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まさゆき研究所 新棟

ライター・加藤まさゆきのブログです。ニフティ・デイリーポータルZに記事を書いています

台湾に花火売れば大儲けのはず

台湾に行ったとき、高校生の子が「花火やりたい」と言っていたので、ツアーのコーディネーターに相談してみたところ、「売ってない。夏に手持ち花火をやる文化がそもそも無い。やったら警察に通報されるかも」とのコメントが返ってきた。

これは意外だった。台湾はやっぱり東南アジアらしく、日本に比べるといろいろ大らかで、イヌなんてみんな首輪なしで散歩してるし、バイクもノーヘルでガンガン飛ばしてる。本屋に行くといい大人が床に座って立ち読みしてる。

それなのに夏の花火はNGなのだ。ちょっと驚いた。

 しかしこれは商機なのではないか。

 あんな面白いもの、ぜったい台湾の人も喜ぶはず。

台湾は日本の文化を取り入れることに意欲的な国だから、「日本で人気!」と銘打てば人気が出ること間違いなしだ。中国から日本へ売られてくる花火の一部を台湾にも輸出してもらって売るルートを作り、雑誌とか新聞にもちょびっと掲載してもらう。あとは人気に火がついて、まさに打ち上げ花火のごとく大儲け……!

と思いついたのですが、そんなことする技術もヒマも無いので、だれかやってください。次ぼくが台湾に行く頃には大流行になってると、僕も花火やれて楽しいのでよろしくお願いします。

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台湾インプレッションズ

出張で8日間台湾に行ってきた。

台湾に行くのは2度目だが、今回も興奮に満ちた旅だった。いくつか写真を紹介していこう。

 

学生寮の洗濯機

f:id:masayukigt:20160810153123j:plain泊まったのは大学の学生寮だったのだが、トイレ・シャワー共有のロフトベッド4人部屋で、蒸し暑さもあいまって、まるで海の家に泊まりに来ているかのような日々だった。

 

f:id:masayukigt:20160810153725j:plainここの洗面台にコイン式の洗濯機があるんだけど、この使用法が全然わからなくて戸惑った。

 

洗濯機の右側にコインを入れると思しき装置があるのだが……

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どこにどうやって入れるのかさっぱりわからない。

 

しょうがないので、中国語の説明書きを見る。

 

f:id:masayukigt:20160810153916j:plain「蓋妥上蓋、然後2個10元硬幣放入、投幣器向前推……」

(予想:ふたを閉めたら10元硬貨2枚をくぼみに入れ、投入機を押してすぐに手を放してください? 投入機が元の位置に戻ったあと、水が入り洗濯が始まります?)

 

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あ、中央の2か所だけよく見るとくぼみの構造が違う!?

 

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あ!押すとコインが呑み込まれていく―!

 

f:id:masayukigt:20160810154326j:plainそして洗濯終了。

試行錯誤でしくみを探り当ててのミッション達成。

ゼルダの伝説」かよ、と思った。

 
その他写真

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妙にかわいいブロッコリーのぬいぐるみ

 

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異様に細いアスパラガスと、異様に巨大なシイタケ

 

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スーパーに行ったらありえないロットで売られていた緑豆。
(台湾では夏に冷じるこにして飲むらしい)

 

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売り切れる江ノ電弁当

 

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ポムリエも売ってた!

参照:はんこ自作機「ポムリエ」が超おもしろい! - デイリーポータルZ:@nifty

 

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食べるのに何となく罪悪感を感じるおにぎり

 

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学生寮の朝食で出てきた「黒米爆弾おにぎり」。
見た目のインパクトがすごい。しかも超巨大。

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食べても食べても無くならない。具もどんどん出てくる。何だこのオリジナルメニューすげー、と思ったら、

 

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似たものがデパ地下でも売ってた。

 

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ていうか、セブンイレブンでも売ってた。具も同じ。台湾の定番メニューなのか。

 

 

 夜市のゲームコーナーの隅でやってた謎のゲーム。ツイッターで人気に。

 

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次回への反省:ビンロウに挑戦できなかったので、次は買ってみたい。

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「秀英教育センター」の思い出

ぼくが学習塾に通い始めたのは中学2年生の2学期ごろだったと思う。

成績がどうしようもなく落ち込むも、意志薄弱だったぼくには自力でどうにもしよう無く、塾に通うことにしたのだ。

習い事も一切したことが無く、学校以外の場に慣れの無かった自分にとって、「独力で勉強できる気がしないから、塾に行かなきゃいけない気がしている」と、親に言うのが何とも気恥ずかしくも気まずく、

「……塾に……、行く……、行かなきゃ、っていうか……行ってみて……」

と言語不明瞭気味の日本語で伝えたのが、何とも甘苦い記憶として残っている。

 

SAPIX」と「館山塾」

当時(1992年ごろ)、九段近辺の中学生が通っていたのは「SAPIX」と「館山塾」に二分されていた。「SAPIX」はもはや今では解説不要だが、当時はTAPから分裂してすぐの頃で、未だ新進気鋭の進学塾だった。「館山塾」は水道橋にある独立経営のスパルタ指導で有名な学習塾だった。
※館山塾は驚くことにいまでも現存している。
(サイト: http://www.tateyamajuku2.com/ )

SAPIXは遠いからイヤ(あと頭いいやついっぱい通っていて、なんか怖そう)。 でも館山塾は、通っている友達に「個人指導とかみんな大変だねー」みたいなことをさんざん言ってきたので、今さら入塾するのはさすがに気恥ずかしい。

というわけで、家から一番近いのに、意外と友達が通っていない「秀英教育センター」という中堅どころの塾に通うことにした。

 

通い始めた「秀英教育センター」

家からどれぐらい近いかというと、歩いて2分、走って30秒、授業の合間の15分休みに家に帰って夕飯を食べても余裕で帰ってこられるという至近距離だった。夕飯のデザートであるスイカを塾に持ち帰り、講師室で先生や友達と分けて食べる、などというアクロバティックなことをしたこともある。

友達はと言えば、同じ中学から2人通っていたので、そのツテを通じて友達はすぐにできた。習い事を一切したことが無かったぼくにとって、違う学校の友達ができるということは何とも言えず新鮮な体験だった。嫌いな体育も、似合わない制服も、入っていない部活も、何もかも抜きにしてできた友達には、また別の次元の自分を見せられているような気がした。

ただ困ったのは、勉強がさっぱりわからないことだった。

途中入塾した生徒用にカリキュラムができていないので、英語は不定詞もやっていないのに現在完了進行形から、数学は合同の証明もおぼつかないのに空間図形の性質から授業が始まった。

「∽」の記号とか意味が全く分からず、全てにおいて学習のレベルが段違いだったので、成績が落ちたから入塾したのに授業が何一つわからないので寝るという、一体何のために入塾したのか分からない状況がしばらく続いた。

 

睡眠から「知の泉」へ

塾内模試では500人中400位ぐらいという極めてさえない成績だったが、それでも飽きずに休まず通い続け、冬になる頃にはようやく英語が理解できるようになってきた。「ああ、主語+動詞の順で文を作ればいいのね!」と。

理解できるようになってくると、テキストの長文が意外と面白いことに気が付き始める。アメリカンジョークやシニカルな説話、教科書や公立入試では取り扱われない魅力ある話を読むのが楽しくて、だんだん真剣に取り組むようになっていった。

続いて国語も楽しくなってくる。いちど読解の技法を身に着けてしまえば、国語は得意科目だったのでみるみる問題が解けるようになった。テキストに出てくる論説文や説明文の大人びた空気も素敵で、梶井基次郎の作品や太宰治の「女学生」を初めて読んだのも塾のテキストだった。

楽しくなってくると成績も伸びるもので、中3の中ごろには模試の順位も上がり、友達も増え、塾に通うのがむしろ楽しみになってきた。特に国語では模試で学年1位を取ることができた。

自分の実力とかを意識する能力が低かったので、特に達成感とかは無かったが、それでもあんなにもにゃもにゃと「塾に通う……」と言いだしたのに、通うことを許してくれた親に見せて恥ずかしくない成績だったことは嬉しかった。

そしてあの男「川井幸男」

塾で一番の恩師は川井先生である。

秀英教育センターに通っていて、この人の名を知らぬ人はいないであろうという超人気講師だった。

ただ、ごく似た雰囲気の同姓同名のひとが懲戒解雇処分を受けたのは今でも記憶に残る事件だ。

 

 

 これに関してはいまだに解決しておらずで、もうどうにもしようが無くなっている。

 

今は亡き「秀英」

なんだか取り留めのない思い出話だったが、いま、この塾(秀英教育センター)はもう存在していない。僕が大学生の頃に経営をやめてしまったはずだ。

もう忘れかけていることもあってなんだかふわふわした記憶なので、ちょっととどめたくて書き留めてしまった。家からすぐ近くのあの小さなビルで、友達関係でも知的体験でも、なかなかにいい成長体験をさせてくれた1年半だった。

あの頃お世話になった内宮先生、保坂先生、宮尾先生、丹羽先生、皆さんお元気ですか……、と追憶にひたりながらここまで書いて、英語の内宮先生のことを検索してみたら、すげー元気そうに活躍されているのが動画付きで紹介されていたので、むしろ軽く拍子抜けした。

www.youtube.com

内宮先生だ!
あの頃と声が全然かわってない! 1年半毎週習った内宮先生の授業!

先生覚えていますか。最初は全然授業わかんなくてガンガン寝てたけど、先生にみっちり習ったおかげで、ぼくは今頑張ることができています。今度台湾に出張してきます。本当に感謝してます。

 

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とんかつDJアゲ太郎の衝撃

「いやー漫画ってまだまだ面白くなれるんだなー」、と『とんかつDJアゲ太郎』を読んで心底実感した。

 

とんかつDJアゲ太郎 1 (ジャンプコミックス)

とんかつDJアゲ太郎 1 (ジャンプコミックス)

 

 去年ぐらいから、漫画の趣味がいい友達に推されていたんだけど、既刊6巻一気に借りて読んだら、その猛烈な面白さに頭がくらくらした。

 

 

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とんかつ屋の制服のままレコードを回す主人公「アゲ太郎」

 

無垢な少年の成長譚というジャンプ漫画の王道手法への、「とんかつとDJは同じ」というワケ分からないテーマの掛け合わせ。

実験的手法のように思えるけれど、王道を踏襲しているおかげで読みやすいし、キャラクターの個性もビキッと立っていて、読み飽きることが全くない。

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登場するだけですでに気持ちいい、「VJコマツナギ

 

こんな破天荒な展開なのにツッコミを一切入れないスタンスがギャグ漫画のようでありつつも、シリアス漫画としても読め、不思議な温度感を保つ。

トーンをあまり使わず、ベタを多用して二階調気味に全て手書きで仕上げられた絵には迫力があり、クラブの雰囲気や音楽の魅力が、地肌にまで伝わってくるようだ。

こんな漫画のありかたがあったのか……。
猛烈にはまってしまって、おもわずオフィシャルグッズの通販サイトまで調べた。

GOODS | とんかつDJアゲ太郎

読むとアゲ太郎の服がかっこよく思えてきてしまうので、かぶっている「しぶかつ」の帽子とか、DJイベント"LARDCITY"のシャツとか本当に欲しくなってしまう。すごい魔力だ。

 

そして、読後には猛烈にクラブに行きたくなり、とんかつが食べたくなる。

矢も楯もたまらず馴染みの店にとんかつを買いに行った。

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ぼくの「ソウルとんかつ」とも言えるかつ大ロースカツ弁当

 

行ったらちょうど、久しぶりに店のグッズを作ったんだということで、偶然にも店主のおじさんから「かつ大」のオフィシャルTシャツを1枚もらうことができた。

 

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「しぶかつ」グッズよりもうれしい。ありがとうおじさん、おばさん。

 

僕の熱意が天に通じたのかもしれない。めっちゃアガる。

というわけでせっかくなのでモロに影響を受けたままロースとんかつ弁当を喰らい、この「かつ大」Tを着て渋谷のクラブに繰り出して行きたいと思う。

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オタクを攻撃したのは僕だったんじゃないか

カルチャー論が好きで、ちょこちょこ目を通しては真剣に考える。

このあいだ読んだ鴻上さん×中川いさみさんの対談における「不条理の終焉」などには、ことさらに「なるほど……」と思わされた。

www.moae.jp

子供の頃からスピリッツを読んでいて、中川いさみさんの熱心なファンだったので、いま中川さんが考えていることというのに非常に関心がある。榎本俊二さんも育児マンガを描く時代、あんなに流行った「不条理」はもう戻って来ないのだろうか。

(鴻上さんの登場回は、この前の回もほんとうによかったのでおすすめ)

 

さて、それと最近気になったのが「オタク対サブカル」という構図はあったかという話だ。

ta-nishi.hatenablog.com

 

これはもう、ものすごくあったように思う。

特に僕ら、またそれより少し上(1973~78年生まれぐらい?)には肌感覚として残ってるんじゃないだろうか。そして、僕なんかまさに「対オタク意識」をぎんぎんに持っていた中高生時代を過ごしたような思い出がある。

1980年代末は宮崎勉事件のせいでオタクに対する市民権は全く無く、もし今みたいに「痛車」なんて走らせようものなら、公序良俗に反したかどで逮捕されるんじゃないか、そんな空気が世間に漂っていた。

当時の僕は美少女アニメにもライトファンタジーにも全く興味が無く、VOWを読みながらスーパーファミコンのやり込み(とくに「シムシティ」と「女神転生」)に心血を注いでいた奇特な中学生だったが、そんな違いはお構いなしに、学校ではまとめて「オタク」の箱に放り込まれていた。

このとき僕らなんかが思っていた、

「俺が読んでるのは『エルリックサーガ』であって『スレイヤーズ』ではないし、プレイしてるのは『デビルサマナー』であって『ときめきメモリアル』ではない、あいつらとは全然違う」

のような気持ちが、その対立構造の原点だったんではないかと思う。

その後もしばらく、オタク層を下に置く構図が続いていた気がするが、あれを作り出したのは、あのころ(90年代中期)の僕のような若者一人一人の意識だったのではないかと思うと、なんだか胸が痛む。

 

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草花図鑑が面白い

最近、休日には子どもと散歩ぐらいしかすることが無いので、道に生えている雑草を毎日観察するようになった。

見ていると色んな種類があって、特に春なんかは中3日ローテーションぐらいで次々と新しくいろんな花が咲き、生物の教員である僕でも分からないものが多く、気になったので草花図鑑を手にして散歩するようにしてみたのだけど、これがめっぽう面白い。

散歩で見かける野の花・野草

散歩で見かける野の花・野草

 

 

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ん、これ、ちょっときれいだけど何だろう……

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あ、これか。なるほどねい……

 

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お、最近これめっちゃ生えてるなー

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おお、これも載ってる、ニワゼキショウ

 

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何だこのカタバミに黄色いマメの花が付いたみたいなの?

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これか!載ってるもんだなあ、はじめて気づいたぜ。

 

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なんか最近シャラシャラしたのいっぱい生えてきた―

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うわー、これかー、載ってるもんだなー

 

「お前は大学時代に何を専攻していたんだ」

「生物分類で論文書いた人間がその本で感動してどうする」

と総ツッコミを受けるのが目に見えるが、それでも生えている植物がだいたい全部載ってるので本当に面白い。学生の頃は実習でだらだらとやっていたが、本気で始めてみるとかなりはまる。

観察と撮影も面白いが、それだけでは飽き足らなくなってきたので、いまは「押し花作りたい欲」に駆られている。

このまま進むと3年後には押し花でしおりを作るようになり、10年後には押し花絵葉書の作り方を地元の小学生に教えるおっさんになっている公算がきわめて大きい。

自分の将来が不安だ。

 

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真田丸と新聞

真田丸』を毎週熱心に見ている。

大河ドラマ、ってのを通して全部見たことが一度も見たことが無かったのだが、『真田丸』はこれまでと明らかに異質な感じがして、毎週テレビにかじりつきだ。このこれまでにない面白さの質は何だろうな、とぼんやり考えていたのだが、「新聞」と「創作物」の違いに似ているなと昨日なんとなく思った

新聞のテンションって常に変わらない

たまにレポートや調べもので新聞の古い縮刷版を読むことがあるけど、驚くのはそのテンションというか、スタンスが、まったく時代を経ても変化しないことだ。

昭和40年とかの出版物なのに、今も同じ記者が書いていると言われても疑問を感じないのではないかというレベルで視点の置き方や報道のスタンスが変わらない。何十年も「まったく同じ窓」から世間を眺めているような、そんな印象が新聞という媒体にはある。

大河もなんだか毎回そんな感じ

僕の目には、歴代の大河ドラマも全部同じように映ってきた。

なんというか、毎回題材は変わるけれど見ている「窓」がいつも変わらない。さすがに歴史書ではないから主観は入るにしても、歴史の中の人物の苦悩や苦闘をいつも同じ視点から描いているような、そんな印象があった。

なので年が変わるたびに大河ドラマを1~2回見ることがあっても、「ああ、いつもの大河やってるね」ぐらいの印象しか持てない。琉球とか清盛とかちょっと変わった題材を扱ってみても、けっきょくその雰囲気は一緒なので、同じ新聞記者が違う事件について記事を書いているのを見ているような、そんな風にしか思えなかった。

真田丸』の”実験”

しかし『真田丸』は第1回目から、なんか全然違った。

あの独特の「大河ドラマの第1回ですぞ」みたいな空気はなく、主題にずばっと切こんでいくその吸引力の強さからもう鮮烈だった。戦国時代を舞台にしてあとは自由闊達にやらせてもらうぜ、という意欲が明らかに満ち溢れていた。

そして第2回目から次々と繰り出される実験的な試み。

歴史の文脈を踏まえたうえで繰り出す「もし現代の家族観をこの時代に当てはめたらどうなるだろう」「大阪城内がベンチャー企業の職場のようであったらどうだろう」のような仕掛けは、従来の大河ドラマに対する挑戦のようにも思えた。

この三谷幸喜が「自分の窓」から戯曲を書くかのように好き勝手にやっている感じが本当に新しい。「新聞」的であった大河ドラマの破壊。これが真田丸に肩入れしてしまう最大の理由だと思う。

それでいて残る歴史の「つめたさ」

そして『真田丸』のさらに好きなところは、歴史の魅力の本質であるとも言える「つめたさ」がきりりと際立たせられているところである。

大河ドラマが「大河」と名付けられている所以は、歴史というの大きな流れの中に飲み込まれつつも抗った人間の姿を描き出そうとしていることである、と僕は思っていて、朝ドラと区別のつかないような感じだった前作とかにはむむと思っていたのだが、真田丸はコミカルにまとめつつもそういうところはしっかり手を抜かずに仕上げているように思う。(他の大河通して見たことないのにごめんなさい)

勝頼も「黙れ小童」の人も、あんなに一人の死に歴史の業の深さを感じさせる描き方はもう、さすが三谷幸喜さんだとしか言いようがない。

 

というわけで「真田丸」、6月で放映の半分が終わってしまったのかと思うとすでに寂しくなってしまうほどの熱の入り方なのだが、のこり半年、1秒たりとも見逃さない熱意をもって追いかけていきたいと思っている。

 

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