い電動ミル)

Kalita ナイスカットミル (レッド)

Kalita ナイスカットミル (レッド)

 

 

④ドリップのしかた

これはどこのサイト見てもだいたい同じことが書いてあるので、自分でできると思う。ドリップポットが無いとうまくできないので、そんな高くないものだし、ぜひ買おう。

僕んちでは、湯たんぽにお湯を注ぐのにも役立っている。

挽いた豆の量とお湯を注ぐスピードは、味の好みや使っているドリッパーにより異なるので、好きな味になるまで探求してみよう。

 

⑤豆がナチュラルかウォッシュか

これは僕も最近体感したんだけれど、きちんとしたナチュラル製法の豆を買うと、異次元の質ともいえる味のコーヒーになる。

僕が最近どっぷりと通うこの店で飲んで、のけぞるほどの衝撃を受けた。

sugayacoffee.ocnk.net

よくコーヒーの本で「ウォッシュはすっきりした味わい、ナチュラルはフルーティー」とか書いてあり、ナチュラルと称する豆も買ってみたことはあったけれど、ここまで味が違うものとは感じなかった。

とはいえ、普通に日本で買うとほとんどウォッシュの豆なので、そんなに悩むほどのポイントでもないかもしれない。

 

⑥豆の産地がどこか

僕は残念ながら、地方や農場の違いまで嗅ぎ分けるほどのコーヒー上級者ではないけれど、上記のステップを踏み分けて、やっと産地の違いを十全に味わうことができるようになった。産地の違いはけっこう繊細で、ここまでがそろわないと明確に味わえるものではない。

他に、お湯の温度が標準から少し変わると、味わいが充分に出ない産地のものもあるので、注意が必要かなと思っている。

 

そして本望を達成しました

僕のレベルではコーヒー屋は開けないけど、コーヒーのおいしさで身の回りの人が喜んでくれたらいいなと思って家でも職場でも毎日淡々とコーヒーを淹れ続けてきた。

結果、最近では職場でコーヒーを淹れることをみんなが喜んでくれて、紅茶党の人にも「加藤さんが淹れてくれたコーヒーなら飲める」と言ってもらえるようになった。本望を達成できたなと思っている。

 

コーヒーの世界は奥が深すぎて間口も広すぎて、どこから入ったらいいかわから無い人も多くいると思うので、この記事が少しでも参考になるといい。

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だから俺が住んでたのは九段下じゃねえ

デイリーで散々ネタにして来た九段の実家は祖母の逝去に伴って2年前に売り払ってしまったわけなんだけど、先週、友人の結婚式ついでに前を通りがかってみたら見るも見事な更地になっていた。

 

(撮ってないので写真省略)

 

かといって特に感慨は無い。

僕はとうの昔に九段の実家を自分の心から切り離してしまったので、むしろ残骸がなくなって気持ちいいぐらいだった。この経緯についてはそのうちまた書こう。

さてそんなことよりその時結婚式で集まった友達の間で盛り上がったのは、「何故俺らは『出身は九段下だっけ?』と言われる続けるのか」という件についてであった。

九段下と言われると僕がムキになって言い返す件については、デイリーの三土さんを始めとして多方面からからかわれているのだが、それでもなお言いたい。九段と九段下は全然違う。

それを端的に象徴するこの日のエピソードを紹介しよう。

ーーーーーー

斑鳩(いかるが)」という有名なラーメン屋が九段下にあるのだが、それを全然知らない友人がいた。

そこで集まったみんなは「魚介豚骨の元祖で有名なんだぜ」「コラボのカップ麺も出てたよね」「九段斑鳩、って言ったらラーメン好きで知らない人はいない」などとその有名さを説明したのだが、彼から返されたコメントは唯一、

 

「なんで九段下なのに『九段』とか名乗ってんの? あそこ敵の土地じゃん」

 

であった。

 

さすがの僕も衝撃である。

九段と九段下は地元民にとってはこれぐらい違う。

よく覚えておいて欲しい。

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カルカルが移転する

お台場のイベントハウス「カルカル」が移転すると聞いて感慨深い。

 

tcc.cocolog-nifty.com

 

30歳でデイリーポータルに関わり始めてから7年の間、折りに触れここへ足を運ぶことは多かった。イベントで出店することも何度かあったし、ライターの人たちと会って話すのも大体はここだった。

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2009年、DPZエキスポのとき。尾張くんと初めて会った時だ。

 

思えばライターのみんなと会って話をしたのもほとんどここだった。

企画会議のときでもそんなにみんな揃うわけでは無いから、どうしてもイベントで会うことが多い。年下とは思えない風格の木村さんや榎並さんや、今は故人となってしまった大塚さんに一度だけお会いできたのも、全部カルカルだった。

 

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これはさくらいさんと初めてあったときの紅白ネタ合戦

みんな若い。このときさくらいさんがなんかめちゃくちゃ緊張して震えてて、横山さんに「あの子大丈夫?」と心配されていたのを覚えている。

楽屋で石川さんのお子さんと遊んだり、イベントに入る前に向かいのファーストキッチンでレタスバーガー食べたり、息抜きで外に出て、下にあるZeppTokyoの客層を眺めて楽しんだり、細かなことまであれこれと思い出は尽きない。

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イベントに行くついでに、観覧車の前で個人企画やったこともあった

 

移転の理由としては、いかんせんお台場が遠い、というのがあると思う。

たしかに都心からはちょっと遠かったが、せっせと乗り換えて行くのがそれはそれで楽しく、イベント終了後に打ち上げたあと、みんなで駅まで三々五々で歩いて帰る時の生ぬるくてゆるい空気も好きだった。

カルカルにこんなにも足を運んだことは、ぼくの人生の第二青春期の中でもっとも滋味深い思い出の一つであったように思う。いつまでもあると思って、写真をほとんど撮ってないのが今さらながら悔やまれる。

 

次の10月16日が、デイリーとしては最後のイベントになるのだろうか。

僕はまだまだ記事にも復帰できず、あれこれ忙しい日々だが、合間を縫って少しでも最後のお台場に行けたらいいなと思っている。

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昔はみんな日本を自虐してたよね

ウィキペディアの「日本語」の項目をぶらぶらと読んでいて思い出したんだけど、昔って日本語を他言語と比較してイマイチな言語だと語る人がもっと多かったような気がする。

述語が最後に来るから、否定形が弱いから、「だから日本語はダメなんだ」みたいなことをみんなして言ってたような気がする。

子どもだった僕にはそれが何とも奇妙に思えて、「フランス人はフランス語を美しい言語であると誇りに思っている」なんていう話を聞いては「うらやましいな」と思っていた。

だから『声に出して読みたい日本語』以来、日本にも日本語っていいね、美しいね、みたいなことを言っていい空気が生まれてきて、なんか気が楽になったなと思っている。

他にも、日本自己批判がさまざまな論説の基調に流れていた、そんな時代だったような気がする。中学校の担任の先生も「欧米人に比べて卑小である日本人が……」とか言っていたし、あの頃の教養人の基本として「日本批判」があった。カウンターカルチャー的なものであったのかもしれないけど。

近年の「日本はスゴイ」「世界が日本を称賛」って番組や記事があふれているのがうっとおしい、っていう人もいるけど、いまの30~40代は子供の頃にさんざんと「日本批判をする知識人」の傘の下で育てられてきたので、日本スゴイ的な番組を見てほっとしてしまうのも分からなくはない。

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台湾に花火売れば大儲けのはず

台湾に行ったとき、高校生の子が「花火やりたい」と言っていたので、ツアーのコーディネーターに相談してみたところ、「売ってない。夏に手持ち花火をやる文化がそもそも無い。やったら警察に通報されるかも」とのコメントが返ってきた。

これは意外だった。台湾はやっぱり東南アジアらしく、日本に比べるといろいろ大らかで、イヌなんてみんな首輪なしで散歩してるし、バイクもノーヘルでガンガン飛ばしてる。本屋に行くといい大人が床に座って立ち読みしてる。

それなのに夏の花火はNGなのだ。ちょっと驚いた。

 しかしこれは商機なのではないか。

 あんな面白いもの、ぜったい台湾の人も喜ぶはず。

台湾は日本の文化を取り入れることに意欲的な国だから、「日本で人気!」と銘打てば人気が出ること間違いなしだ。中国から日本へ売られてくる花火の一部を台湾にも輸出してもらって売るルートを作り、雑誌とか新聞にもちょびっと掲載してもらう。あとは人気に火がついて、まさに打ち上げ花火のごとく大儲け……!

と思いついたのですが、そんなことする技術もヒマも無いので、だれかやってください。次ぼくが台湾に行く頃には大流行になってると、僕も花火やれて楽しいのでよろしくお願いします。

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台湾インプレッションズ

出張で8日間台湾に行ってきた。

台湾に行くのは2度目だが、今回も興奮に満ちた旅だった。いくつか写真を紹介していこう。

 

学生寮の洗濯機

f:id:masayukigt:20160810153123j:plain泊まったのは大学の学生寮だったのだが、トイレ・シャワー共有のロフトベッド4人部屋で、蒸し暑さもあいまって、まるで海の家に泊まりに来ているかのような日々だった。

 

f:id:masayukigt:20160810153725j:plainここの洗面台にコイン式の洗濯機があるんだけど、この使用法が全然わからなくて戸惑った。

 

洗濯機の右側にコインを入れると思しき装置があるのだが……

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どこにどうやって入れるのかさっぱりわからない。

 

しょうがないので、中国語の説明書きを見る。

 

f:id:masayukigt:20160810153916j:plain「蓋妥上蓋、然後2個10元硬幣放入、投幣器向前推……」

(予想:ふたを閉めたら10元硬貨2枚をくぼみに入れ、投入機を押してすぐに手を放してください? 投入機が元の位置に戻ったあと、水が入り洗濯が始まります?)

 

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あ、中央の2か所だけよく見るとくぼみの構造が違う!?

 

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あ!押すとコインが呑み込まれていく―!

 

f:id:masayukigt:20160810154326j:plainそして洗濯終了。

試行錯誤でしくみを探り当ててのミッション達成。

ゼルダの伝説」かよ、と思った。

 
その他写真

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妙にかわいいブロッコリーのぬいぐるみ

 

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異様に細いアスパラガスと、異様に巨大なシイタケ

 

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スーパーに行ったらありえないロットで売られていた緑豆。
(台湾では夏に冷じるこにして飲むらしい)

 

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売り切れる江ノ電弁当

 

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ポムリエも売ってた!

参照:はんこ自作機「ポムリエ」が超おもしろい! - デイリーポータルZ:@nifty

 

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食べるのに何となく罪悪感を感じるおにぎり

 

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学生寮の朝食で出てきた「黒米爆弾おにぎり」。
見た目のインパクトがすごい。しかも超巨大。

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食べても食べても無くならない。具もどんどん出てくる。何だこのオリジナルメニューすげー、と思ったら、

 

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似たものがデパ地下でも売ってた。

 

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ていうか、セブンイレブンでも売ってた。具も同じ。台湾の定番メニューなのか。

 

 

 夜市のゲームコーナーの隅でやってた謎のゲーム。ツイッターで人気に。

 

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次回への反省:ビンロウに挑戦できなかったので、次は買ってみたい。

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「秀英教育センター」の思い出

ぼくが学習塾に通い始めたのは中学2年生の2学期ごろだったと思う。

成績がどうしようもなく落ち込むも、意志薄弱だったぼくには自力でどうにもしよう無く、塾に通うことにしたのだ。

習い事も一切したことが無く、学校以外の場に慣れの無かった自分にとって、「独力で勉強できる気がしないから、塾に行かなきゃいけない気がしている」と、親に言うのが何とも気恥ずかしくも気まずく、

「……塾に……、行く……、行かなきゃ、っていうか……行ってみて……」

と言語不明瞭気味の日本語で伝えたのが、何とも甘苦い記憶として残っている。

 

SAPIX」と「館山塾」

当時(1992年ごろ)、九段近辺の中学生が通っていたのは「SAPIX」と「館山塾」に二分されていた。「SAPIX」はもはや今では解説不要だが、当時はTAPから分裂してすぐの頃で、未だ新進気鋭の進学塾だった。「館山塾」は水道橋にある独立経営のスパルタ指導で有名な学習塾だった。
※館山塾は驚くことにいまでも現存している。
(サイト: http://www.tateyamajuku2.com/ )

SAPIXは遠いからイヤ(あと頭いいやついっぱい通っていて、なんか怖そう)。 でも館山塾は、通っている友達に「個人指導とかみんな大変だねー」みたいなことをさんざん言ってきたので、今さら入塾するのはさすがに気恥ずかしい。

というわけで、家から一番近いのに、意外と友達が通っていない「秀英教育センター」という中堅どころの塾に通うことにした。

 

通い始めた「秀英教育センター」

家からどれぐらい近いかというと、歩いて2分、走って30秒、授業の合間の15分休みに家に帰って夕飯を食べても余裕で帰ってこられるという至近距離だった。夕飯のデザートであるスイカを塾に持ち帰り、講師室で先生や友達と分けて食べる、などというアクロバティックなことをしたこともある。

友達はと言えば、同じ中学から2人通っていたので、そのツテを通じて友達はすぐにできた。習い事を一切したことが無かったぼくにとって、違う学校の友達ができるということは何とも言えず新鮮な体験だった。嫌いな体育も、似合わない制服も、入っていない部活も、何もかも抜きにしてできた友達には、また別の次元の自分を見せられているような気がした。

ただ困ったのは、勉強がさっぱりわからないことだった。

途中入塾した生徒用にカリキュラムができていないので、英語は不定詞もやっていないのに現在完了進行形から、数学は合同の証明もおぼつかないのに空間図形の性質から授業が始まった。

「∽」の記号とか意味が全く分からず、全てにおいて学習のレベルが段違いだったので、成績が落ちたから入塾したのに授業が何一つわからないので寝るという、一体何のために入塾したのか分からない状況がしばらく続いた。

 

睡眠から「知の泉」へ

塾内模試では500人中400位ぐらいという極めてさえない成績だったが、それでも飽きずに休まず通い続け、冬になる頃にはようやく英語が理解できるようになってきた。「ああ、主語+動詞の順で文を作ればいいのね!」と。

理解できるようになってくると、テキストの長文が意外と面白いことに気が付き始める。アメリカンジョークやシニカルな説話、教科書や公立入試では取り扱われない魅力ある話を読むのが楽しくて、だんだん真剣に取り組むようになっていった。

続いて国語も楽しくなってくる。いちど読解の技法を身に着けてしまえば、国語は得意科目だったのでみるみる問題が解けるようになった。テキストに出てくる論説文や説明文の大人びた空気も素敵で、梶井基次郎の作品や太宰治の「女学生」を初めて読んだのも塾のテキストだった。

楽しくなってくると成績も伸びるもので、中3の中ごろには模試の順位も上がり、友達も増え、塾に通うのがむしろ楽しみになってきた。特に国語では模試で学年1位を取ることができた。

自分の実力とかを意識する能力が低かったので、特に達成感とかは無かったが、それでもあんなにもにゃもにゃと「塾に通う……」と言いだしたのに、通うことを許してくれた親に見せて恥ずかしくない成績だったことは嬉しかった。

そしてあの男「川井幸男」

塾で一番の恩師は川井先生である。

秀英教育センターに通っていて、この人の名を知らぬ人はいないであろうという超人気講師だった。

ただ、ごく似た雰囲気の同姓同名のひとが懲戒解雇処分を受けたのは今でも記憶に残る事件だ。

 

 

 これに関してはいまだに解決しておらずで、もうどうにもしようが無くなっている。

 

今は亡き「秀英」

なんだか取り留めのない思い出話だったが、いま、この塾(秀英教育センター)はもう存在していない。僕が大学生の頃に経営をやめてしまったはずだ。

もう忘れかけていることもあってなんだかふわふわした記憶なので、ちょっととどめたくて書き留めてしまった。家からすぐ近くのあの小さなビルで、友達関係でも知的体験でも、なかなかにいい成長体験をさせてくれた1年半だった。

あの頃お世話になった内宮先生、保坂先生、宮尾先生、丹羽先生、皆さんお元気ですか……、と追憶にひたりながらここまで書いて、英語の内宮先生のことを検索してみたら、すげー元気そうに活躍されているのが動画付きで紹介されていたので、むしろ軽く拍子抜けした。

www.youtube.com

内宮先生だ!
あの頃と声が全然かわってない! 1年半毎週習った内宮先生の授業!

先生覚えていますか。最初は全然授業わかんなくてガンガン寝てたけど、先生にみっちり習ったおかげで、ぼくは今頑張ることができています。今度台湾に出張してきます。本当に感謝してます。

 

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