まさゆき研究所

ライター・加藤まさゆきのブログです。デイリーポータルZなどに記事を書いています

早食いな俺を責めないで

俺は飯を喰うのが早い。らしい。

一緒に食事するとたいていの人から驚かれるが、自分としては一番おいしいと思えるペースで食べているだけなので、特に意識はしていない。

 

が、責められることも多々ある。

なぜだ。

速く走ったり、朝早く出勤したり、早く仕事を終わらせたり、「早いこと」は全般的にほめられるはずのに、なぜ早く飯を食うのはあんなに責められるのだ。

 

「早食いは太るよ」

俺は太ってない。過食でもない。むしろ少食。

少食なのに早食いだから、燃え尽きるマッチのようにほぼ瞬間的に食事が終わってしまう。これが驚速の理由だろうか。でもおかげで昼休みにより多くの仕事を進められている。

そしてめっちゃ野菜食べてる。健康。毎月100km走ってるし、フルマラソンも走れる。大丈夫。

 

しかしこれ長年思っているのだが、同じ量でも早く食べると健康不良を引き起こす実験結果とかあるのかなーと思って調べたら、「早食いは絶対NG!」とかのゴミクズのようなサイトばかりの検索結果に混ざって、こんな論文報告が出てきた。

背景「一定量の食事を摂取した場合にも、食べる速さが体型に何らかの影響を与える可能性があるのかについては明らかにはなっていなかった。」

 ↓

「食後90分間のエネルギー消費量は急いで食べた試行の場合、体重1kg当り平均7calだった一方、ゆっくり食べた時には180calと有意に高い値を示した。急いで食べるよりも、よく噛んでゆっくり食べた方がエネルギー消費量が大幅に増えた。」「消化管の血流もゆっくり食べた方が有意に高くなった。」

 

 

なるほど。一定の説得力がある。

でもこれが肥満につながるとの結論ではないらしい。

 

というわけでこれから俺は「早食いやめなよ」と言われたら、

この研究のサイトを見せ、

「この先行研究を元にして早食い行動と肥満の関係を実験し、立証できるんだったらやめてもいいよ」

と言い返して、積極的に友達を無くしていこうと思う。

 

のらのら2016年3月号出ました!

 農業教育雑誌「のらのら」最新号出ました!

のらのら 2016年 03 月号 [雑誌]
 

 

とはいえ、デイリーと同じくこちらも休筆中なので、基本的にデイリーのリライトを載せている状況です。

先週、総務のパートさんにこの連載を発見され、ものすごい勢いで発見報告されました。デイリーはあまりそういうことないので、紙媒体との違いと底力を感じます。

『じみへん』の覚えてる話

中崎タツヤさんの『身から出た鯖』を全巻買ってみた。 (いまさら)

身から出た鯖 (3) (YKコミックス (486))

身から出た鯖 (3) (YKコミックス (486))

 

 

おもしろい。

『じみへん』では試さなかった4ページや1ページの形式のものまで自由に幅広く読めるのが楽しい。

 

ところでスピリッツの申し子たる僕は、例にもれず『じみへん』を小中高生時代に熱愛していた。あまりに読んだため、単行本は買ってないのに今でもそのいくつかは何も見ずにそのストーリーを思い出すことができる。

 

  • おばあちゃんがシワを伸ばしたら超美人な話
  • 豆腐屋の向かいに自宅がある豆腐屋の話
  • 全身の体臭を嗅ぎ比べる男の話
  • 女子オリンピックのユニフォームをスカートにする話
  • 犬によく似たおっさんを轢く話
  • 目の前にある道具は使いたくてたまらなくなる話
  • 誰も「特に自分のこと」と思ってくれない強盗の話
  • 女子高生か人妻かで帰り道を迷う男の話
  • よりによって自分の所へ来る人たちが集う話
  • パソコンを買う必要が無い結論に至る話
  • 音楽で世界平和を夢見てジョンレノンに否定される話
  • エレクトーンを買ってすぐ飽きる女の話
  • 最後、女湯に平然と入って合格する話
  • 最初の態度で人間関係が決まる強盗の話
  • お客さんがそう思ってるだろうってわかってましたよと応酬する話
  • サクランボの枝を舌技で結ぶ修行をする男の話

『じみへん』のストーリーを1行の文で表してみると面白い。

覚えてる人には「あー!あった!」となるし、知らない人には訳が分からないだろう。

 

 

 

茨城県阿見町に住んでいたこと

僕は8年ほど前、茨城県阿見町というところに1年半住んでいた。

 鉄道の駅も無い平和な町で、自衛隊の基地以外にこれといった施設も無かった。町の面積のほとんどは広がる田園と森林である。

まあ当時は諸般の事情からここに住んでいたわけだが、ぼくはこの時期の体験から一つのことをごく肉感的に実感した。

それは「人間『どこにでも住める!』と思っても、実際そうでもないんだな」ということだ。

 

ひととおりのお店はあるのだが。

阿見町中心部である。

中心部には、人間生活に必要な店はひととおりあって、特に不便するということは無かった。

特に「マイアミショッピングセンター」というベタ極まるネーミングの施設にはまあまあの規模の本屋をはじめ基本的な店がそろっていて、「阿見の真ん中に住んでいる」と言うとむしろ「便利でいいねー」というコメントが返ってくるのが普通くらいであった。

しかしなんだろう、こう言うと失礼かもしれないけれど、この町は文化の「多様性」みたいなものを、どうしても欠いていたのだ。

スーパーはある。レンタル屋もある。ファミレスも回転ずしもある。そういう郊外ロードサイド的なものは一通りそろっていたのだが、気の利いた雑貨、心が和らぐ居酒屋、いい感じのコーヒー屋とか、そういった類いの店はどうにも期待できるものではなかった。

もちろん引っ越した当初は、「ここに来たからにはここに住もう!」と決意を決めて、イースタンユースの「片道切符の歌」などを心で口ずさみつつ阿見のいいところを探そうとあれこれ自転車などで動いてみたものだった。


03 片道切符の歌

 

だが、結局は解体工場の野良番犬の群れに追いかけられるのが関の山で、「多様性」など東武線の駅前一つ分も発見することができず、しょんぼりと探検期間を終えたのを覚えている。

そこからはほぼひきこもるように暮らしていた。思い出にあるのは、日曜の深夜にスーパーの半額刺身を食べながらビールを飲みつつ、『NHKアーカイブス』を観ていたことぐらいだ。

 

デイリーポータルへの傾倒

というわけで楽しみはと言えば、週末に都内の友達と飲みに行くこと、そしてライブに出かけること。

いまでも強く思い出に残るBOOM BOOM SATELITESや曽我部恵一オールナイトに行ったのもこの頃だ。ライブでの空気もさることながら、都内の雑多感を呼吸するために出かけていたようにも思う。

そして何よりも熱心に読んだのはデイリーポータルだった。当時のデイリーポータルには今よりも「東京の西側で河原とか見ながらぶらぶら暮らす」空気がもっと色濃くあったような感じで、阿見町に無いそのすべての成分にどんどん心を魅かれるようになった。ヒマな休日などは、ほぼ一日中デイリーポータルを見ているようになった。

@nifty:デイリーポータルZ:糸電話で市外通話

よく「上京」というイベントが人生の中であるとないとで創作のパワーはまるで違うというが、東京出身の僕にとってこの時期が心の中の上京だったようにも思う。あー俺はこういうことをしたいんだよなー、と憧れを抱きつつ悶々としてすごしていた。

 

阿見の好きだった店

はっきり言ってしまえば阿見は退屈だったわけだが、そんな阿見に好きな店が一つだけあった。鮮魚に力を入れているスーパー「タイヨー」である。

スーパー タイヨー【お買い得情報満載! スーパーマーケットのタイヨー】

タイヨーは銚子で仕入れた新鮮な魚を、わりとマイナーな魚種まで丸ごと売っていたりする個性的なスーパーで、築地とは言わないがアメ横級のその品揃えに心踊らせては買い込み、よく料理にいそしんだものである。

しかも価格も激安で、小イカや小アジなどは一山100円でいくらでも売っていた。退屈な田園が広がる阿見生活の中で、ぼくが最も熱中したのは「鮮魚さばき」だと言えるかもしれない。今でも懐かしんでこの店には行くことがある。

 

つくばに戻る

そして僕はそのあと29歳で結婚し、学生時代に住み慣れたつくば市に戻ることになる。つくばは若者も多く、わりと洒落た店もあり、住みやすい街だ。35分電車に乗れば山手線にも着く。

あれから8年経った。もちろん今も阿見町に戻りたいとは思ってないんだけど、あれがあったからデイリーを始めてからの記事を書く情熱も高まったのかもなあ、とは思っている。

新人賞だよ!おもしろ記事書こうぜ!

デイリーポータルとオモコロが合同で新人賞をやっている。

omokiji-award.jp

高校3年生の冬、僕はセンター試験の勉強がイヤになって、泣きながら自転車で夜道を走っていた。

「こんな塗り塗りゲームでおれの何が分かるんだー!」

あれから20年。

僕はデイリーポータルで記事を書くようになり、あの頃の想いに応えることができた気がする。記事のネタを探し、構成を考え、変なことしながら写真を撮り、時には旅に出て、そして記事にまとめる。少なくともマークシート塗り塗りの100倍はおもしろい。

 

@nifty:デイリーポータルZ:マークシートは本当にボールペンを読まないのか?

 と言いつつマークシートの記事書いてるけど

 

さて、みんな言っているが、おもしろ記事は読んでいるだけより書く方がずっと内容の濃い過程だ。

100本ぐらい記事を書いてきて、たくさんのことを知ったし、いろいろできるようになったし、知り合いも増えた。こんなにいいことは他にちょっと思いつかない。

 

1.写真がうまくなる

写真は昔から少しはやっていたが、それでも応募作品を描いていたころを見返すと全然ダメダメだ。

f:id:masayukigt:20160118101056j:plain

 まさゆき研究所 旧棟 コンビニだった店舗は今。

 

今でもそんなにうまくなったとは言えないが、それでも「記事として公開する」という緊張感の中で試行錯誤して、だいぶうまくなった。何か印刷物作ったり、仕事でWebに載せたいするときにはちょっと質の高いものを提供できるようになる。マイナスは無いだろう。

 

2.どんな場所でも楽しめる

「日本全国ダーツの旅」みたいに、知らない場所に目的が発生すると急に行くのがおもしろくなったりする

これもとても楽しい効果だ。観光地もそれはそれで楽しさオールインワンになっているから楽だけれど、近い場所でも、こういう自分で面白さを見つけていく必要が生まれると抜群に楽しい。

 

3.専門知識も深くなる

僕で言えば理科だが、自分の職業に取材して何か記事が書けないかと考えてみると、ふつうに仕事していては見えてこない面が見えてくることがある。

一般への「普及」みたいなことってどの業界でも必要だと思うから、それを考えるいいきっかけになるかもしれない。同期で指圧師ライターのM斎藤君なんてほんとに素晴らしい融合活動をしていると思う。 

 

その他、人によってはイラストがうまくなったり、居酒屋に詳しくなったりすることもあるし、他のライターさんからいいインプットをもらえることも多い。僕は玉置さんの影響でウナギ釣ったり、燻製作ったりするようになった。

本業のすき間でやっていると、出版やイベントまではできないので精いっぱいだが、それでもきっとプラスは大きい。

さあみんなでおもしろい記事書こう。

「不採用語辞典」が面白すぎる

 この本が面白い。

不採用語辞典

不採用語辞典

 

 1年に一度くらいは脳を叩き割られて、物の見方の曇りをすべてリセットさせてくれるような本に出会うが、まさにそれだった。

 

世の中には、言葉の「正しさ」について書かれた記事があふれるほど出回っている。

「確信犯」の原意は違うとか、「了解です」を目上に使うなとか、用法や原意について色んな人がこだわってこまごま書いている。

みんな(僕も含めて)、「本当は間違っている●●」とか「正しい●●」っていうのに弱いから、つい気になってそういう記事を見てしまうんだけれど、読んで楽しいかと言えば、微妙だ。「日本語の乱れ」なんてキーワードが出てきたらもう大変で、愉快・不愉快まで含めてごちゃ混ぜのわけのわからんことになってゆく。

いちおう僕も末端ながらライターとして「ことば」を商売道具にしているので、この議論に対して何も思わないということは無いのだが、とはいえその議論に混ざっていく気もないし、これに対してどう気持ちを持っていったらいいのかなあと思っているところに飯間さんと出会った。

 

最近議論を呼ぶ「ほぼほぼ」についての飯間さんの見解。素敵だ。

 

この本の全編を通じて、飯間さんは決して日本語が「正しい」「間違っている」と言わない。たとえどんな間違いとしか思えない珍奇な表現が出てきても「耳慣れない言葉です」「私が言うなら~~ですが」と自分との感覚の差しか表明しない。

この、「そもそも言葉に間違いも正しいも無く、使われている頻度と感覚の差のみであり、それを徹底的に面白がる」というスタンス。そうか、これがあったか! と目からうろこが落ちる思いだった。

そしてこれを辞書編纂者に言われるという、この上ない説得力。用法の正しい間違いを決める根拠になる「辞書」を作る側の人間が根拠としているのが、世間からの「徹底的な用例採集」であるというトートロジー的な奇妙さと気持ちよさ。

この立ち位置のクールさから見たら、正しい日本語にいちいち気を取られることなど、野暮天そのものだ。もっとなんで言葉を面白がろうとしないんだ、と。

もちろん飯間さんは絶大な知識量に裏打ちされての「面白がり」なのだけど、それでも、正しい・間違いに右往左往する人たちを尻目に、孤高の面白さを追求し続ける飯間さんのような視点を、僕も持っていきたいものだと思う。

 

「サルでも書けるまんが教室」に思うこと

サルまん」は偉大だった

最近、ネットで「サルまん」について見ることが多いので、リアルタイムで読んでいた当時が懐かしく思い出した。一巻の奥付を見ると1990年発売となっているから、もう25年前のマンガだ。

さて、若い世代は「サルまん」をあまり知らないだろうから簡単に話すと、ビッグコミックスピリッツで連載された、『サルでも書けるまんが教室』というタイトルの、マンガでマンガを評論した作品だ。

作者は『勝手にシロクマ』『コージ苑』で新世代ギャグ作家の旗手となりつつあった相原コージと、日本一のマンガおたく竹熊健太郎。この二人がコンビを組み、毎週いろんなカテゴリーのマンガを脚色たっぷりに分析していく、そんなスタイルで一躍話題作となった。

f:id:masayukigt:20151206091012j:plain
こんな感じだね。これは「うけるエスパーまんが」の回。

実際、当時の深夜ラジオ(いまのインターネットぐらいの影響力があった)でもよく話題になっていたし、別作品でオマージュもよく見たし、結構マンガ好き界で盛り上がりを見せたように思う。

じっさい僕もとてつもなくこのマンガには夢中になり、本当に熱心に読みこんだものだった。80年代までのまんがの流れを的確に読み切ったこの作品を読む前と後では、まんが自体の見方が変わったような気がして、ジャンプしか読んだことが無い同級生よりも自分がものを知っている気になれたのを覚えている。

 

その功罪、クリエイターが過去を細分化すること

しかし知っての通り、このあと相原コージさんは魂が尽きたかのように作品を描けなくなる。見ていて痛々しくなるほどだった。

自身が切り開いた分野のひとつであるはずの「不条理ギャグ」についても、吉田戦車中川いさみ榎本俊二さんたちの方が自由闊達に才能を発揮して、次世代を作っていった。かたや、相原さんはヒット作品はおろか普通の作品さえ出なくなってしまう。

これは思うにクリエイターが評論者になってしまったことによる「跳ね返り」なのではないだろうか。

評論する、ということは過去の作品を徹底的に比較し、細分化していく過程だ。やればやるほど過去を微視的に見つめすぎることになってしまい、過去作品の枷にますます縛り付けられてしまう。そしてそれは、創作者自身が足を踏み出そうとするときに何よりもその歩を痛めつけるだろう。

「このパターンは既出ではないのか?」

「この作品はかつて自分は評論した枠組みの中でしかないのではないか」

そんな自問自答がつねに創作者の心を苛むだろう。相原さんはそのあと、あれやこれやとマンガの「枠組み」を壊そうとする実験的な作品に挑戦しようとするが、いまいち自由な感じが無く、試みがすべて70~80年代の土台に捉われすぎている感があって、むしろ読者の方がとっくに先を見つめているような状態になってしまったような感じがする。

こんなネットの隅っこでうさんくさい記事を書いている僕ですら、「記事の書き方」みたいな記事を書いたあとの次の記事は本当に書きづらかった。

↑これね。

書いた後しばらく「こんな偉そうなこと書いておいて大したことないな」と思われたら恥ずかしいな、書かなきゃよかったなかな、とか思ってしまう。創作をする人は過去作品を踏まえる必要あろうが、作品論を語ることに執心しすぎると足を踏み出せなくなってしまうのだ。

もちろん相原さんが作品を出さなかったのは、ぼくが推察した理由だけではないだろうとは思うのだが、それでもクリエイターにとって、過去の細分化し過ぎは良くないのだろうな、ということを僕は偉大すぎる作品「サルまん」から学んだように思っている。

 

※ちなみに中川いさみさんの最近web連載しているやつはとても面白い。

www.moae.jp

あれぐらい大御所になると、なんかもう書いてもとらわれる物がなさそうでうらやましい。